第249話 「邪悪な笑み 中」
思っていたのとまるで違う、と晦蓮屋は半ば後悔のようなものすら感じ始めていた。
目の前に迫るのは邪悪な笑みを浮かべたゼクスである。【顕現】による攻撃は当たらず、素手での攻撃も2つの【顕装】と【顕煌遺物】によっていともたやすく切り払われ、バッタバッタと切り倒されてゆく。
切り倒されたところで顕現力は枯渇しない。そのため倒れた人間で山ができているほどだ。
「えっ、あっ」
「逃げるなよ、古都音を賭けるんだろ」
半年前、善機寺颯にもそうしたように尻尾を巻いて逃げようとした晦蓮屋に釘を刺して、ゼクスは凄む。
そもそも、彼に逃げ道は用意されていなかった。
「颯、すこしだけ。刀眞遼達を止めてはくれないかな」
ゼクスは、今にもこちらに攻撃を仕掛けそうな雰囲気を醸し出している刀眞遼と、気乗りしない顔をしながらも刀を抜きかけている栄都アインを指差しながら颯に任せる。
颯は「おう」とうなずいて左手から瘴気の風を発生させる。
麻痺の毒。左手から放たれた風は、濁った緑色の光を含みながら2人を包む。
「審判、決闘の中で申し訳ないが、1対1で終夜古都音をかけて決闘がしたい」
ゼクスの言葉に、審判は頷く。
「条件は?」
「命で」
迷いない言葉に、慌てたのは晦であった。負けそうになれば降参すればいいと考えていたし、1対1で勝ち目がないことはわかっているからである。
古都音のことを好きであったのは本気ではあったものの、何かを犠牲にして手に入れようという気概はなく。
その心のなかにある感情の大部分は、御雷氷ゼクスへの妬みであったのだ。
「ちょ、ちょっと待て」
「なら、そちらが賭けるものは指定するといい」
「俺達は今決闘中だ。さ、先に他全員を倒してからにしないか?」
問題を先延ばしにしよう、とした晦は。
ゼクスの後ろに広がっている光景――そのほとんどが地面に倒れ伏し、半分以上が転送されている――に目をやってどうしようもないことに気づく。
そもそも、自分たちは驕り高ぶっていたのだ……と。
「こ、こうさ」
降参、と言いかけた晦は、最後の一文字を発声できないことに気づいた。
まるで、自分の口が「降参」ということを拒絶しているような、不自然な感覚。
それが何か説明できず、何度か「降参」と同じ意味合いの言葉を思い浮かべ、言葉が喉まで出かかってそれ以上はいかないことを確認した晦蓮屋は。
自分が何を敵に回してしまったのか、と半ば本気で後悔したが後悔先に立たずである。
審判が決闘内の決闘を許可した以上、従わなければならない。
「ゆ、許してくれ」
「断る」
ゼクスはあくまでも「敵」に対して冷徹であった。
あるいみ恐怖であった邪悪な笑みはすでに引っ込んでいるが、その代わりの表情として使われたのは氷のように冷たい視線である。
「俺と戦え」
ーーー
「凄まじい戦いだ」
観客席では、神牙昴と善機寺楓が、古都音達よりも少々離れた場所で観戦していた。
ポロッと、出るつもりがなかったように感想を漏らしたのは昴である。
たった5人の少年少女が、上級生含めた300人近くを相手にしている光景は、観客席から声が消えるほど凄まじいものとなっていた。
【顕装】と【顕煌遺物】の煌めきが、【顕現】の、【顕現属法】の輝きが。
まるで現実離れしたもののように、視覚へ強く訴えかけてくるのだ。
「昴は【顕現】戦闘、好きなの?」
「いや。僕は好きじゃないかな、そもそも神牙家って結構温厚だし」
「……一族の名前の由来と妙に違うような……?」
楓の言葉を受けて、「神に牙を剥くのは、研究面だけで十分だからね」と昴は返す。
戦いを見るのは好きだ。強い【顕現者】を見れば憧れもするし、御雷氷冷躯を尊敬もしている。
信念を持った人間の戦いは、その信念がどういうものであれ何かの魅力がある。
だが、自分もそうなろうとはあまり思わない平和主義の昴は、血気盛んな兄についても頭を悩ませていた。
今はまあまあ落ち着いたものの、半年ほど前の天は荒れに荒れていたのだから。
「ゼクスさんは、やっぱり恐ろしいね。恐ろしいけれど……どこか美しさすら感じられる」
「それは同感」
私は強くなりたい、と楓。
楓の視線が、おろおろとしながら逃げ惑う晦蓮屋に容赦なく【髭切鬼丸】で斬りかかる御雷氷ゼクスに一直線で、話をしていてもこちらに向いてくれないことを感じ取りながら昴は話を続けた。
今、あの2人は終夜古都音と、学園生活を賭けて決闘を行っている。
このままではゼクスの圧勝であろうが……。
「楓さんは、強くなりたいの?」
「うん。……兄貴みたいになるんだ」
恋人であれ、仕える主人であれ。
誰か一人のために、命を張れるような【顕現者】になりたいと断言する楓に、昴は言い返す言葉を今は持ち合わせていなかった。
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