3. 信じていたのに
トマトの甘さに感動していた余韻は、一瞬で吹き飛んだ。
栗原くんに背中を押され、隙間に隠れた直後。
聞き覚えのある、穏やかな声が聞こえてきたからだ。
『やあ、堅。ここにいたのか』
心臓が跳ね上がる。
その声は、私たちのクラスの学級委員長、淡路 透くんのものだった。
彼はいつもニコニコしていて、クラスで浮いている栗原くんにも優しく接してくれる、数少ない「いい人」だと思っていた。
彼なら、私を助けてくれるかもしれない――。
そう期待して、飛び出しそうになった時だった。
『……ところで、堅。見てないかい? 白川さん』
足が止まる。
声のトーンが、さっきまでと違った。低く、ねっとりとした響き。
『彼女、次の授業の準備係なんだけどね』
嘘よ。次の授業は自習だって、朝のホームルームで彼自身が言っていたじゃない。
なんで嘘をついてまで私を探すの?
『最近、彼女へのストーカー被害が増えているだろう? 変な虫がついていないか、僕が『管理』してあげないと』
――え?
管理?
心配、じゃなくて?
『そうさ。彼女はクラスの、いや学園の至宝だ。適切な湿度と温度で保存……じゃなくて、保護されるべきなんだよ』
全身の血の気が引いた。
保存? 人間に対して使う言葉じゃない。
隙間から少しだけ見える彼の横顔は、いつもの爽やかな笑顔だった。でも、眼鏡の奥の瞳は、獲物を探す爬虫類のように冷たく光っていた。
怖い。
あの優等生の淡路くんが、実は一番ヤバい人だったなんて。
今まで「何かあったら相談してね」と言われていたけれど、もし相談していたら……私はどうなっていたの?
『ここにはいない。用が済んだら消えろ』
栗原くんの声が響く。
彼は淡路くんの幼馴染だと聞いたことがある。
もし、彼らがグルだったら。「おい淡路、ここにいるぞ」と言われたら、私は終わりだ。
お願い、売らないで。
祈るように両手を組む。
『俺が他人の顔を覚えてると思うか?』
『……ははっ、違いない』
淡路くんが笑って、遠ざかっていく。
栗原くんは、私を売らなかった。平然と、友人に嘘をついてくれた。
彼が去った後も、震えが止まらなかった。
栗原くんが振り返り、私を見る。
「き、聞いた……? 今の……」
「ああ」
「淡路くん……よね? 保存って……」
「あいつが親玉だ。諦めろ」
栗原くんは淡々と言った。
でも、私は気づいてしまった。
この学園で、私のことを「保存したい至宝」としてではなく、ただの「人間」として扱ってくれるのは、この不愛想なイガ栗くんだけなんだと。
(……もう、ここしか居場所がない)
恐怖のあまり、私は無意識に栗原くんの作業着の裾を握りしめていた。
泥がついたその布だけが、今の私にとって唯一の命綱だった。




