―1―
鬱蒼と広がる森が黒々として大地を覆い、途切れることなく遠くの山の端までその生命力を誇っている。
この地に特異的に自生する、甘い漿果のような香りを放ち、砂岩のような色を持つ茸は岩苺と呼ばれ、この森が岩苺の森と呼ばれる所以となっている。
このストーンベリー、毒は持っていないものの甘い香りと裏腹に舌がしびれるほど苦いため残念ながら食用には適さない。しかしながら、香り自体は煮ても焼いても失われず、これを煮出した汁を衣類や寝具に噴霧するとえもいわれぬ香りが得られるため年頃の娘達にとって身だしなみの必需品なのだ。
この森はヴォルフ家の領地のはずれにあり、王都にほど近い立地ながらそのほとんどが手つかずの自然に溢れ、人々に季節ごとの美しい景観を楽しませてくれている。
その広大な森には清水の湧く池や湖がいくつもあって、そこからは清澄な流れの川が始まり森を抜けた先にある近隣の農地を潤し、王都を迂回するように下ると、その先の海へと緩やかに注いでいる。
この森の豊かな水源と土壌はヴォルフ家代々に受け継がれているもので、家人が行楽や狩りに訪れたり、また領民が立ち入ることを禁じていないため近隣の住民が山菜や野生の果実を摘みに来たり領民にとっても広く憩いの場となってきた。
森を避けるように敷かれる街道筋から分かたれた小路の先には小さな広場があり、簡易な調理場と水場を備えた四阿が設えられている。森の入り口に建てられたそれはちょっとした休憩にちょうどよく、今日も年端のいかない少年二人と初老の男がうららかな日差しを楽しんでいた。
年長と思しき少年が熱心に地面をうかがっている。微動だにしないその姿はちょうど庭園に置かれる小さな彫像のようだ。
その少年の目の前で無数の蟻が地を這っている。規則正しく列を成し行くもの来るものがすれ違いざまに触角を触れ合わせるのはまるで挨拶か敬礼をしているようだ。
群れの行先には飛蝗の亡骸があり、蟻たちは自分の百倍以上の体積を誇るそれを解体し、巣へと持ち帰っている。
小さな体躯で誰に命令されるでもなく、一糸乱れることなく遂行される行為は神秘的にうつり、少年はその光景をまるで小さな軍隊のようだと思った。
小さいながらも整然とした営みを延々と続ける行列に少なくない衝撃が走った。飛蝗を運ぶその光景を何処からか見てでもいたのだろうか、凶悪な大顎を備えた大型の蟻が2匹3匹とまとまり、続々現れて獲物を掠めようと小さな蟻たちを攻撃し始める。
一瞬のパニックから立ち直った小さな蟻たちは獲物を奪われまいと自分の数倍近くある大蟻に立ち向かっていくものの、次々と大蟻の顎に噛み砕かれ、肢をヒクヒクと痙攣させ、やがて動きを止めていく。
この小さな世界で勃発した争闘に少年は息を飲み、その行方を見守った。自分のことでもないのに拳に力が入り、じわりと汗がにじむ。
次々と現れる大蟻に苦戦一方の小さな兵隊たち。
『負けるなよ。』
少年は手を出したくなる焦燥をぐっとこらえ、固唾を飲んで見守る。
一見やられっぱなしに見える戦況だが、一部では1匹の大蟻に何匹もの小さな蟻が群がって大蟻を徐々に噛み砕き、犠牲を出しながらも駆逐に成功している。
『よし、良いぞっ、頑張れっ。』
少年はその様子に快哉をあげたくなる。
しばらくの一進一退の膠着の後、数の上で圧倒している小さな蟻が徐々に大蟻を押し返し始める。その猛攻に戦意をそがれたのか大蟻たちはその体に小さな蟻を纏わせたままその場を逃れようとやっきになり、一部の大蟻は逃げおおせたようだ。
