第一話 胸に抱えた爆弾
——チッ……チッ……チッ……
時計の音がする。
それはまるで何かの終わりを告げるように、時間を刻んでいるようだった。
「検査は終わりです。あちらの待合室でお待ちください」
青ざめた顔の女性から聴診器を外すと俺はそう、告げた。
隣に立っていた看護師が部屋の外へと案内するが、女性は今だに椅子から立ち上がらない。
病院の検査室のような部屋の中には、彼女がカタカタと震える音と、時計の秒針が動く音がかすかに聞こえている。
何か言いたげにしていた女性が顔を俯く。
中々出ていかない彼女に困った俺は、看護師の女性に目配りをすると、悟ったように優しく問いかけていた。
「大丈夫です。検査結果、待ってましょう。それが終わったら、中に入れますからね」
看護師が言った言葉は嘘だ。
彼女にもこの——音が聞こえているはず。
だけど、検疫の向こう側に行けると嘘をついた。
優しい、嘘。
でも、この女性が中へと入れることは。
——二度とない——
俺は書類に目を通す。
病院のカルテのように、看護師に連れて行かれた女性の情報が載っていた。
身長に体重、年齢。後は症状に関する軽い問診。
その書類をめくればその下には、『診断結果』。
左側に陽性、反対には陰性と二つの文字が。
俺は目を左に滑らせると、指先に握ったペンを走らせた。
今日で……三人目。
最近は陽性の患者が、多い。
戻ってきた看護師へ、その書類を渡す。
何も言わない、表情も変わらない。
そう、訓練されてるのかもしれないけど、なんとなく不気味に思えた。
「確かに、お預かりしました。今日の検診はここで終了です。いつもの事務室に立ち寄ってからお帰りください」
そう優しい声なのに、眉毛一つ動かさない彼女に俺は目を合わせられなかった。
ただのアルバイトの俺にとって、この仕事は精神的にきつい。
だから、かなりの頻度で、人が辞めていく。
俺は給料も高いし、『隔離区』の中で受けられる特権に目が眩んで引き受けた。
結局、一年間耐えるように"死刑宣告"を突きつけてきたけれど、今も慣れてないが。
その気持ちは一瞬、だけだった。
第一検疫所。
陰鬱な気分にさせてくれる職場の名前。
荷物をまとめて帰り支度すると、外から聞こえてくる叫び声に体がビクついた。
「嫌だぁ! いやダッッ、、! 死にダぐないぃぃっ!」
俺が陽性と下した女性の声だと思う。
異常なくらい鼓膜が揺さぶられて、心臓の鼓動が早くなる。
「はぁ……」
陽性患者は——殺処分。
◇
借りた白衣と聴診器、他にも"医者の真似事"をするのに必要な道具を返却する。
お疲れ様です、と言葉を発して、その場を離れようとする不意に声をかけられた。
「あ、斗賀見さん。社員証忘れてますよ」
俺の胸を見て、受付の女性はそう言ってきた。
「え?」
視線を落とすと、俺の名前が書かれた社員証が首からぶら下がったままだった。
神祈斗賀見、社員証に貼られた自分の顔を見るたびに、犯罪者みたいだと思って好きになれない。
顔が見えないように伏せて渡すと、わざとくるりとひっくり返してくる。
「斗賀見さんの写真はいつ見ても囚人みたいですね。イシシッ」
「勘弁、してくださいよ。雪村さん」
たまにこうして意地悪なことを言ってるのは、雪村さん。
先輩社員で、俺とは違って第一検疫所の正社員。
「だって、今日は元気ないみたいなので」
雪村さんの、濃いまつ毛の向こうには意地悪と優しさの二つが浮かんでいるように見えた。
俺が不貞腐れるようにそう伝えると、雪村さんはくすりと笑って返す。
後でまとめられた髪の毛がひくっと動いて、人懐っこい犬が尻尾を振っているように見えた。
「良かった。少しは戻ったみたいだね。困ったらいつでも。お姉さんに言うんだよ?」
雪村さんは俺より一つ年上らしい。
仕事モードが終わると、彼女の口調から敬語が消えるのだ。
そう言えば、もう俺しか残っていないのか?
受付を待っている人が座る椅子が数個並べられているだけで、他にはなにもない。
カウンターの向こうに座ってる雪村さんと、俺の職場に繋がってる階段だけ。
人の気配は他にしなかった。
「今日は斗賀見くんだけ。あとは……全員途中リタイアしちゃったよ」
キョロキョロとしている俺の頭の中を察したかのように、雪村さんが説明してくれた。
「じゃぁ、明日からは……」
「一人だね——」
マジか……。一人って結構キツイんだけど。
給料アップしてくれないかな。
「本当は明日、斗賀見くんに説明する予定だったんだけどね。手当てが出るって言ってたよ——ご馳走様」
ニヤニヤする雪村さんに冷たい視線を送る。
何がご馳走様だ。
そう言うのは彼氏に言ってくれよな。
「奢りはしないけど、それは嬉しい話ですね」
さっきの仕返しとばかりに、俺は爽やかな笑顔を浮かべてやった。
彼女の返事を聞く前に、背中を見せると「ケチンボ」って、悪口を言われたが振り返らず真っ黒な自動ドアへと足を進める。
一枚目が開くと、その奥も真っ黒。
外はまったく見えない。
扉と扉の間に進む。
背後で自動ドアが閉まる音がして、少し待つと目の前の扉が開いて久しぶりの太陽とご対面できた。
「眩しっ」
久しぶりに見た太陽の光は、俺の目に刺さる。
瞼をしばしばと動かすと、無機質な塀が見えてそれより奥はよじ登りでもしないと見えない。
春の空気が肺に染み渡る。
チュンチュンと元気に鳴く鳥達の声を聞きながら、第一検疫所を後にした。
通路に従って歩いている。
門の前には銃を持った警備隊の人が二人立っていた。
軽く会釈をすると向こうが敬礼で返してくる。
これが俺の日課だった。
「——神が怒っている」
突然塀の向こう側から聞こえた声。
キーンっと言う音がして、両手で耳を塞ぐ。
ガサゴソとマイクを調整する音がして、一つ咳払いをする音が入り込む。
ゴホンッ、とわざとらしい咳払いの後に再び男の声が聞こえた。
「神が怒っている。この地球を好き勝手荒らした人間達に——」
だから、悔い改めて神に祈ろう。
この人も懲りないな。
毎日、この時間に始まる宗教勧誘の宣伝。
外の世界を見ることはできないけど、隔離区以外でも人が生きていることを唯一実感できる。
「チッ! またアイツか!」
警備隊の一人が重い扉を開けるように、無線機のようなもので連絡を取る。
「悲しい。泣いている。怒っている。だから、神は人間を滅ぼすことに決めた。塀の中の諸君はそれでいいのか? 私と一緒に祈ろう。そうすれば、幸せな世界が訪れる」
なんとなく、この言葉に今日は聞き入ってしまう。
足を止めて門を見ていると、独りでに開いた。
怒声を上げながら警備隊の一人が駆け出して行く。
その後は言い争う声が聞こえて、静かになった。
神に祈れば助けてくれるなら、なんで俺の両親は助からなかったのか。
毎日祝詞を上げて祈った父。
それに寄り添う、巫女の母。
そんな両親には二度と——会えない。




