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のっこの喉

作者: 濱野乱
掲載日:2014/08/12

1

魚の小骨が刺さった死にたい。

あたしの名前は、のっこ。

身分は中学生女子。特徴は斜視ぎみの目。

よそ見するなって人に言われますけど、どこも見てません。おへそはしょっちゅう見ますけどね。へそのゴマ取るのが趣味なので。

あたしのママは、スナックのママをしています。あたしもよくお客さんの前で歌って、お小遣いをもらいます。

あみんの「待つわ」を歌って、大盛り上がり。

でもあたし、待つのは嫌いだな。トイレ待ってたらおしっこ漏れちゃうもん。

ある日、鰯が夕食で出された。鰯っておいしいよね、油がのっててさ。

でもその日はママがお店に出ていて、あたしは一人で夕食を取っていた。

いつも鰯の骨をオペしてくれるママがいないので、自分でオペしなくちゃならなくなった。

「うんっむ・・・・・・」

あたしは一度飲み込みかけた鰯をごっくんするのやめて、喉から戻そうとしたができなかった。小骨は伏兵のごとく身に潜り込んでいたのだ。

何てこったい、あたしのオペは失敗だったわけだ。

気が狂いそうになりながら、テレビを消し、サンダルを履いて、お店に向かう。階段降りればすぐにスナック、夜のお店が口を開けて待っている。

酔ったおっちゃん、酒つぐねーちゃん、中森明菜みたいな声したママ。それくらいのメンツを思い浮かべてくれると良いと思う。

店に突入するやいなや、甘えた声ですかさず報告する。

「ママー、骨骨骨」

ママはマイクを握っていて、あたしのことを思いっきり無視した。

完全に明菜になりきっている。マイクを握っている間は話しかけてはならないのが、店のルールだ。

歌い終わったママが陰気な目つきで、あたしを見下ろす。

「・・・・・・のっこ、歌いな」

あら、これが親子の会話かしらん。ママは娘の喉が骨で貫かれてもよござんすか。

あたしは明菜を熱唱できなかった。喉に刺さった小骨が怖くなってきたのだ。

小骨は喉をずたずたに、つぶす。そんな予感がして、マイクを持ってぽろぽろ泣き出していた。

おっちゃん、はやしたてる。ねーちゃん、おしぼりであたしの顔を拭いてくれる。

ママは?

ママは、カウンターで煙草を吸っている。

あたし、煙草きらい。でも人差し指と中指で煙草を挟んで吸うママの吸い方かっこいい。尊敬してもいい。肺がんっていうのは怖いからやっぱり吸って欲しくないけど。

ママの顔を紫煙ごしに見ているのがつらくって、サンダルのまま夜の街に飛び出した。ゲロの街、雨降り、小降り、ネオンキタネー。あたしはくすんだこの街が好きじゃない。えっちなのは好き、大好き。

暫く走って、お腹が空いてること思い出す。手持ちの金額ゼロ円。

ふとタワーマンション見上げる。富の象徴。男根みたい。

あたしは鼻をほじりながら、タワーマンションの入り口で、これからやって来るであろう誰かを待った。住んでる人に多分知り合いはいない。

これから、きれいなおべべ着たろくでなし富裕層から強盗を働くつもりだ。

そして高級寿司店で、寿司で胃袋をぱんぱんにしてから、食い逃げで捕まる。盗ったお金は募金する。スナックは報道陣が押し寄せてきて、営業できなくなるだろう。ざまーみろ。

小骨はまだ喉の奥でごろごろしていた。この苦しみをわからないママはバカだ。植え込みにカタツムリみたく隠れて、あたしもママに負けず劣らずバカだった。蛙の子はオタマジャクシなのにね。

そして、人影が暗闇に浮かび上がる。おや、あたしと同じくらいの年齢の男の子だ。学制服を着ている。きれいなおべべじゃないけどまあいいや。

その時、下腹当たりが急に痛みだした。ついでにおしっこも漏れそうだった。盗みを働くという緊張から、あたしの神経はそれを妨害する手段に出たらしい。負けるもんか。あたしはやる。

