その4
「本部長、少しお話したいことがあります。お時間よろしいでしょうか」
本部長に聞きたいことが山のようにあった。
嫌な想像をしてしまって、少し本部長に敵対意識を覚えている。それでも、あくまで冷静に。
「話とはなんだろうか、坂上」
「聞きたいことが大きくわけて三点あります。一つ目はあの姿の変わった迷い人のこと。二つ目はこの仕事の危険性について。三つ目はニトのことです」
そういうと本部長は、聞きたいことが明確にまとめられていてとても良いと褒めてくださった。
「あまり時間が無いので、手短になってしまうが……姿の変わった迷い人ってことは、ついに君も見てしまったんだね」
「あれはなんなんですか? いや、ニトから少し説明は聞いているのですが」
「あれはね、負の感情を背負いすぎた迷い人だ。基本、死んだ人は流れで幽世に行けるのだが、行けずに現世を徘徊する者が出てくる。それが普通の迷い人。しかしね、迷い人も、長く放置されると、本当に路頭に迷ってしまうんだ。その結果、ああいうおぞましいものに成り果てるんだね。あとは、最初からあの姿になる迷い人もいる。自殺者や酷い感情を打ち付けられて殺された者、引きずられて迷い人になった者などが代表だね」
「じゃあ、俺とニトが廃墟で見たのは?」
「対象になっていた三十代の男性は、あの家で自殺した者だよ。他のは、引きずり込まれたうちの社員だったみたいだね」
「それをわかってて、言わなかったんですか?」
「いいや。君たちが報告してくれたから分かったことだ。我々の技術では、まだ迷い人を探して、大まかな特徴を掴むことくらいが限界だからね。本当に強力な力を持っている迷い人なら分からなくもないが、今回のは、それに当てはまらなかった」
「じゃあ、あの詠唱については? ニトから業績トップテンになれば教えて貰えると聞いていますが」
ニトが使っていた詠唱。寿命を削る代わりに強制的に幽世の鏡を開けるもの。どうしてこんな危険なものを使わせているのか。このことに関しては、社員のことを捨て駒のように使うつもりなのかと、少し憤りを覚えていた。
「あれはね、本当にどうしようもなくなった時用の超緊急時用に教えているんだ。私からも、使うことを推奨していない。生きて帰って来れないと判断した時、本当に最悪の時だけ使いなさいと教えている。私も、入社以来何度も現場に出向いているが、その詠唱は一度しか使ったことがない。それこそ、風音二兎を助けた時だけだ」
「本部長は、社員が次々居なくなるのをどうお思いで?」
「……とても悲しいよ。私も人間だ。社員一人一人を大切にしたい。しかし、仕事柄どうしても危険は伴うんだ。そうならないように尽くしてはいるがね」
本部長は、目を瞑って下を向いた。意図して、人を捨て駒にしているわけではないらしい。
「風音二兎は、今まで色々な社員と組んで来たんだが……」
ニトのことを聞く前に、本部長からニトの話をし始めた。声のトーンから、先程までとは比べ物にならない重さを感じる。
「ことあるごとに、誰かを守ろうとしてあの詠唱を使っている。……先日も、使ったようだね。おそらく彼は、次あの詠唱を使ったら、その場で寿命が尽きて死ぬ」
「え……」
急なこと過ぎて、一瞬頭の動きが止まった。いつもあんなに呑気にダラダラしているのに、実際はもう、ほぼ未来がない状態だったのか。その上、俺のせいで、更に死に近づいたのか。
「君には、風音二兎の教育を頼んでいるが、その真意は、彼を真面目に働かせたいからじゃないんだ」
「と、言いますと?」
本部長が、口を開こうとしたところで、本部長を呼ぶ女性の声がした。
「すまない、そろそろ時間だ。私はこれで失礼する」
本部長は、俺に背を向けて廊下の床をコツコツと鳴らしながら進んでいく。
「二兎を、頼む」
本部長が、そういったような気がした。
