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初めて  作者: 夢野花香
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Kapitel. 2

 七坂葵は水面に映る夕暮れの中で静かに泣いていた。彼女の家からほど近い土手。日が落ちる頃にはもうこの辺りを通る人は少ないために、葵が座り込んでいても目立たなかった。

 自分から別れを告げたのに、この涙はいつになれば枯れ果てるのだろう。

 彼に手紙を出して、そのままふらふらとここまで来た。彼と二人で来たことは数える程度しかないが、葵にとっては意味のある場所だ。

 そろそろ仕事も終わる時間だろう。手紙は読んでくれただろうか。

 手紙を出したことに後悔はない。むしろ、今まで言いたかったことを詰め込んだ。全て書いた。

「一緒にいたら・・・だめなんだよね・・・・・・」

 一緒にいてはいけない。お互いがだめになってしまう。

 これでいいのだと、これが正しいのだと自分に言い聞かせるたびに、胸が張り裂けそうになった。

「う・・・あああぁぁ」

 嘘だ。あの手紙には自分の気持ちの半分しか書いていない。書けるはずがない。

 本当なら今すぐ彼の元へ駆け寄って抱きしめたい。いつものように「任せて」と言ってほしい。そのまま離さないで、私だけを見てほしい。

 欲望が溢れて仕方ない。いつから自分はこんなに自分勝手になってしまっただろう。こんな嫌な子になってしまっただろう。

 幸せになれると思った。どんな困難も愛さえあれば、なんて、そんなことを思っていた。

 これから一緒に暮らして、毎日を彼と過ごす。撮影が長引いたりすることは承知の上だ。寂しい夜を過ごすことだって覚悟していた。

 それでもだめだった。我慢できなくなった。想像するだけで苦しくなった。

 わがままになって、彼を疑って、何も信じられなくなって―こんな私が彼の傍にいていいはずがないだろう。

 でも、それでも―

「・・・・・・っ、ずっと、一緒にいたかったあぁ・・・」

「俺は離れるつもりねえよ!」

 夕暮れの空に響いた聞き覚えのある声に、心臓が跳ね上がった。一瞬、何が起こったかを理解できずに葵は息を呑む。

「・・・ここに、いたんだな」

 亮介は乱れた呼吸を整えながら一歩ずつ葵に近付く。そんな亮介の声と足音を後方に聞きながら、葵は咄嗟に両手で口元を抑えた。

「手紙、読んだ。心臓止まるかと思ったわ」自虐的に失笑して、亮介は続ける。「・・・どこにいるかわからなくて、時間かかっちまった。遅くなってごめんな」

 声を殺して、葵は静かに首を横に振る。溢れる涙が止まらなくなって、ついに顔を両手で覆って俯いた。ふと、葵は亮介の足音がすぐそこに聞こえたことで我に返り、精一杯の声で叫ぶ。

「こ、来ないで・・・っ」

 はっきりと、冷たい声で突き放したつもりだったが、嗚咽も交えた声では説得力の欠片もない。

 心を決めた亮介は、弱々しい背中を包み込むように、びくっと小さく震えた肩を壊れ物を扱うかのように、そっと抱きしめた。

「好き」

 耳元で甘く囁く亮介の声に、葵は今すぐにでも応えてしまいそうになる。しかし―と、ぐっと唇を噛んだ。

 振り返って、亮介を突き飛ばす。

「やめて。迷惑。こんなところで、変装もしないで・・・ばれたらどうするのよ。手紙に書いたでしょ。私は・・・・・・」

 もう終わりにしたい。別れてください。

 ただそれだけの言葉なのに。言葉にするのと文字にするのとではこんなにも違うのか。

 言葉とは対照的に溢れる涙は止まることを知らない。

「・・・言葉と態度が一致してないよ」

「うるさい」

「・・・・・・俺はさ。別にいいんだよ、モデル辞めても」

 衝動的に顔を上げて、やっと亮介の顔を見て、葵は胸が詰まりそうになった。

「・・・って言ったら怒るだろうから、言わなかったけどさ」

 そう言って小さく笑う亮介はとても儚く、今にでも泣いてしまいそうな表情をしていた。

「別に、モデルはスカウトされて続けてただけだし。夢はモデルやってなくても叶えられるだろ。俺としてはそんなことより、葵と一緒にいられない方がずっとつらい」

 ごめんな、と亮介は続ける。

「本当なら、別れたいっていう葵の意見を尊重しなきゃいけないのかもしれない。でも、 あの日、葵と出会った時から、もう他の人じゃ無理なんだって思ったんだ。何を捨てたとしても、隣にいてくれるのは葵であってほしいって、心から思ってる」

 俯く葵にそっと近付いて、亮介は再び抱きしめた。

「別れたいっていう理由が俺のことを想ってくれてのことなら、なおさらだ。別れる理由なんてねえよ。むしろ、手離せなくてごめんって謝らなくちゃいけない」

 亮介の腕の中で、葵はふるふると首を振る。

「やだ・・・・・・。私、すっごい悩んで、嫌われたくなくて、でもって一大決心して、やっとあの手紙を出したんだよ・・・」

「あお・・・」

「でも・・・心のどこかで、亮介が来てくれることを望んでた。この場所に来てくれるって待ってた。突然あんな手紙出して、亮介のこと傷つけるってわかってたのに、それなのにまだ亮介に期待してた。最低だよ・・・」

 葵の言葉は、亮介の唇によって塞がれた。

「俺のわがまま、聞いてほしい」

 涙で濡れた瞼を拭って、亮介は葵の瞳を見て言う。

「俺から離れないで。例えモデルの仕事も失って、何もなくなったとしても、俺の傍にいて。これから何があっても、お前を守るのは俺であってほしい。仕事を続けていけば、お前に負担をかけることも多くなると思うけど、それでもお前を手離せない俺を、許して・・・」

 唇を噛んで、苦しそうに目を伏せる亮介。

 葵は溢れる涙と謝罪の言葉を呑み込んで、精一杯の気持ちを込めて、亮介の唇に自分のそれを重ねた。

 初めて「好き」と自分の気持ちを伝えたこの場所で、初めて自分からキスをした。



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