男の子は傘をたたんで、マンションのエントランスに入った。あたしは、わざと大きな足音を立てて入る。

足音に気づいて振り向いた男の子の顔を、あたしは知っていた。

学校で同じクラスの林真理夫だ。女みたいにやさしい顔してる。あたしは、こいつが嫌いだ。なよなよしてて、むかつくんだ。

低い声で「金を出せ」と言おうと思ったけど、ハアハアという息づかいだけがやけに明るいエントランスに響いていた。

真理夫は真理夫でずぶぬれで真っ青な、あたしの尋常じゃない様子に息を飲んでいるみたいだった。

そんな対峙が永遠に続くかと思いきや、真理夫はあっさりとオートロックの自動ドアを抜けてしまう。暗証番号がないと通れない。一度閉まったらもう終わり。

あたしは強盗なんかどうでもよくなって、ただ真理夫に何か言ってやりたくて、自動ドアを抜けたんだ。

真理夫はエレベーターの前にまごまごしていたけれど、あたしが追ってきたので階段に向けて走っていった。

階段は螺旋状になっていて、真理夫はヒイヒイ言いながら上っていた。あたしも同じくヒイヒイ情けない声を出していた。

情けない中学生の追いかけっこは、三階までで終わった。

あたしはほっとした。もし、真理夫が外見に似合わず、アスリートみたいな体力を持っていたら、振り切られていただろう。

「ま、待ってよ・・・・・・どうしたんだよ」

真理夫が尻餅ついて、抵抗する。その滑稽な様子がまたあたしを苛立たせる。

「金を出せ」

本来ならここで言う台詞じゃないけど、真理夫に覆い被さり、彼のズボンのポケットに滅茶苦茶に手を突っ込んだ。

「な、なにするんだよ」

悲鳴を上げる真理夫の腕を押さえつけながら、何もないポケットをかき回すようにして、まさぐるのをやめなかった。

家にお金ないのが悔しくて、どうせ万札忍ばせているこいつがうらやましくて、あたしは真理夫を乱暴したんだ。

真理夫もあたしも泣いていた。でもあたしは何でこんなバカなことをしているのかわからなくなり、立ち上がった。

「腹減った」

真理夫は目を赤くして、びっくりした顔であたしを見上げていた。

あたしはもう強盗も魚の小骨もどうでもよくて空腹を満たすことしか頭になくなっていた。単純な脳みそには単純な栄養が必要だ。

「ねえ、お腹空かない?」

真理夫は憮然と座っていたが、あたしは無理矢理立たせて連行した。真理夫の部屋はここではなく、もっと上の階にあるらしい。

さらばタワーマンション、こんにちはスナック。

あたしたちは、人目を気にしたカップルみたいに街をしのび歩いたと思う。

酔ったねーちゃん、酔ったおっちゃんしか夜の街にはいないから、あたしたちは必然的に浮いていた。

男を連れ込むとママがうるさいから、あたしと真理夫は外階段から家に入った。そーっと首だけドアの中に突っ込んだが、家の中は深海のように静まり返っていた。ママはまだお店みたいだ。六畳二間のママとあたしの城は、少しかび臭かった。