それから更に二ヶ月が経って、季節はすっかり冬になった。あの日以降、ニトは様子を一変させてくることはなかったものの、たまに暗い表情をしているところを見かけるようになった。本人は変わっていないつもりなんだろう。だから、あえてつっこまなかった。
「キショー、今日も仕事?」
「当然ですよ。働いている以上、毎日が仕事です」
「うわは〜、社畜〜」
「一緒に仕事してるんだから、出勤日数自体はあなたも同じですからね」
「うっわ……意識したら体が重たくなってきた……帰っていい?」
はいはいと流して、仕事に引きずる。……いや、仕事だからしょうがなくなんだ。ニトの残りの時間のことを考えると、俺なんかより、ニトの方がこの仕事を……。いや、気が滅入るだけだ。この考え方は、一旦やめよう。
「んで〜? 今日のは〜? 対象どんなんだっけ?」
「え、あぁ。今日は……深夜三時頃、花郷中央病院、四○三号室。対象は、三十代女性。死因は、悪性新生物による侵食……? 要するに癌でいいんだよな」
「そうなんじゃないの? 知らねぇけど」
ニトは大きなあくびをしていた。まぁ、今深夜二時を過ぎているから、そうなるのも無理はない。
「もうすぐ着きますよ。しんどかったら無理しないで」
「……なんか、優しくされるとキショーいな。がんばるがんばる。あ〜、頑張るぞ〜」
ニトは、背伸びをしながら俺の後ろを着いてきていた。
深夜二時四十五分、花郷中央病院。大きな病院だが、少し古い造りであるため、いかにも出そうという雰囲気であった。
警備員の方に挨拶をしてから病院内に入る。警備員は、うちの会社の人間らしいため、俺たちの事情を隠す必要はない。非常灯の緑のみが照らす病院の廊下を進んでいく。さすがに気味が悪い。懐中電灯は使ってもいいらしいが、他の病室の中には一般の患者さんもいるので、できるだけつけないようにした。
「着きましたよ」
いつもこう言ってもニトは、へいへい、じゃあお願いします、オレは見てるからとか言うだけなのだが、一応こうやって声をかけている。
しかし、今日のニトは少し様子が変だった。
「ニト……?」
俺には見えていない、何かを見ているような目をしている。俺が声をかけているのに、俺を無視して、勝手に病室の扉を開けた。何かがおかしい。
四○三号室は個室で、ベッドはひとつしかない。そのベッドの上に、病人のような女性が上半身を起こして座っていた。
月光に照らされていて、とても美しく見える。
ニトはその女性に一歩一歩近づく。自ら仕事をしたことがほとんどないニトが、自ら、彼女の肩を叩いた。
「かあ、ちゃん?」
普通、迷い人の肩を叩いたら、迎えに来たことを告げなければならないのだが、ニトが発した言葉は、それとは異なっていた。ニトの手が震えている。もしかして、この迷い人は、ニトの……。
「ニト。大きくなったね」
相手は死人ではあるが、感動の再会を果たしているようであった。今回の対象が、ニトの母親だなんて、思いもしなかった。今までしてきた仕事の中で、一番心苦しい。
「小……生だっ……レが……」
記憶の中にかすれた声が流れる。過去の記憶を、脳が呼び覚ましているようだった。
しかし、この感動の再会を、引き止めて仕事をするのは、真面目に仕事をするとかそういう問題よりも、倫理的にどうなのかと。
「……レが見た……は、あんな……感……オレの……」
頭の中で何かが繋がろうとしている。そういえば、最初に覚えたはずの違和感はなんだったのだろうか。
「ニト」
「かあちゃん……何年ぶりだよ」
「さぁ。もう、何年経ったかな」
何年……? 迷い人はそんなに長い間この現世には存在できないはず。それこそ、存在してしまったら……。
「オレが見たのは、あんな感じになったオレの……母ちゃん」
脳の中で流れた記憶が繋がってハッとする。ニトの母親は、既に本部長によって幽世に送られているはすだ。じゃあ、この、女性は……?
「ニト、ニト。ごめんね、寂しかったね」
女性は、穏やかな笑みを浮かべている。おかしい。辻褄が合わない。ニトはなんでそれに気がついていないんだ……?
