精神科で見た、患者が“正常を演じた”結果
その男性は、
一見して“まとも”だった。
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整った身なり。
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言葉遣いも丁寧で、
教育者のような雰囲気があった。
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話す内容も、理路整然としていた。
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「宗教は、心の支えになります」
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そう語る一方で、
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「のめり込みすぎない方がいい」
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と、忠告することもあった。
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だが——
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別の日には、
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同じ口で、
宗教の勧誘をしていた。
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人を変え、
場所を変え、
繰り返していた。
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早朝。
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彼は必ず起きていた。
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長い時間をかけて、
読経を続ける。
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それは習慣というより、
執着に近かった。
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彼は、
自分を“正常”だと信じていた。
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病識はなかった。
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薬物療法にも納得していない。
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時折、
薬を飲んだふりをしていた。
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断薬が続くと、
苛立ちが強くなる。
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だが、
彼はそれを理解していた。
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怒りが続けば、
保護室に入る。
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行動が制限される。
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だから、
表には出さなかった。
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静かに、
何も問題がないように振る舞う。
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そして、
機会を待っていた。
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ある夜。
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消灯後の巡視。
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彼は、
布団を頭までかぶっていた。
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その日は、
日中も落ち着いていた。
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問題はないと判断した。
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翌朝。
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起床時間になっても、
反応がない。
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違和感があった。
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布団をめくる。
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そこには、
誰もいなかった。
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毛布が、
人の形に丸められていた。
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ベッドの横。
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小さな換気用の窓が、
開いていた。
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人が通れるかどうか、
ぎりぎりの大きさ。
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しかも、
二階だった。
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想定外だった。
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すぐに報告。
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警察へ連絡。
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職員でも捜索を行った。
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二日後。
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彼は見つかった。
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自宅の近くで。
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病院へ戻るとき、
彼は暴れなかった。
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静かだった。
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何も言わない。
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ただ、
こちらを見ていた。
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鋭い眼で。
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壊れている人は、
わかりやすいとは限らない。
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むしろ、
“普通に見える人”ほど、
見えにくい。
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