「入っていいよ」

猫にでも言うように、やさしく真理夫を招き入れた。真理夫は怯えていたが、あたしが何をするかわからないと知っているので、大人しく従う。

冷蔵庫にはトマトケチャップと納豆しかない。後、パスタ。ちゃっちゃとパスタをゆでて、ケチャップとあえて皿に盛ってナポリタンの出来上がり。

真理夫は一口含んで、吐き出す素振りを見せた。

「固いよ・・・・・・、ゆでが足りないんじゃないか」

「固いのがいいのだ、素人め。いらないならあたしがもらうよ」

真理夫は不平を言いつつ、皿を渡さなかった。二人でナポリタンをすする音が居間に響いた。

「林って、あのマンションに住んでるの?」

食べ終わると、真理夫は寝転がって、居間にあったこけしを手でもてあそんでいた。ママが趣味で集めたこけしはそこらに転がっている。

「知ってて襲ったんだろ? 全くひどいことするよな」

「ごめんよぉ・・・・・・、むしゃくしゃしてやっちゃった」

あたしも真理夫の横に転がって甘えるような声を出した。真理夫は反対に転がった。耳がほんのり赤くなってやがる。童貞はちょろい。

「もう帰っていいだろ」

「ええと、いいですよ。元来たとこからお帰りどうぞ」

眠くなってきたので、こけしを返してもらい、真理夫を自由にしてあげた。キャッチアンドリリース。

小骨は明日でもいいよね? おやすみ。


2


次の日になって、冷静になったあたしは、どれだけ恐ろしいことをしたのか身の毛がよだつ思いがした。

本当に警察に逮捕されたら、帰るところがなくなってしまう。それどころか、ママにも見捨てられるかもしれない。

隣で寝ているママの鎖骨の透けた細い体は頼りなくて、何となくあたしに罪悪感を抱かせた。

ママごめんなさい、あたしは目に涙を浮かべて居間に行き、盛大に転んだ。ママのこけしがあたしを転ばせた。

結局、犯罪者にならずにすんだ安心感から、雨上がりの道をルンルン気分で学校に行くことができた。後は真理夫の口を封じれば完璧だ。

小骨は一晩たっても、あたしの喉に鎮座したままである。対策はおいおい考えることにしよう。

学校に着くと、真理夫がカツアゲされている現場に出くわした。一つ上の先輩が二人、真理夫を自販機の側で言いくるめている。

自販機は校舎の外にあり、向かいにはプレハブの運動部の部室がある。真理夫はお財布ごと奪われても、文句の一つも言えないようだった。顔を伏せて嵐の過ぎ去るのを待っていた。

それを見ていたら、あたしのこんぺいとうくらいの罪悪感は吹っ飛んでしまった。あたしが昨日したことは正しかったのではないか。真理夫はお金を持っているし、持っていないものに分け与えるのは正当なのではないかという思考に至ったのだ。しかし、お金を巻き上げられた真理夫はやっぱり不憫に思え、あたしも似たように肩を丸めてカツアゲされた後の真理夫に囁くように話しかけた。

「真理夫は、何でやり返さないの?」

「何でって、力でかなわないんだから、手を出したって意味ないじゃないか」

真理夫は開き直ったように己の弱さをひけらかした。なんだってそんなに偉そうなのか、あたしは吹き出していた。

「魚の小骨刺さっちゃった。取る方法知ってる?」

あたしは背伸びをして胸をそらし、真理夫にのどを見せた。

真理夫は人目を気にするようにきょろきょろ辺りを見回した後、二台並んだ自販機の陰にあたしを連れ込んだ。真理夫は息を荒くして顔を真っ赤にしていた。何だか首でも絞められそうな気配だった。

