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光は泡沫に踊る  作者: 牧田紗矢乃


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人魚の見る夢

 わたしは、白い建物の前にいた。わたしの体には、なぜか人間と同じ二本の足が生えていて、きちんと歩いて移動している。


 すぐに夢を見ているのだとわかった。自分が作り上げた空想の世界だということもわかっていた。

 周りには焼け爛れた町が広がっていた。そして、わたしは白い建物の同じく真っ白な扉に手をかけ、そこで目が覚めた。


 ここ最近、何度も同じ夢を見ていた。

 放浪生活からは、もう人魚の暦で何年もの月日が流れていた。この時間を人間の暦に直せば、数十年にもなるだろう。罰として切り落とされた髪も、腰まで伸びた。


 今さらになって思い出すなんて、おかしなこともあるものだ。そう思うのと同時に、ここからであれば、方角を頼りにもう一度あの町へ行けるのではないかという思いもあった。

 けれど、外出禁止令はまだ解かれていなかったし、父様や母様に外へ出たいと言い出せるような雰囲気でもなかった。だから、わたしは夢は夢のまま忘れてしまおうと自分の中で決めていた。


 そのうちに困ったことが起きてしまった。食事がのどを通らなくなってしまったのだ。食べようとして口へ含んでも、どうしても飲込めずに吐き出してしまった。

 そんな生活をしていれば、もちろん体重は落ちる。わたしは日に日にやせ細り、ついにあばら骨が浮き出るほどになってしまった。

 両親もさすがに心配になったのか、理由を問いかけてきた。心から心配してくれているのは良くわかったが、だからといってポンと話してしまえるような内容ではない。


「光弥、言いなさい」


 強い口調で詰め寄られても、手を上げられそうになっても、わたしは決して答えなかった。

 だんまりを続けるわたしを前に、母様は目を伏せた。母様の切れ長の目の端には、水晶のように輝くものがあった。母様の涙を見た瞬間、わたしはいたたまれない気持ちになった。

 しばしためらった挙句、わたしは重い口を開いた。


「夢を、見るの。何回も同じ夢を」

「怖い夢なの?」


 母様の瞳には憐れみの色が窺えた。本当に本当に、心配で仕方ないんだというのが痛いほど伝わってくる。

 母様の不安が少しでもやわらげば、とわたしは首を横に振りながら答えた。


「怖くはない。前に話した、白い建物がある町の夢なの」


 わたしの言葉を聞いた途端、父様の顔が曇った。母様は雷に打たれたように硬直してしまっている。

 二人の反応を見て、真実を告げてしまったことを後悔した。やっぱり、適当な嘘をついて誤魔化しておけばよかった。


「……光弥、それは本当なのね?」


 搾り出したような声で母様が聞く。わたしは無言で首を縦に振った。

 父様と母様が、同時にため息をついた。二人としても危惧していたことだったのだろう。


「それで、お前はどうしたいんだ」


 問いかけた父様だけれど、きっと答えは知っているのだろう。


「人間は嫌い。見たくもない。……でも」

「約束は、覚えてるんでしょうね?」

「もちろん。そうじゃなかったらもう見に行ってるよ」


 言った途端に二人の顔が険しくなった。


「じょ、冗談に決まってるでしょ?」


 あわてて取り繕うも、それを信じてくれた様子はない。仕方ないことでもあるのだけれど、きまりが悪くなってしまった。

 父様は腕を組んだまま難しい顔をしているし、母様も父様の顔色をうかがいながら無言で隣にたたずんでいた。


「それとご飯を食べないことと何の関係があるの?」

「……ない」


 じゃあどうして、とさらに続けた母様に、わたしは答えられなかった。答えようにも、自分でも理由がわからないのだ。


「だったら食べなさい」


 差し出されたのは、わたしの好物の海藻サラダだった。普段は真っ先に頬張るそれも、どうしてか美味しそうには見えなかった。

 おなかが空いてたまらないはずなのに、何も食べたくないのだ。そのことをそのまま告げても、理解はしてもらえなかった。


「……そんなに行きたいなら行けばいいだろう」


 父様がぽつりと言った。その言葉に、一番驚いたのは母様だった。母様は目を見開いて、髪を逆立てている。

 乱れた髪を手櫛で整えながら、母様は父様を睨み付けた。


「どうしてそんなこと言うんです?」

「理由がそれなら行かせてやるほかなかろう。ここで死なれても困る」

「それはそうですけど……」

「それに、何も一人で行かせることもなかろう」


 父様の言葉に、わたしも母様もハッとした。

 そうだ。一緒に行ってもらえば何も問題はないはずだ。なおも渋る母様を、父様があの手この手を使って丸め込んでくれた。


「明日は朔の日。人間も海へは来るまい」

「……わかりました。光弥、それでいいのね?」

「はい。ありがとうございます」


 わたしは深く頭を下げた。

 自分の部屋に戻ってから、わたしの中にこれまでとは別の悩みが浮かび上がってきた。


 ――もしあの町に行っても治らなかったらどうしよう。




 眠れないまま天井を見上げていると、遠くから父様と母様が話す声が聞こえてきた。


「お前は心配しすぎなんだ」

「だって……」

「お前の兄者がそうだからと言って、光弥までそうとは限らんだろう」

「同じなんですよ、兄様と。急にふらっといなくなったり、連れ戻しても拒食になって……。それでついにお父様が兄様を勘当したんですから!」


 わたしは一人きりの部屋で息をつめた。


 知らなかった。おじ様が勘当されていたなんて……。確かに、親族が集まる会でおじ様の姿を見かけたことはなかった。母様もそれが当然のことのようにしていたし、おじ様の話題になることもなかったからあまり意識することもなかった。でも……。

 そして、おじ様がわたしと似た経緯で旅に出たとは。母様は恐れているのだ。だからこそ、髪を切るという重い罰をわたしに科した。


 人魚は一生を同じ土地で過ごすのもだということは、わたしもよく知っている。時には、べつの集落に嫁にいく娘もいるが、それも極めて珍しいことだった。


「父様……母様……」


 わたしはうなだれながら居間へ向かった。二人とも気まずそうにわたしから目をそらした。

 今の話は聞かなかったことにして欲しいということなのだろう。

 気の利かないわたしは、しれっとした態度でおじ様の話を続ようとした。


「心配しないで。わたしはおじ様のようにはならないから」

「……」


 二人とも無言だった。黙っていればその話題が終わるとでも思っているかのようだ。

 わたしも嫌がらせがしたいという訳ではないので、「おやすみ」と言い残して重苦しい居間を抜け出した。

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