形勢が逆転し始めると小さな蟻たちは残りの大蟻を嵩にかかって攻撃し始め、大蟻は瞬く間に生きながら解体されてゆく。
『ふぅ…。』
争闘の行方が小さな蟻たちに傾くのをみて握りしめていた拳を解き、汗ばんだ手のひらを服の裾でゴシゴシと乱暴にぬぐう。獲物を守り切った小さな兵隊たちはなんだか凱歌を上げているように見えた。
『っきゃぁぁぁっ。』
そこへ奇声を上げながら小さなサンダルが乱入した。
『あり。あり。』
あろうことか、蟻を指さしながら小さな兵士たちを踏みつぶしていく。
『ウィルっ!やめろっ!』
少年は悲鳴に近い声を上げ、思わずトンっとその小さな破壊者を突き飛ばしてしまった。
ウィルと呼ばれた幼子はストンとその場にしりもちをつき、一瞬何が起きたのか解らないような、困ったような顔するも即座に顔をしわくちゃにして泣き出す。
『ぐっ、ふぐっ。ぅあぁぁぁぁぁっ!』
火がついたように泣くウィルを見て、少年はしまったと思う反面、ウィルに蹂躙された蟻たちがどうなったかも気になって仕方がない。
やがて背後から
『おぅ、どうしたんだ?ウィル坊。』
太く、そして柔らかな声がかかる。
『ギラ、何があった?』
その声に少年はピクッと自分の体が硬直し、思わず俯いてしまうのが解る。
声の主は少年の頭をひと撫ですると『どぉれ、ウィル坊。男がそんなに泣くもんじゃないぞ。よしよし。もう大丈夫だ。おじいちゃんが抱っこしてやるからな。』しりもちをついたまま泣き叫ぶウィルの傍に屈む。
緩やかに波打つ灰銀色の長髪を揺らしながら小さなウィルを優しく抱き上げ、その背中をトントンと柔らかに叩くのは少年達の祖父、ローデンシアだ。
背が高く、がっしりとした肩幅、すっと伸びた背筋。灰銀色の髭は短く切りそろえられ、同じ色をした眉の下にはアクアマリンのような海色の瞳が限りなく優しい。
ウィルはその腕の中で『ひぐっ、えぐっ。』と泣き止みつつある。
ギラはいつの間にか拳を固く握りしめていた。地面がグニャグニャと滲み、鼻からこぼれようとする液体を留めるためにスンスンとすすり上げなくてはならない。
ローデンシアはその様子を見てそれとなく周辺を見渡し、小さな争闘の痕跡を見つけた。
『そうか、ギラは蟻を見ていたんだな。』
『ん…。』
『ウィルが踏み荒らしてしまったか?』
『ん…。』
『きっと、ウィルはお兄ちゃんが蟻に噛まれないように退治したつもりなんだよなぁ。』
ローデンシアはウィルを片腕に抱き直し、空いた方の手でギルの頭をそっと撫でる。
ポタッ…。
地面に小さなシミができる。ひとつ、ふたつ。
『だからギルバルト、ウィリアム許してやれ。この間、大顎蟻に噛まれてしまってな。よほど痛かったんだろう。それ以来、蟻と見たら目の敵にしてるんだ。』
『大顎蟻は知っているか?普通の黒蟻より体も顎も数倍大きい。』
『ん。』
ギラは気持ちがこみ上げてしまっていて、見ていたものを声に出して伝えることが出来ず小さな争闘のあった場所、ウィルがしりもちをついたあたりを指さす。そこには蟻たちの亡骸が残っているはずだ。
『おぉ、そうそう、こいつらだ。そうか知っていたか。ギラはよく勉強しているようだな。』
ローデンシアが微笑む。
『黒蟻が大顎蟻を撃退しているのを見ていたのか。どうだ、面白かったか?』
『ん。』
『よし、どの辺が面白かったのか、後でおじいちゃんに教えてくれ。な?』
にこりと笑うローデンシアの腕でグスグス泣いていたウィルはいつの間にかすっかり泣き止み、ローデンシアの髭をおもちゃにしている。
いつでもどんなときでも物事を正しく分かってくれる。