「外からじゃ取れないよ。ごはんとか一緒に食べた?」

「ううん、怖いから昨日から何も食べてない」

「嘘つけ、ナポリタン食べただろ」

ナポリタンは喉にやさしいんだね。

真理夫は、おそるおそるあたしの喉に触れていた。あまりにやさしく触れるから、何だかくすぐったい。

その後、コーンポタージュを真理夫におごってもらった。得した。真理夫はこんなこともあろうかと、靴の底にお金を隠し持っていたのだ。

小骨が気になって授業にならない。どうせ真面目に授業を受けたことはないけれど、むしゃくしゃした。

「のっこ、お昼買いに行こー」

お昼になると、友達のゆーこが脳天気に話しかけてきた。ゆーこは、おでこにできたニキビが気になるのか普段は上げている前髪を下ろしていた。

「喉に小骨刺さった。取り方知ってる?」

あたしの質問に、ゆーこはアヒル口でとぼけた顔で応えた。自分では可愛いと思ってるんだろうが、ひょっとこみたいで間抜けな面だ。

「知らねーし、そんなムズカシイこと」

ゆーこはバカの振りをすれば、男子にもてると思ってる。さっきから携帯を触りながら、横目でちらちら真理夫を盗み見ているのがバレバレなのだ。

「ムズカシイことも必要じゃん。ゆーこ、あんたこのままでいると携帯廃人になるよ」

ゆーこは、ゲラゲラと下品な笑い方をした。皆の顰蹙をかっているのに、気づいていない。

「ありえねー、携帯なしでいられるわけないじゃん」

こんな子でも一応友達なので、人目に晒すのも哀れになり、教室を出ようと思った。

その時、あたしの目と真理夫の目が合う。真理夫は、まずいものでも見たように慌てて目をそらす。

その日の放課後、あたしは理科室に寄った。別に白衣のイケメン教師と逢い引きするためじゃない。

実験レポートを提出するのを忘れていたので、居残って仕上げろと言われたのだ。

白い汚れがこびりついたビーカーで、水溶液を作る実験。一人でしても面白くなくて、淡々と作業をするあたし。

その時、廊下で怒号と上履きがばたばたする音がしたと思うと、真理夫が血相変えて、理科室に乱入してきた。真理夫は、あたしのいる机の下にもぐりこんだ。それからどやどやと男子数人がなだれ込んできた。任侠映画かよ。

血眼で、真理夫の行方を探す彼らに、あたしは知らないと答えた。

その間、真理夫は机の下で、あたしの足首を鬱血するくらいの力で掴んでいた。

真理夫の追っ手が立ち去ると、あたしも机の下に潜ってみた。真理夫は寒そうに、ぶるぶる震えていた。

「どうやったらそんなに人から憎まれるの?」

「知るか、そんなこと。僕は悪くない。あいつらがよってたかって僕のこと・・・・・・、僕だって一対一なら負けないのに」

真理夫の負け惜しみに黙ってつきあっていると、ふと、真理夫の目が教室で見たような変な目つきになる。

言いしれぬ恐怖を感じ、机の下から脱出しなくてはと焦るが、真理夫に乱暴に肩を掴まれた。

「な、何・・・・・・!?」

「の、のっこ、好きだ!」

真理夫は何を思ったか突然、あたしに組み付き、散々に体を触った。手足を振り回し、がむしゃらに暴れたのだが、興奮状態の男子にそんなの無駄な抵抗だった。すげーいやらしいさわり方された。

真理夫のくせに。悔しさで、あたしは涙した。

「ひどいこと、しないでよ・・・・・・」

あたしは床に押しつけられ、両腕をがっちり掴まれたまま、蚊のなくような声で助けを求めた。

真理夫は制服の上から、あたしのあってないような胸に夢中で顔を埋めていた。匂い嗅いじゃってるのかな。きっと何も聞こえていない。こうなったら最後、肉食獣に食べられてしまうのっこでありました。ちゃんちゃん。