あの迷い人は、ずっとニトのことばかり見ている。俺には気がついていないような感じだ。都合がいいので、そのまま女性をよく観察する。至って普通の迷い人だ。
「……あ」
迷い人は、何の変哲もない迷い人だ。けど、ニトが、透けている。あの迷い人は、ニトを連れていこうとしているのか。
「ニト、ごめんね。ずっと待たせちゃった。もう大丈夫だからね」
ニトが少しずつ透明になっていく。この迷い人は、間違いなくあの、空き家と同じタイプだ。仕掛ければ、前みたいな状態になる。けど、放っておけば、間違いなくニトが連れていかれる。なんでこいつがニトを狙うのかはわからないが、ニトを、助けないと。
勢いをつけてニトに寄り、頬に一発ビンタをかます。
「目ぇ覚ませニト! お前の母親はもう居ないはずだろ!」
そう言うと、ニトはハッとした顔をした。透明になりかけていたニトの体は、もうハッキリとしていた。対して、女性は……。
「ニト、ニトニトニト!! オマエハシヌベキ!!」
先程まで美しい笑みを浮かべていたあの顔から一変し、口は裂け、瞼は無く目がむき出しになって、圧のある恐ろしい笑みをこちらに向けていた。
「行くぞ、ニト!」
まだ少しぼうっとしているニトの手を引いて、病院の廊下に飛び出した。
「ユルセナイ、ユルセナイ」
「オマエハシヌベキ、オマエガシヌベキ」
病室と言う病室から、おぞましい顔の迷い人達が這い出てくる。次々に行く手を阻んでくる。
「……キショー、オレ」
「ちょっと夢でも見てたんだろ? さぁ、何とかするぞ」
ニトは状況をみて、唾を飲んだ。
「キショー、アイツらさ……多分、オレがちゃんと助けてやれなかった社員達だ。だから、オレに怒ってんだ。だからさ、キショー。オレ……」
ニトはそういうと、立ち止まって、詠唱を始めた。
「……この世にて未練を残しし悲しき者共よ、迷うことすら許されず、縛りの中で苦しむ者共よ。我が命によっ、んん!?」
ニトの口を塞ぐ。そして
「この世にて未練を残しし悲しき者共よ、迷うことすら許されず、縛りの中で苦しむ者共よ。我が命によって……」
ニトは意外と力がないらしく、俺の手を自分で口元から外すことが出来ないようだ。ふぐふぐという感じで、やめろ、キショーと言っているのが分かる。でも
「幽世の鏡を解放しない!!」
そう言うなり、ニトの口元から手を離す、ニトがはぁ!? という顔でこっちを見ている。
「俺もお前も、この詠唱は禁止だ。あの時言っただろ? 死なないようにするって。だから、これは使わない。使わずして、仕事を完了するぞ」
そう言って、俺は、唯一の突破口であった、非常扉を力強く開けた。
「体大丈夫か! ニト!」
「お前こそ! 頭大丈夫かよ!?」
「俺は問題ない! お前が何抱えてるのか俺はしっかりとはまだ分かってやれないが……過去のことは変えられんからな。今から先の未来を変えるために、俺達は仕事を続けるぞ!」
階段をかけ下りる。ニトもあぁもうという感じで着いてくる。
「降りてどこ行くんだよ!? 撤退は仕事したことにはならねぇぞ!?」
「分かっている! だから、一番近い幽世の鏡まで向かう!」
「はぁ!? 場所全部把握してんのかよ! ほんとクソ真面目だな!」
「お前が何度も言うとおり、俺は真面目通り越すほどのクソ真面目だからな!! それくらいやってる!!」
あの迷い人たちは、相当ニトに対する思いが強いようで、非常階段を、雪崩のようになって降りてきた。思っているより早い。
「ああなった迷い人なんかな、ほとんどやべぇオバケと変わらねぇのよ! あの詠唱だっていつでも使えるわけじゃないんだからな! 失敗したら死ぬぞ!?」
「だから死なないようにするって言ってるだろ? きばれよ、ニト!」
頭の中で、幽世の鏡までの最短コースを思い浮かべる。そこにたどり着ければ、無理やり鏡を開く必要もない。
「つか、普通の鏡に吸い寄せなんて機能ないだろ? どうするんだよ」
「それは……」
走りながらニトを見る。ニトはしばらくわかっていない顔をしていたが、何かを察したようだった。