ギラはこの祖父がたまらなく好きだった。
家へ帰る途中、ギラはローデンシアに飛蝗の亡骸を見つけた蟻が行列を作る様、挨拶を交わし、それが敬礼のように見えたこと、大顎蟻が飛蝗を横取りしようとするのを一丸となって撃退したことを興奮しながら話した。
『大きな蟻を小さな蟻がみんなで倒す。1対1の戦いで体の大きさの違いはそのまま勝ち負けにつながることが多いな。大きさの違いがたくさんあると1対2、1対3でも勝てないことだってある、それが1対4とか1対5なら勝てるかもしれない。ギラはいいものを見れたな。』
『うん、大顎蟻は強かったけど黒蟻がみんなでやっつけたんだ。凄かったんだよ。』
『そうかそうか、でもな。今日ギラが見たことは何も蟻だけのことじゃないんだよ。例えは違うが、人だってオオカミの1匹2匹ならすぐ倒せるだろう?でもオオカミが10匹もいたら普通の人はひとたまりもないな。』
ギラは想像してぞっとした。例えオオカミが1匹しかしなくても今のギラには恐怖の対象でしかないのに、それが10匹のオオカミなんてとんでもない。もし、帰り道にオオカミに出会ってしまったらなどと不安になる。
『おじいちゃんも勝てない?』
『ん?おじいちゃんか?あっはっはっは。おじいちゃんならオオカミの10匹なんて今だってすぐ倒せるぞ。おじいちゃんはそりゃあ強いんだから。』
『そうだよね!オオカミだっておじいちゃんには敵わないんだよね。』
『ああ、そうともさ。』
ローデンシアは大声で笑い、ギラもオオカミをこれっぽっちも怖がらないローデンシアが誇らしくて自然と笑顔になる。
いつの間にやらウィルはローデンシアの腕の中で眠ってしまっていてスヤスヤと寝息を立てていた。
『そうだ、ギラ。そろそろ弓の練習も始めようか、剣はだいぶ上手になったからな。ヴォルフの男はどんな武器でも強くないといけない。お前の父さんも強かったし、テオもそりゃあ強いぞ。』
『父上は強かったの?』
『あぁ、強かった。この国でも5本の指に入るくらいにな。』
年の離れた兄、テオことテオドールのことはあまり得意ではなかった。遊んでいるおもちゃを力ずくで取られたり、剣の練習でこっぴどく打ちのめされたりであまりいい思い出がない。ずいぶん前に士官学校に入ってからは夏と冬の一時期しか帰ってこないので、ここしばらく会っていない。
引き換え、父親のことはあまり覚えていないのだ。覚えているのは武骨な長剣とそれを目にも止まらぬ速さで振り回す手。その大きくごつごつとした手で自分を軽々と持ち上げギュッと抱きしめてくれたこと、その時の父親の匂い。
父親の大きな手と匂いは今でもよく思い出せる。
ギラが3歳の時、隣の国との戦争があった。その時に大勢の敵を相手に部下を率いて大切な街を護り、勇敢に戦って死んだとしか聞かされていないし、遺体が戻ってこなかった父親の葬式の時には空の棺が墓地に埋められたのでそこに行っても父親がそこに眠っていると思えない。
それより、広間に飾られている武骨な剣の方を見た方が父親を思い出せるのだ。その剣は父親が死んだ街の門のすぐそばで地面に突き刺さっていたと聞いた。
それ以上のことを聞くのはなんだか怖い気がしている。それが何でなのか自分でもよくわからない。
『おじいちゃんより強かったの?』
『おじいちゃんと同じくらい強かった。あとちょっとでおじいちゃんを超えるところだったかもな、お前の父さんは剣と弓が物凄く上手だったんだ。』
『ふーん。そうなんだ。おじいちゃんと同じくらいならすっごい強かったんだね!』