「あのさあ、真理夫君?」

真理夫は、あたしの胸から顔を上げた。ただただ性欲に支配されただけのスケベ顔。

「ここまでしたら最後までするつもりなんでしょうけど、責任取れるの?」

「せ、責任・・・・・・」

「うん、だって妊娠するかもだし。コンドーム持ってる?」

真理夫は首を振った。あたしは予想通りの答えに落胆する。

「赤ちゃんできたら育てないといけないし、あたし中絶するのやだかんね。そしたら、あんた中卒で働かないといけないよ。そんで一生ブスのあたししか抱けない」

「の、のっこはブスじゃないよ、可愛いよ」

可愛いなんて言われたのいつ以来だろう。ママにも言われたことない気がする。でも真理夫が考えなくちゃいけないのは、別のことだろうに。

「しかもうち、借金あるんだ。二千万くらい」

「に、にせんまん・・・・・・」

のしかかる真理夫の体重が、軽くなった。引いてる引いてる。

「それでもいいならチンコだしな。あたしも覚悟決めて股開くから」

これでも引かない男なら、あたしも大人しくやらせていたかもしれない。責任云々抜きにして。でも真理夫はあたしの上から退いた。謝りもしなかった。

あたしは床に横たわったまま、いくじなしの真理夫が本当に憎くなった。

「ねえ、水酸化ナトリウムの作り方知ってる?」

あたしはふと課題を思いだし、真理夫に尋ねた。真理夫は知らないと答えた。

「小骨まだ取れないの?」

今度は真理夫が訊いてきた。あたしはうん、とだけ答えておいた。

「喉、触ってもいい?」

乱暴しないでよと言ったけど、真理夫は聞いちゃいない。

悔しいけど、のどを触る時の真理夫の手つきはいやらしさがなくて、慈愛のようなものを感じさせた。素直に気持ちいい。もっとしてと言いそうになった。

「本当に刺さってるのか?」

「嘘ついてどうするの、本当に困ってるんだからね・・・・・・・、ちょっと喉だけって言ったでしょ。怒るよ」

真理夫の手が、するすると鎖骨当たりに下りてくる。おさわり大好き真理夫君、スナックにいるおっちゃんと変わんないね。

「喉は喉だよ、触っていいって言ったんだからいいだろ」

得意の開き直りで、切り抜ける真理夫。なんてひどい男だ。昨日強盗なんてしなきゃよかった。

理科室の扉が唐突に開いた。理科の教師が、課題が終わったか確認しにきたのだ。

真理夫は、あたしに抱きついて離れようとしない。ばれたら終わりなのに。

あらん限りの力を振り絞り、真理夫を引き剥がすと、何でもない顔をして机の下から出た。

「うわっ・・・・・・びっくりした。何してたんだ、そんなとこで」

男性教師は、おばけでも見たように驚いた。

「消しゴム落としちゃってー。課題後少しで終わりますから」

「まだ終わってなかったのか。戸締まりはちゃんとしてくれよ」

「はーい」

教師が去っても、あたしの胸のばくばくは、なかなか収まる気配がなかった。

机の下をのぞき込むと、ズボンの前を膨らませたまま大の字で横たわる真理夫がいた。

あたしは軽蔑の視線を投げかけてから、実験レポートをまとめ、後かたづけを開始した。 真理夫は手伝うと言ったが、邪魔だからと短く拒絶しておいた。

学校を出てからも、真理夫は付きまとった。お前も気があったんだろとか、ねちねちとあたしの非を責めた。

真理夫の性根の悪さは本物だ。これならイジメられるわと納得した。

校門の前に赤いスポーツカーが止まっていた。あたしたちが近づくと、車の中から女の人が躍り出た。足が長くすらっとしていて、女優さんみたいにきれいな人だ。真理夫に手を振っている。

「あっ、お母さん」

真理夫は不機嫌そうな顔から一転、笑顔になり、若いお母さんに走り寄った。

「真理夫ちゃん、今日は遅かったわね」

「うん、友達の課題手伝ってたんだ」

よく言うよ、課題手伝うどころかレイプしようとしたくせに。

真理夫ママはあたしに気づき、側まで歩いてきた。オレンジみたいな香水の匂いがほのかにした。

「貴方が真理夫のお友達?」

「あっ、はあまあ、同級生であります」

くすっと真理夫のママは笑った。それが全然嫌みではなくて、自然で板についた笑い方だった。

「お名前は?」

「のっこです」

「のっこちゃん、貴方可愛いわね。私、娘が欲しかったの。真理夫も可愛い顔してるから時々女装させるんだけど、やっぱり本物の女の子にはかなわないわね」

「母さん! やめてよ、のっこが誤解するだろ」

真理夫が割ってはいる。この親子めんどくさい。

あたしは一刻も早く帰りたそうに鞄をがちゃがちゃさせた。

「送ってってあげようか、のっこちゃん。もう遅いし」

「え? いやいいですよ、近くですから」

「そうしろよ、その方が絶対いいって」

下心むき出しの真理夫とおせっかいなママ。あたしよりエネルギッシュで断りきれない。スポーツカーの後部座席に真理夫とあたしが座った。あたしは乗ったことのない高級車に気後れした。

