第284話 「長かった一日」
「今日も兄様と話ができなかった」
雪璃は不機嫌だ。最近はきちんとした話すらさせてくれない兄に、怒りを感じている。
ただ、今に限ってはかなり上機嫌のようにも見える、と颯は心配していない。
まさか、颯もあの軽いハグだけでこうなるとは考えていなかったが……。
「ゼクスはこれからも忙しくなる」
颯は、わかっている。今日はイレギュラーが起こりすぎたことも、分かっていた。
「ゼクスは、恐らく古都音さんを思うくらい。雪璃のことを思っている」
ゼクスが刀眞遼と和解の意を示したこと。
東雲契が【顕煌遺物】と同義になり、暴れだしたこと。
元凶が刀眞獅子王で、遼すら駒として見ていたこと。
踏ん切りはついているのだろうが、ゼクスは今遼を救おうとしている。
同時に、【妹】である雪璃のことも守るつもりでいるのだろう。
颯は敏感だ。彼らの表情の変化にも、また言葉の重みも感じられている。
「兄様が、抱きしめてくれた」
「良かったな」
寮に着くまでに、何度繰り返されたかわからない程、雪璃が呟いた言葉に颯は頷く。
少なくとも、その笑顔は颯が見たどの笑顔よりも美しい。
「颯くん、入る?」
「いや、入らないよ」
ゆっくりおやすみ、と柔らかく断って颯は笑顔を浮かべる。
「うん、おやすみ。また明日」
「……また明日」
雪璃を見送って、颯は自分の部屋に向かう。
自分の気持ちを整理しなければならない。
雪璃を選ぶのか、それとも暗黙の了解を破って斬灯を選ぶのか。
雪璃を選ぶとするならば、理由は彼女への愛か、それともゼクスへの忠か。
時間は余るほどある、というわけではない。
ーーー
「古都音、そちらで起こったことを教えてくれ」
「正直休んでほしいのですが、駄目です?」
「明日になれば、明日の情報がある」
ゼクスは、自分の携帯端末が震えるのを感じ取っていた。が、無視しながら古都音と話をしている。
自分自身も、この腕について話をしなければならない。
「まず、ゼクスに伝えるべき事があります」
「…………」
ゼクスは半ば覚悟し、半ば信じながら頷く。
「私は、ゼクス君が人間の面影を残していなくとも、貴方を見捨てたりしませんよ」
「……俺はそれがわからないんだ」
古都音は、ゼクスが暗い表情で下を向くのを黙って見つめていた。
「古都音も、颯も、斬灯も。他のみんなだってそうだ。何故俺に構ってくれる? 古都音たちに至っては、何故俺の近くに居ようとするんだ」
自己中心的で醜い感情を隠さず六年近くも過ごしてきたゼクスには、やはり暖かすぎると感じている。
オニマルに至っては、自分の尊厳であり【髭切鬼丸】足り得る刀の姿すら捨てて、ゼクスを五体満足に戻した。
ゼクスはもちろん嬉しいが、同時にとても心苦しく思う。
『何を思っているか我には理解し難いが。ゼクスは我の本契約者なのじゃ! ずっと、国綱以降誰も許さなかった我の本能が、許した唯一の男――』
ゼクスの片腕から薄く顕現力が流れ出し、古都音の幼少期によく似た美少女の姿を形づくる。
古都音は、あまりにもかつての自分に似すぎていて思わず声を上げかける。が、すぐに落ち着きを取り戻す。
オニマルは、その目に涙をためて青年を見上げていた。
「我々では不足か?」
縋るような視線に、ゼクスが、答えることは一つだけであった。
「不足なわけなかろうよ」
俺にはむしろ、多すぎるとゼクスは言うが。
古都音もオニマルも、それはどうでも良かった。
「こちらは、大幅に強くなったアガミ君が全てを片付けてくれましたよ」
ゼクスの様子をみて、判断しつつ古都音は状況を、話し始める。
おそらく死んだはずの人間が、何かに操られているように動き出して襲い掛かってきたことを聞いて、ゼクスは深く考え込んだ。
「でも、その本体――東雲契は、まだ捕まってない。顕察が総出で捜索に向かっているけれど」
「あちらから来るのを待つしか方法はないのでしょうか」
正直、それしかないかも。とゼクスは考えた。
彼女は完全に【顕煌遺物】と一体化している、というよりは生への執着で魂が【顕煌遺物】化したものだ、と考えていたゼクスは自分の置かれている「【顕煌遺物】を片腕代わりにしている」ということと比較して。
ある意味では似たもの同士であるのかもしれない、と判断した。
「俺が考えるに、あちらから来るまで待つしかない」
もしくは、顕察が捉えるか。しかし顕察にそれが可能なのだろうか?
顕現者の犯罪というのは、ほぼ逃げることの許されない行為である。顕現力の痕跡をたどることのできる顕現者が、顕察にいないはずがない。
だからこそ、それ相応の覚悟をして――。罪を犯す顕現者というのは、「覚悟」をしなければならないのである。
「でも、今日は考えなくてもいいか」
「でももし今日」
未だ心配そうな少女に、ゼクスは「もう不覚はない」と、周りの顕現力を探知しながら答えた。
「少なくとも、学園の敷地内にはいない」
考えるのはよそう、と。そう伝えるようにゼクスは古都音を抱き寄せる。
毎日やっていたことではあるが、古都音にとってもゼクスにとっても、数年ぶりのような時の経過を錯覚するほど、今日は長かった。