『あぁ。だが、お前たちだってきっと強くなるぞ。なんせおじいちゃんの孫なんだからな。』
『うーん…、強くなれるかなぁ。おじいちゃんみたいになりたいなぁ。』
『ギラもウィルも強くなれる。ヴォルフの男はみんな強いぞ。お前たちはレオンハルトの忘れ形見だ。おじいちゃんがしっかり練習を見てやろう。』
『うんっ。僕、頑張るからね!』
ギラには忘れ形見という言葉の意味が解らなかったが、ローデンシアが教えてくれる弓の練習に思いを馳せた。自分も早く強くなりたい。
嬉々として破顔する孫の顔に息子の面影を見ながら、ローデンシアは寂寥感に包まれる。もし、レオンハルトが生きていたなら孫たちにヴォルフの武を伝えるのは彼の務めだったのだ。
そしてこうも思う。まだ、どこかでレオンハルトは生きているのではないか…と。
その時、ローデンシアが腰に下げている二振りの剣の一方から虫の鳴くような音が聞こえだした。
『リ…、リィリィン…。リ…、リリィ…。』
秋の虫が鳴くようなその音にギラはきょろきょろし季節外れの声の主の姿を探す。
一方のローデンシアの表情は一気に引き締まり、意識を周囲に張り巡らせる。そして付近を見渡し、ギラとは違う何かを探す素振りを見せる。
『おじいちゃん、秋の虫はまだ居ないよね?どこからだろう?すぐ近くから…。』
ギラが皆を言う前にローデンシアが遮る。
『ギルバルト、すまんがウィリアムを抱っこしてくれるか?それとおじいちゃん、ちょっと用ができたんだ。すまんが少しの間二人で待っててくれないか。』
見上げるとさっきまでの優しいおじいちゃんはそこには居なかった。訳も分からないままギラはこくんと頷くとウィルを両手で受け取った。
いまだ眠っている弟のその重さによたつきそうになるのを膝にぐっと力を込めてこらえる。
そして、音の正体がローデンシアの身に着けている見慣れない形の剣から鳴っていることに気が付いた。
『おじいちゃん?その剣…?』
『あぁ、詳しいことはあとで教えてあげよう、今はちょっと急がないといけないんだ。そうだな、あの畑の荷車あたりでウィルと一緒に居るんだぞ。解ったな?』
ローデンシアが指さした方は街道の右手の畑だった、そこに止めてある空の荷車を確認する。
『うん、わかった。あそこで待ってる。でも…。すぐ迎えに来てくれるよね?』
『勿論さ、それとこの小剣を持って行きなさい。おじいちゃんが戻ってくるまでにもし何かあったらギラがウィルを護ってあげるんだ。お兄ちゃんなんだからな。』
ローデンシアは腰に佩いている二振りの剣のうち、鳴いている方の小さな剣をギラの腰に結わいつけた。
『それじゃ、行きなさい。なるべくすぐに戻ってくるから。なぁに、少し辛抱だ。ウィルのこと頼んだぞ。』
『うん、おじいちゃんが戻ってくるまで頑張るから。早く戻ってきてね?約束だよっ!』
ウィルを抱きかかえたまま、数十歩先の目的地へと歩き出す。
陽が傾きだしたばかりの時間で周囲は明るいが、幼いギラはさすがに不安な表情になっている。
孫たちが荷車に着くまでローデンシアはその背中を見守り、荷車にウィルを横たえたギラと目配せを交わした。つぶらな瞳は不安を隠しきれずに居るのが遠目にもわかる。
ローデンシアは片手を少し上げてギラに合図し、街道の先の左手にある民家をじっと見つめ、耳を凝らして警戒しながら歩を進める。
(こんな人里で魔物が出るとは思えないが…。魔に共鳴する火具鎚が鳴ったのだ。用心せねば…。)
火具鎚というのはギラに結わいつけた小剣の名前らしい。