このスポーツカーが、あの男根みたいなタワーマンションにインして、真理夫が生まれて。真理夫は車の中で、あたしの手をずっと握っている。

早く着いて欲しかったけれど、この先の道で事故があったらしい。のろのろ運転、スポーツカーが泣いている。

「のっこちゃんのお父さんは何してる人?」

信号で止まった時、真理夫ママが何気なしに尋ねた。

「パパは自衛官をしてます。ママは専業主婦」

あたしは人に聞かれた時、必ずこう答えるようにしている。真理夫は何か言いたそうだった。

「まあ素敵、内助の功ね」

「パパはスタローンみたいに強くて、悪い人をやっつけてくれるんだよ」

最後は真理夫に向けて言った。手をゆっくりと離してくれた。

「でもお父さんは家を空けることも多いんでしょう。寂しくない? のっこちゃん」

「いいんです、あたしはママがいてくれれば」

「強いのね、のっこちゃんは」

真理夫ママは、素直に感激していた。基本的に善良な人なんだろう。真理夫は好きになれないけど、この人なら気を許してもいいかもしれない。

家から少し離れたコンビ二前で降ろしてもらった。

買い物したいからと言ったが、真理夫ママに嘘がばれるのが嫌だった。どうせ真理夫がばらすだろうけど、今じゃないならそれでもいい。

「さよなら」

「またね、のっこちゃん。今度はうちに遊びにいらっしゃい」

真理夫のママは、真理夫がイジメられてることを知っているのだろうか。あたしが言う筋じゃないから黙ってた。

スナックに帰ると、あたしは中森明菜の「デザイア」をカラオケで激しく歌う。気が滅入った時はこれを歌うに限る。

うちのママは相変わらず煙草をくゆらせて、お客さんの相手をしている。

うちにパパはいない。あたしが物心つく頃にはいなくなっていた。ママもパパの話をしない。ヤクザもんか、死んでるか、いずれにしろどっちでもいい。

歌っている間は嫌なことは忘れていられる。パパも真理夫もタワーマンションも小骨のことも。


3


それから三日経っても、小骨は取れない。

そして七月、毎年恒例の台風現る。強風のため、学校が早くに終わって、午後一杯あたしは家でごろごろしていた。どうせ雨どしゃぶりですることなんかないし。

夕方になると、タンスと壁の間の狭いスペースに体を埋め、綿棒でへそのごまを取っていた。夢中になりすぎて、気づくと時刻は六時を過ぎていた。風が吹くと、ガタガタと家全体がきしむ。

ママはお店を休んで、中学の同窓会に出かけた。多分七時に帰ってくると言っていたので、あたしはそのままの姿勢で待つことに決めた。

固定電話がいきなり鳴ったので、縮み上がった。這っていって、受話器を取る。電話はママからだった。

「のっこー、ごめんね。台風で電車止まっちゃったんだ。帰り遅くなるわ」

「えー、うそー。お腹空いた」

「適当になんか食べてて。戸締まりはちゃんとするんだよ」

「ママ、男といるの?」

電話の向こうは、とても静かだった。駅じゃないみたいに。ママの声がふいに途切れる。それから高笑い。

「同窓会なんか行くもんじゃないね、デブとハゲしかいないから。紅顔の美少年も月日には勝てないもんよ」

「本当? 本当に?」

「いい男がいたら真っ先に紹介してやるよ。できるだけ早く帰るから良い子で待ってな」

あたしは、心細い胸の内を打ち明けられずに受話器を置いた。

雨足がしだいに強くなってきた。沈黙に耐えられなくなり、たまらずテレビのリモコンに手を伸ばす。

どこもかしこも雨のニュースでもちきりだ。暗い画面に憂鬱になって、テレビのチャンネルをめちゃくちゃに変えた。バラエティーがやってない。

テレビのスイッチを消し、リモコンを放り投げて、代わりにこけしを掴んだ。安心するわけじゃないけどないよりましだ。

こけしを撫でていると、ふいに家のドアがノックされた。

あたしは居留守を決めた。何となく人前に出たくなかったのだ。それでもドアはしつこく叩かれた。宅配便だと悪いから、重い腰を上げドアの前に立った。

「・・・・・・、どちらさまですか?」

誰何に答えない訪問者。それどころかまたドアを乱暴に叩く。

意を決して鍵を開け、ドアを少しだけ開けた。それと同時に雨音と風の息吹が一気に部屋になだれ込む。

ドアの向こうにいたのは、金髪、壁眼の女の子であった。ほっそりとした体つきをして、青のエプロンドレスを着ている。背はあたしより少し高い。金髪の毛先からぽたぽた水滴が垂れていた。彼女は、うんと小さい頃に、ミュージカルで見た不思議の国のアリスにそっくりだった。

