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光は泡沫に踊る  作者: 牧田紗矢乃


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帰郷

「そういえば、知っているか。人魚が減っている」


 不意に切り出したおじ様の横顔は、少し悲しげだった。わたしも薄々感じていたことだったけれど、実際に言葉になると重さが違う。


「それも、センソウのせい?」

「一部だが、そうだ。それよりも、捕まる方が多い」


 わたしたちを捕まえて何の得があるのだろう。


「まさか、人魚を食べたりなんて……」


 魚と同一視しているわけではないだろうと思いながらも、それ以外の目的が思いつかなかった。見世物にするなら、目に見えて数が減るようなり方はしないだろうし……。


「そのまさかだ」


 おじ様の返事に、わたしは絶句した。半身が魚とはいえ、もう半身は人間だ。半ば共食いのようなことを、どうしてするのだろう。


「人魚の肉は仙薬とされている」

「仙薬?」

「不老不死となるための薬だ」


 人魚は人間より多少長く生きる。しかし、人間と同じように老いもすれば死にもする。生き物であれば当然のことだ。

 そのものが不老不死でもないのに、どうして人魚の肉を喰らうことで不老不死になれよう。


 人間に対する嫌悪感が腹の中で渦を巻いていた。その渦に、わたしの中にあった人間の町への憧れは呆気なく飲み込まれてしまった。

 けれど、家に帰るのも気が引けた。半年も行方知れずになっておきながら何食わぬ顔で家に戻るなど、わたしにはできっこない。


「……帰りたくない」

「ん?」


 おじ様が怪訝な顔をした。


「光弥、人間の世に行きたいなどとは思ってなかろうな」


 てんで的外れなことを言ったおじ様に、今度はわたしが眉をひそめる番だった。そういえば、どこか別の国には人間に恋をして最後には泡に成り果てた娘がいた、なんて話を聞いたのを思い出した。


「安心して。人間なんて、見てすらいないわ」


 少しは嘘が混じってしまったけれど、おじ様はそれに気づいていないようだ。

 うん、と短い返事をすると、おじ様はぽりぽりと鼻の頭を掻いた。そして、尾ひれを動かすのをやめる。わたしたちの体は、ゆっくりと速度を落として止まった。


 おじ様が気まずそうに見つめるその先には、見覚えのある風景が広がっていた。

 一体に広がる砂地の中に突き出したあの岩や、その周りに生い茂る種々の海藻もよく知っている。気味悪く触手を伸ばすイソギンチャクも昔のままだ。そして――。

 その光景の中に突如として現れる建造物、人間たちが俗に言う「海底遺跡」こそがわたしの住む集落だ。そして、集落の端にある、一番きれいな形で残っている住居がわたしたち風波かざなみ家の住居だ。


 遺跡の周りはひっそりと静まり返っていた。


「誰もいないのかな……」


 わたしは岩陰に隠れながら、家の様子をうかがった。その間も、おじ様はわたしのすぐ隣にいた。けれど、身を隠す様子はなく、わたしは気が気でなかった。

 わたしの悪い予感は当たり、ドアのない玄関から誰かが顔をのぞかせるのが見えた。わたしは反射的に岩に張り付くようにして身を隠した。


「あら?」


 ソプラノの声がした。――母様だ。

 わたしは一層体を固くして、母様が家の中へ戻ってくれることを願った。水がうねったと思えば、わたしには一瞥もくれることなく、おじ様が家に向かって泳ぎだしていた。


「久しぶりだな」

「兄様じゃないですか。お久しゅう」


 声だけでわかる。母様は目を細めながら口元に手をあてがっているのだろうと。普段はぶっきらぼうな対応しかしないくせに、おじ様やお爺様の前では猫を被るのだ。


「どうしたんですの? こちらへ御用でも?」

「うむ。こちらへ来る用があってな。ついでに様子を見に来た」

「そうでしたの。ささ、うちで休んでいってくださいな」


 いつもよりも機嫌のよい調子で言うと、おじ様を家の中に連れ込んだようだった。

 わたしが安心して岩陰から顔をのぞかせると、家の前で怖い顔をして腕を組んでいる父様と目が合ってしまった。


 ――どうして!?


 混乱する頭とは反対に、体は硬直したまま動かない。こうして、わたしは父様としばしの間見つめ合った。


「……入らんのか」


 それだけ言うと、父様はわたしに背を向けて家の中へ消えていった。

 わたしは少しだけ気抜けして、父様の後に続いて玄関をくぐった。そういえば、玄関掃除はわたしの分担だったな。そう思いながら壁に手をつくと、藻がぬめった。


「うげっ」


 思わず声を漏らして、何度も手をこすり合わせた。そのたびに細かくなった藻が水中に舞い上がって、吸い込まないように必死で顔をそむけた。

 まだ指の間に藻がこびりついているような気がしたけれど、いつまでも玄関にいるわけにもいかない。よく見れば床にも海藻が芽を出して、部屋の隅にはヤドカリが散歩しているようなありさまだった。

 わたしがいなかった間、誰も掃除をしなかったんだろう。


 廃墟同然の玄関と打って変わって、廊下は藻の一つもないほどに磨き上げられていた。

 これでこそ我が家、と一人でうなずきながら進んでいくと、いつの間にか居間への敷居を超えていた。


「光弥、おかえりなさい」

「……た、ただいま」


 満面の笑みでわたしを迎えた母様が、なぜか恐ろしく感じられた。

 恐怖感の理由はすぐに分かった。母様はおじ様がいるから笑顔を作っているのだ。おじ様が帰れば、すぐに説教が始まるだろう。今までの経験で痛いほどによく知っていた。

 できることなら、おじ様にこの家に永住して欲しい。心の底からそう思った。


「兄様はどちらで光弥と会ったんですの?」

「山の近くだ」


 おじ様の言う「山」は、人間界でいう「海嶺」だ。そんなものを見かけた覚えはなかったが、もう少し進んでいけば山へ行きあたっていたのかもしれない。

 普通、山の近くには人魚は住まない。だから誰にも出会わなかったのだろう。そんなところでおじ様と出会うなんて、奇跡のようだ。

 ……なんて考えている間に、おじ様は玄関へ向かって泳ぎ始めていた。


「邪魔したな。また来る」

「あら、もう遅いんですから泊っていかれたらいいのに」

「いや、他にも行かなければならん所があるんでな。光弥、もう迷子になるなよ」


 最後の最後に告げられた言葉に、わたしは耳まで真っ赤になった。

 おじ様は手を振りながら家を出て行った。そして、おじ様の姿は海藻の森へと消えていった。


「さて、今までのことを話してもらいましょうか」


 一気に低くなった声に、自然とわたしの背筋が伸びる。逃げられないように肩をつかまれて、居間へといざなわれた。

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