第273話 「復讐の産む物」
「落ち着いてくださいよ、燕先輩」
ゼクスと斬灯は、氷堂燕一壽の固定位置……第6学年の研究室にやってきていた。朝から、古都音をアガミに任せて……である。
「落ち着けと? 犯人が個人的には特定されているだけでも充分だ。俺は復讐を果たす」
「証拠も無ければ、正直に申し上げますと燕先輩が復讐を完遂する可能性すら限りなく無いんです」
少年の言葉は、燕一壽の胸に鋭く突き刺さった。
燕一壽は、【顕現】による戦闘に今まで興味を一切惹かれなかった生徒の一人だ。
どちらかと言えば理想は神牙家のような研究者であり、最近研究が活発な【顕煌遺物】についての独自な研究に取り掛かろうとしている最中である。
しかし、【顕現者】は知識だけでは力を発揮できないのが問題だ。
研究者一家である神牙家でさえ、当主であるミソラは「当主」に恥じないほどの戦闘能力を有しているし、次代最候補の天は言わずもがな【一煌】である。
アマツの弟である昴は、どちらかと言えば戦いに興味のない人間ではあるが、惹かれつつある人のために訓練を始めている。
先進的な社会であっても、【顕現者】の社会は一にも二にも「ちから」であるのだ。
「今そのままの状態で行っても、返り討ちにあうだけです」
「……しかし、御雷氷君は復讐を完遂させた。そうだろう?」
「五年掛かりましたけどね」
ゼクスの嘘偽りない「事実」に対して、燕一壽は黙り込むしか無い。
目の前の少年は、自分に同じくらいの時間を掛けろと言っているのか……と、測りかねている状態であった。
「いや、そんな時間は掛けられない」
「そうです。そんな時間は掛けられない。今日は何も起こりませんでしたが、いつ次の犠牲者が出るか分からない。もう出ない、ということはないでしょう」
ゼクスは、強大な闇属性の顕現力が――ほんの、ほんの僅かずつであるが痕跡を残して移動しているのを感じながら、そう返事をした。
東雲契の持っていた【顕煌遺物】、【タナトストルドー】と同じ顕現力。
その側には、幾度となく対峙した元兄。刀眞遼の顕現力も感じられる。
しかし、目的がわからない以上どうすることも出来ないゼクスは、古都音達に「刀眞遼に注意」と警告を出すことしかできなかった。
「提案があるんです」
「……なんだ」
「先輩の復讐を、僕に託してくれませんか」
単刀直入に、そう言ったゼクス。
燕一壽は思わず絶句した。
「いや、でも」
「先輩の願いは、なんでしょう?」
その、一言を聞いて燕一壽は目の前の少年を心底恐ろしく感じた。
ただまっすぐ、こちらを向いてくるその目に僅かな炎が宿るのを感じ取り、視線から逃れるように斬灯の方を向く。
しかし、斬灯はそれに気づいていないようである。そこに燕一壽は僅かな違和感を覚えたが、首を振って考えを振り払った。
自分は、刀眞遼が犯人かもしれないと聞いて、飛び出してどうするつもりだったのだろう?
――破滅させる。
当然考えたことはある。しかし真の意味で言えば、既にそれを目の前の御雷氷ゼクスは成し遂げている。
【八顕】から刀眞家を蹴り落とし、八龍家――御氷家は御雷氷家として【八顕】に君臨した。
自分は何をしたかったのだろう? 奏に最大の弔いをしてやるには、どういった方法を取ればいいのだろう。
そもそも、自分の願いは……?
「……俺は、ただ奏と一緒に歩みたかっただけなんだ」
すごく簡単だったけれど、もう叶わない願いを。
燕一壽は、誰にも聞かれないよう囁くようにして呟いた。
「御雷氷君に古都音さんが居るように、俺には奏が居た。それだけの話なんだ。よくよく考えてみれば、復讐をしたところで何にもならない、何も産まない……」
「それは違う」
おそらく普通の、「まとも」な人間が言うだろう「復讐は何も産まない」に対して。ゼクスが真っ向から否定したことに、燕一壽は再度絶句した。
「復讐は新たな感情を産みます。それは喪失感かもしれない、憎しみかもしれない。けれど、俺は終わった今にプラスの感情が産まれたのを感じた」
「それは……?」
恐る恐る、彼はゼクスに訊いた。斬灯は特に気にしていないように、研究室の中を歩き回って資料を読んだり、たまに振り返ってゼクスたちの会話を聞いたりしている。
「希望、愛情、信頼。復讐を無駄と非難する人も勿論いた、止めようとした人も居た。過剰と恐れる人もいたし、復讐の後は暴走するんじゃないかと危惧した大人は沢山いた」
ゼクスは、古都音を頭のなかに思い浮かべる。ずっと自分を心配して、時には優しく微笑みかけ、支え続けてくれた。颯や斬灯や、今の両親や……他にも沢山の仲間を思い浮かべた。
「けれど。……完遂して半年、帰ってくる場所を与えてくれたのは彼女たちだから。……ありがとう、斬灯」
月姫詠斬灯が顔を真っ赤にしてゼクスに駆け寄り、彼を抱きしめるのを燕一壽は見逃しようもなかった。
「うん、離れようか。燕先輩が口を滑らせるかもしれないし」
「……そういう関係なのか?」
「いえ、違いますけど。……好意を示し続けてくれる人を拒否しないってだけです」
ゼクスはくすくすと笑って、優しく少女の手を振りほどく。
「好きな人は異性同性区別せず沢山居ますが、愛する人は限られて居ります故」
芝居の掛かった様子で言葉を続けるゼクスの真意を測りかね、彼は頭をかしげる。
それが真実を言っているのか分からないが。
燕一壽は、この光景の記憶は墓場まで持って行こうと誓った。
 