あたしは、そっとドアを閉めた。あの娘は神様があたしを不憫に思って、遣わした友達かもしれない。

期待を込めてもう一度ドアを開けて、女の子を招き入れた。

「あのぉ、お名前いいですかぁ?」

あたしは気持ちの悪い照れ笑いを浮かべ、女の子に話しかけてみた。

部屋の明りに照らされた女の子は、言っちゃ悪いが、細いけど体の線が何かごつごつしていた。丸くないっていうか。あたしと何かが違う。

「僕だよ、僕」

ちょっとハスキーな声で喋る女の子が、金髪のウイッグを取ると、あたしの視覚がたばかられていたことが発覚する。

「あ、真理夫」

不思議の国のアリスは林真理夫だった。ご丁寧にカラーコンタクトまで目に入れて、なりきりやがってクソが。この時のあたしの落胆は筆舌につくしがたい。

真理夫はタオルを催促し、服を脱ぎ捨てた。その動き我が家の主人の振る舞いが如し。

「何か食うものないの?」

冷蔵庫の中にあったスルメをあげた。白ブリーフ一丁の真理夫がウロウロして落ち着かない。アリスはどこいった。

「どうして真理夫は女装してたの?」

真理夫は、ばつが悪そうにわざとスルメを強く何度も噛んでいた。

「母さんが無理矢理着せるんだ」

「嫌だって言えばいいじゃん。男だろ」

「フェイスブックに乗せるからって。ネットで僕は真理愛っていう女の子ということになっている」

「あらまー」

真理夫のママは、女の子が欲しかったと言っていた。真理夫はその願望の餌食になっていたのだ。同情はしなかった。真理夫も少なからず楽しんでいたはずだ。そうでなければ同級生の、しかも好きだと言った相手の家に逃げてくるわけない。

「お前の母さんは?」

「いない、同窓会行った」

「ふーん・・・・・・」

真理夫はスルメを食べ終え、牛乳をごくごく飲んでいた。

あたしはというと、壁とタンスの隙間に入り込み、お守り代わりのこけしを抱きしめていた。

「のっこ、僕が来るまで何してた?」

「へそのごま取ってた」

「何それおもしろそう、僕にもやらせて」

真理夫は目を輝かせて、詰め寄る。またエッチなことを考えてるな。

「自分のへそでやりなよ、綿棒そこにあるから」

真理夫は意外にも襲いかかってこなかった。座ってじっと自分のへそをのぞき込んでいた。

「お前、一人で寂しくないの?」

「別に。なれてるし」

どうして真理夫はここにいるのだろう。まさかアリスコスプレを見せびらかしに来たわけじゃあるまい。

真理夫はへそをのぞき込みながら言う。

「僕さあ、お前のこと好きって言ったじゃん」

「うん」

薄っぺらい中学生男子の言葉にあたしの胸は鷲掴みにされたように大きく揺れた。情けない。真理夫なんかにドキドキしちゃって。どうせ性欲が先んじてるのはわかってるんだぞ。

「あれマジだから。お前んちに借金あっても、のっこがちょっとブスでも」

真理夫は照れ臭いのか、あたしの顔をあんまり見ない。見なくて正解だ。今のあたしは、無防備のブスだから。

「最後余計じゃん、可愛いのっこって言えよ」

「じゃあ可愛いのっこ、好きだ。愛してる」真理夫があたしの前に正座した。あたしは逃げられないので、へそをのぞき込む振りをしていた。

「好きだ」

真理夫はあたしに聞こえないと思ったのか、身を乗り出してきた。熱い体温を間近に感じる。あたしが顔を上げると、すぐそこに真理夫の顔があって、いつもは生っ白い顔がゆでダコみたいにすごい真っ赤で鼻息も荒かった。

「ちょっと落ち着ちつきなよ・・・・・・」

自分に言い聞かせるみたいに、あたしが言うと強風が吹いて、家が波間の船みたく揺れた。

「のっこは僕のこと嫌い?」

あたしは反射的に首を横に振っていた。あれだけ嫌っていた真理夫に好意を示していることに愕然とした。きっとこの状況のせい。台風で、ママがいなくて、心細いから、流されてる。

