第230話 「可能性」
行きは普通に、帰りは少し変わって。
善機寺颯は荷物が無いことを良い事に、人々の気にならない雲の上を飛行し八顕学園に向かっていた。
信号も、交通機関の待ち時間も必要なく、ただ時間短縮という名目で飛行する彼に、気づく一般人は少ない。
行きの数倍の速さで学園へ帰ってきた颯は、素早く周りを見回して終夜古都音の姿を発見する。
神牙アマツも一緒であることを確認した上で、ゆっくりとそこへ向かう途中。
そんな彼女達の状況が、凄まじい物になっていることに気づいた。
アマツは古都音を護るように手で制しているが、その手からは【顕現】による炎がチロチロと流れ出している。
入学直後に暴走したことがあるアマツを、颯は知っている。
【顕現】は感情そのものだ。そう颯は解釈しているからこそ、足を早めた。
「何が起こった?」
「……お帰り、善機寺」
アマツは古都音がこれ以上出ないように右手をあげていたが、もう片方の手で前の方……颯と彼の位置関係から見ることの出来なかった人影を指差した。
そこには、【八顕】の次代が2人……それも御雷氷ゼクスと仲の良い善機寺颯と神牙アマツが揃ったことに驚きと僅かな怯えを顔に出しつつ、しかし虚勢を張るように笑ってみせる3人の男子生徒が居た。
颯はそれらを知らない。何度かすれ違ったことがあるかもしれないが、少なくとも1年ではなく、上級生だろう。
特に意に介さず、そう彼らを認識した颯はそちらに目を向ける。
「で、何か?」
「『人殺しの恋人なんてやめて、俺の女にならないか』だとさ」
端的に説明したアマツの声には、聞く者の殆どが後ずさりしてしまうような凄みがあった。
そこには、確かな怒りがあった。
「だって事実だろう? 来年帰ってきたとしても、ここに八龍ゼクスの居場所は実質ない。学園の外、内どちらにもまともな座がない彼『如き』と一緒にいるよりも、晦家の長男である俺。蓮屋と一緒に居たほうが幸せになれると思うけれど?」
自信満々に言い放った晦蓮屋に対して、颯は特に興味を示さず……。
と見せかけて、次の瞬間強烈な風属性の一撃を、晦と名乗った少年にぶち当てた。
その一撃は、トラン=ジェンタ・ザスターの【AURGELMIR】を突破した【煌】の颶風と同程度のもの。
不意打ちかつ、【毒】の回っている左手から放たれた瘴気の風は、風とは思えない質量を持っていともたやすく。
交通事故のように晦蓮屋を跳ね飛ばす。
「がっ……! う、ぐぅ……」
数メートル後ろへ跳ね飛ばされた彼は、校舎の壁に激突して下へ落下する。
そして、ゆっくりと体中を震わせながら立ち上がり、次こそ余裕の「よ」の文字もないような顔で颯を見つめる。
その表情は、「恐怖」という感情の深淵を覗き込んだようなものであった。
今まで自分が体験してこなかった圧倒的な力。瘴気という得体のしれないもの。
そして、晦蓮屋は今やっと気づく。
目の前の、善機寺颯の左手の……無造作に巻かれた包帯の隙間には、焼き焦げたような黒が映っていることを。
当の本人が冷ややかな目で、こちらを見つめていることを。
「いきなり、何を……」
その光景を見、古都音は少々やり過ぎではないかという言葉を颯にかけようとしていた。
あれは決戦用の力であろうと。目の前の少年1人のために、顕現力を消費してまですることですら無い。
それに、古都音は決めている。
「立ち去りなさい、晦蓮屋さん」
表情が無になるほど怒り狂っている。そんな颯の前に進み出て、晦蓮屋ではなく颯を護るように2人の間に立って、古都音はやっとの思いで立ち上がった【顕現者】に声をかけた。
「幾つか勘違いをしているようなので、ここではっきりと言わせていただきます」
その声は柔らかなものであった。しかし、決して彼女がゼクスや颯達にかけるような優しさに、慈愛に満ちたものではない。
「帰ってきたゼクスくんの居場所は、私達の真ん中です。貴方達が何を思おうと、彼は私の隣に常にいるべき存在なのです」
世界中を敵に回しても、1人を護るという言葉はどこから来たのだろうかと古都音は儚げに考えていた。
とてもむずかしいことであろう。例えを使った愛情表現、口説き文句としては最適なものなのかもしれないが、それを実際に何とかできる覚悟を持った人間は少ない。
……思考を途中で停止させ、考えに飲まれかけた決意を古都音は言葉にした。
何が自分をそうさせたのかはわからない。ただ、古都音はゼクスが好きだった。理由もなく、最初は放って置けなくて、でも、それも最終的には自分を引っ張ってくれるだろうゼクスを愛おしく考えて。
「居場所は私が作ります。そこに貴方の否定は必要ありませんし、その逆も必要ありません」
ここまで言って、最後の言葉を言うか言わまいか少しだけ躊躇する。
たった数時間前に、「彼」へ絶対に拒絶しないと誓ったばかりだ。
だが、今。他の人を強く「拒絶」しようとしている自分に、矛盾を感じてしまう。
「私がゼクス君を裏切る可能性は、貴方が今ここで颯君に勝利する可能性と同等と考えてもらって構いません」
「それって……」
その言葉に、晦蓮屋は可能性が0%であることに気づく。
晦蓮屋は、授業での戦闘の中で自分の成績が「標準」から見ればトップクラスであることを自覚している。
しかし、例えば目の前にいる善機寺颯や、自分が『如き』と称してしまった御雷氷ゼクスという「イレギュラー」に全く対応できないことを今強く察してしまったのだ。
攻撃の開始が一切見えなかった。そればかりか、耳で動作の音を聞くことも、顕現力を辿って動きを視ることすらかなわなかった。
特大出力の【顕現属法】の発動。それに前準備が必要ない熟練度に、晦蓮屋は一種の絶望すら感じ取っている。
その颶風が、本当に【AURGELMIR】に対する程度のものではなく、瘴気のテストとして手加減をされていたことにすら気づけずに。
「颯くん、申し訳ないのですが、彼と戦っていただけますか?」
「はい」
ぺこり、と後ろを振り返って頭を下げた古都音に颯は即答する。
それを聞いて。
――晦蓮屋は、無様に取り巻きの仲間2人と尻尾を巻いて逃げ出すしかなかった。
この章は10話程度で終了します。
そうしたら時間を飛ばし、次章は新年度の予定です。
また1年生かどうかは……次章をお楽しみに。
次回更新は明日です。かければ今日という可能性もありますが。