そして、ローデンシアが近づいているのは領内の何処にでもあるような普通の民家だ。正面に母屋があってその後ろに納屋があり、納屋から数歩の奥に牛馬のための厩舎が立てられている。
王都へ続く街道筋にある民家は利便の良さから空き家になることはまずない。夜が早い農家ならそろそろ炊煙が上がり始めてもいい頃合いの時間だ。
そろりと近づいた母屋に変わったところはないようだ、人の気配がしないところを見るとまだ住人が農作業から帰ってきていないように見える。
遠目に鋤や大鎌などの農具が整然と立てかけられている納屋にも異常はない。しかし、そこで気が付いた。
(おかしい、なぜ農具がここにある?母屋に人の気配はなかったが…。)
ローデンシアは剣の柄に手を伸ばし、姿勢を低く足音を立てないように納屋の方へと向かった。
近づくにつれ、納屋独特の埃っぽい匂いと干し藁の匂いをごたまぜにしたような匂いがしてくる。
その先の厩舎から漂ってきたのだろう獣臭に紛れて微かに血臭が混ざりローデンシアの緊張が高まる。剣の柄にかけた手は瞬時に抜刀できるよう軽く握りなおした。
その血の匂いが鮮明にわかるほど、納屋に接近したローデンシアは厩舎から何かがグチャグチャと汚い咀嚼音をたて、人の言葉とも獣の唸り声ともつかない声を上げているのを聞いた。
納屋から厩舎へはおそらくほんの数歩の距離だろう、そしてその先に身を隠せるようなものはなく納屋の影から厩舎へ飛び出せば音の正体と近距離で鉢合わせするのは必至だ。
納屋の縁から厩舎を覗き込んだローデンシアはその光景を見た刹那に反応する。その年齢の身体からは考えられないような反射速度で疾風のごとく厩舎へ躍り込み剣を一閃する。ピゥッと刃風が鳴り、目の前の光景を切り取った。
そこには腹を切り裂かれた馬が自ら流した血溜まりに横たわり赤く濡れていた。無残にもその内臓は元の場所からほとんど引きずり出され異様な臭気をまき散らしている。
その引きずり出された内臓を両手でつかみ上げジュルジュルグチャグチャとすすり上げるようにむしゃぶりついている10人余りの子供達。いや、それは大きさこそ子供ほどだが明らかに異質な風体をしていた。
毛むくじゃらの矮躯、体躯の割合には長く太い腕、その先にはごつごつと節くれだった4本指の手があり指先には鋭利な爪が生えている。前方に突き出した口吻、黄色く濁った眼に爬虫類のように縦に割れている瞳、そしてサメの歯のように尖った牙。
人間とは異質の亜人種、ゴブリンと呼ばれる呪われた種族だ。
知性は低く、個々の戦闘力も大人であれば撃退もさほど困難な相手ではない。だが、旺盛な繁殖力のおかげで彼らの数は多く、徒党を組み集団行動をとる習性は一般人にとって十二分な脅威となる。
彼らは深い森や深山の洞窟、打ち捨てられた都市の廃墟などに一族単位で生活していることが多く餌に困らなければ人里までは出てはこない。まして領内にあるストーンベリーの森周辺ではヴォルフの男たちが数十年の年月をかけゴブリンを駆逐していたはずだ。
だが今、ローデンシアの前には一瞥して16匹ものゴブリンが獲物の血肉をすすり、血の海に狂乱しているのだ。火具鎚は正しく鳴ったことになる。そして、その被害が馬だけであればローデンシアの無謀とも取れる行動は無かったろう。
ローデンシアは倒れた馬の先にこの家の住人達を見つけたのだった。主人と思しき中年の男は仰向けに横たわり腹部を食いちぎられ、裂けた脇腹から哀れな馬同様に内臓を引きずり出されている。恐怖に歪んだ形相をそのままに硬直させピクリともしない。