真理夫はあたしの顎を持ち上げ、キスをした。唇が軽く触れただけなのに、火傷したみたいに熱く感じた。

「キス、初めて?」

真理夫の問いにあたしは素直に頷いた。真理夫は優越感に浸っているように見えた。

「喉触っていい?」

あたしの返事を待たず、真理夫は喉に触っていた。真理夫の手つきは手慣れてますますうまくなっていた。あたしの喉の専属マッサージ資格を与えてやってもいい。別に揉んでるわけじゃないけど、自分でする時には味わえない快感がある。真理夫もそれを知っているから得意になって、あたしに躊躇なく触れるのだ。

真理夫が一端手を離すと、あたしは生唾を飲み込んだ。するとあたしの喉を異物がするすると下りていく感触があった。清流を下る鮎の気持ちと言ったらいいだろうか。とにかく解放感! あたしは言葉にできずに真理夫の肩をバシバシ叩いた。

真理夫はそれを別のサインに受け取ったらしい。鼻の穴を膨らませ、あたしのTシャツをせっせと脱がしにかかった。

ちげーよ、OKしてないし。こいつは本当にスケベだな。あたしの心の声をよそに真理夫の動きは激しさを増す。しょうがない、おっぱいくらい見せてやるか。あたしも小骨が取れて、開放的な気持ちになっていた。あたしがTシャツを脱がし易いようにバンザイしていると、玄関のドアがすごい勢いで開いて閉まる音がした。

「外すごい雨だよ。ただいまー、のっこ。いい子にしてたか・・・・・・」

家は狭いので、ママの目にはあたしたちの姿が真っ先に飛び込んで来たに違いない。

ママはブリーフ姿で娘のTシャツを無理矢理脱がそうとする変質者を、こけしでぶん殴った。

あたしは近所に聞こえそうなほどヒステリックで無惨なママの悲鳴を押しとどめながら、泣きじゃくる真理夫を慰めるのを同時並行でしなくてはならなかった。

「真理夫は、あたしの彼氏なんだ! ちょっと背中がかゆかったから、掻いてもらっただけ」

ママはあたしの供述をあまり信用していないようであった。真理夫は家を出入り禁止になった。ざまあみろ。

しかし、なし崩し的に真理夫と恋人同士になってしまった。二人で縁日に行ったり、花火にも行ったりした。真理の家にも遊びに行った。

真理夫ママは、真理夫に女装を強要する以外はまともな人だった。あたしもきれいなおべべを着せてもらって、写真を撮ってもらった。

男根みたいな真理夫の家の一室で、何度となくあたしは、真理夫に喉を撫でてもらった。恋人というよりも、あたしは真理夫の猫だった。可愛がられて大事にされた。

あれだけがっついてた真理夫が三ヶ月の間も喉を撫でる以外何もしなかったことに、もっと早くに気づいていればよかったかもしれない。今となっては遅いけど。

真理夫はある時期から、家に呼んでくれなくなった。喉にも触ってくれなくなった。あたしは自分で喉をかきむしるようになっていた。血が出るまで四六時中。

首に包帯をぐるぐる巻いて、幽霊みたいな剣呑な目つきで真理夫に会いにタワーマンションに出向く日々。真理夫ママが応対してくれる。真理夫は留守です。他人行儀で。

同情でもいいから包帯の上から触ってよ。電話も出てくれない。

学校では真理夫に彼女ができたことが話題になってた。もちろん相手はあたしじゃない。

一つ上の先輩で読者モデルをやってる綺麗な子。その割大人しくて、別に高飛車な感じもしない良い子みたいだ。

「のっこのことは、大事にしたいから」

別れを切り出されたのは、それからしばらく後だった。順序逆じゃん。

もう誰もあたしの喉には触ってくれなくなった。抜け殻みたいになったあたしは、真理夫の同情を引くのもやめた。涙も出ない。

でも生きていかなくちゃいけない。

血がべっとりついたこのいやらしい傷が癒える頃には、あたしは少し大人になって、何かにすがる自分を変えることができるだろうか。(了)


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