そして細君と思われる女と娘であろう二人の女は衣服を引き裂かれ、数体のゴブリンに四肢を押さえつけられている。あろうことか喰われながらに犯されていたのだ。
最初の一撃でローデンシアは一番手近に居たゴブリンの首を打ち落とし、返しの刃でその隣にいたゴブリンを袈裟切りに切って落とした。
何匹かのゴブリン達はそこでこの闖入者に気づき、威嚇の声と怒号を上げる。
しかし、ローデンシアの目線はゴブリン達には注がれず、半ば喰われながら四肢や胸を血だらけにし、なおも犯され続けている女たちに注がれていた。
ゴブリンが腰を振る動作以外に女たちが動いている様子はない。
(間に合わないか…。)
細君は舌を噛み切ったのだろう。口元から多量の血を溢れさせ、ゴブリンが腰を振るたびに『ゴプッ、グプッ』と口から新たに鮮血を零す。
娘の方は気を失っているのかゴブリンのなすがままにされている。襲撃されてすぐ気を失ったのか暴れた形跡がほとんどない。
(なれば娘だけでも…。)
娘に覆いかぶさる数体のゴブリンに向け、迅雷の剣を振るう。
行為に夢中になっているゴブリン達はローデンシアの斬撃に反応できず、声すらあげることなく首筋からどす黒い血飛沫をあげ、倒れてからようやく『ゲッ、ゲッ…』と不規則な音にならない声を絞り動きを止める。
ローデンシアは娘に群がっていたゴブリン達の首筋を撥ね切り、死体を娘の上から蹴り飛ばす。肩口や腕のそこかしこに食いつかれた痕はあるが、あらわになっている形の良い胸が僅かに上下しているのを確認し振り返る。
すでにこと切れている細君は腕や胸を食いちぎられ、凌辱の対象から食餌としての対象に変わっていた。数匹のゴブリンは口元から腹に至るまでを被害者の血液で赤黒く汚しながらグチャッ、ニチャッと咀嚼を続け、馬と主を貪っていた残りのゴブリン達はローデンシアの戦闘力に警戒しギャアギャア、ギシャギシャと全身の毛を逆立て威嚇の姿勢だ。
(数が合わない!?)
ローデンシアはぞっとする。最初に切り捨てた2匹、娘を襲っていた3匹、細君を貪る3匹、そして、馬と主に7匹。最初に視認した数より1匹少なかった。
初見で見落としていて数が増えていた方がまだましだった。自分が切り捨てればいいだけだ。だが、たとえ1匹だとしても厩舎から外へ出たとなると話は別である。
ここからわずかのところで幼い孫が二人、ローデンシアが戻るのを待っているのだ。
ウィリアムはまだ剣を握るどころかようやく走れるようになったばかりだ。ギラとて剣の練習はしているとはいえ、小剣を握らせてやっとその重さ振り回されずに型をこなす程度なのだ。子供同士ならともかくゴブリンと立ち会えるはずがない。
しかし、まだ息のある娘を放っていけばその命はないに等しい。
(すぐに片づけなければ…。)
ローデンシアは剣を鞘に収め呟く。
『神鳴る者よ、その神威をここに顕わし、我が敵を滅する雷となれ…。』
その呟きに呼応するかのように剣の鞘から、ぼうっと紫の気が立ち昇り、鯉口からパリパリパリッという小さな破裂音があふれ出す。
遠巻きに威嚇の声を上げていたゴブリンの数匹が刃を収めた闖入者に一斉に飛び掛かる。
『滅せよ!猛御火鎚っ!』
『ギャゥッ。』『ギョワワッ。』
裂帛の気合いが放たれた瞬間、引き抜かれた刃は青白い電光の束を放ち瞬く間に鞘に収まる。ビィンと言う鍔鳴の後、断末魔の叫びをあげる間もなくブスブスと黒煙を上げ丸焦げになったゴブリンが床に転がった。
その破壊力は凄まじくローデンシアの前方に居た7匹すべてに及んでいる。
(あと3匹…。)
ローデンシアは自分を待つ孫たちに思いを馳せた。