「カッコイイこと言っときながら、そりゃないでしょ」
「悪いが俺は、別に頭がいいわけじゃないから、それくらいしか思いつかなかった。だが、安全は補償しよう」
深夜の町を、社会人二人で全力疾走して行く。傍から見たら滑稽な状況だが、見える人にとっては、とんでもない状況である。人とも呼べぬよう者共に、ものすごい勢いで追われているのだから。
三丁目を右、次の交差点を右、そして三つ先の信号を左。
やっとで目の前に幽世の鏡がある路地が見えた。最短距離とはいえ、そこそこ距離があった。俺は割と平気だが、ニトは息を切らしている。
「迷い人様をお連れしました。彼の逝く道をお示しください!」
俺がそう言うと、真っ暗な行き止まりの路地に、幽世の鏡が浮び上がる。俺はその鏡を飛び越して、塀の上に登った。ニトは、鏡の前に立ったままだった。
うぞうぞとあの迷い人達がニトに迫ってくる。奥にある鏡なんて、見えていないようだ。
「ウォアアアア!!」
迷い人たちが、ニトに手を伸ばす。ニトはそれを見てから、俺の方に手を伸ばした。
「頼んだよ、キショー!」
迷い人の手がニトに触れるスレスレでニトを塀の上に引っ張りあげる。勢いのついた迷い人たちは、そのまま幽世の鏡に自ら入っていく。俺たちは、バランスを崩して塀の向こう側に二人揃って落ちてしまった。それと同時に、鏡が閉じる気配がした。もう、迷い人たちの気配もない。
「……隣が空き地で良かったねぇ。成人男性二人が私有地に流れ込んでたら、今頃オレ達御縄になってるよ」
「そうだな。頭の悪い作戦でごめんな。けど、これで」
「仕事完了、お疲れ様でした……ってことだね」
起き上がることすらせずに、そのまましばらく空を見ていた。俺たちが見ていた空は、まだ夜明けを迎えてはいなかったものの、とても澄んだ綺麗な夜空だった。
「坂上、お疲れ様。仕事の件についてなのだが……」
数日後、本部長がまた直々に俺のところに来た。
「はい、何でしょうか」
「先日の活躍、報告を受けたよ。ありがとう」
「いえ……普通に仕事をしただけなので」
俺がそういうと、本部長は、謙遜しなくても大丈夫だと言った。
「それで、君に教育を任せている風音二兎についてだが、その活躍ぶりであれば、それぞれで動いても大丈夫だろうと判断した。君は、教育係を卒業し、二兎は三年ぶりのひとり立ちだ」
活躍したから、もう教育が必要ないということか。まぁ、元々ニトは俺より出来るやつなんだ。色々態度というか、事情に、問題があっただけで……。
「……あの、本部長」
「なんだね、坂上」
「その件についてですが……」
本部長との話を終えて、休憩室に行く。休憩室の扉を開けると、ソファの背中から、靴下を履いた足がのびてきた。ニトがいる。
「それ、俺だって分かっててやってるんですか?」
「そうだけど。何? はしたないからやめろ〜みたいな感じ?」
「分かってるならやめてくださいよ」
ニトは、へいへいと言うと、ソファから起き上がった。
「本部長あれでしょ? もう教育しなくていいよ〜ってでしょ? 今日でオレたちも最後ってわけだ」
床に雑に脱ぎ捨てた靴を、足で寄せてニトは履いていた。普段だったら注意するが、今は注意しなかった。謎に少し緊張する。
「いや、その件についてだが……ニトが良ければであるんだが、俺達はその、普通に仕事仲間として組むのはどうかと、提案してきたんだ」
ニトは、それを聞くとふっと吹き出して、腹を抱えて笑った。
「オレと組む!? お前バカじゃん!! んで、本部長なんて!?」
「本部長は……その」
「ソッコーいいねっつったんでしょ!? そりゃそうだよなぁ! だって、それオレが先に提案したんだもん! キショーも同じ提案するとか! 笑えるんだけど!」
「はぁ!? え!? じゃあなんで先に言ってくれないんだよ!?」
「キショー真面目だから、オレから言ったら嫌でも断らないじゃん? だから今からのキショー見て判断しようと思ってたのに! 判断するまでもなかったわ!」
靴を履いたまま、足をパタパタさせてバカ笑いしている。なんだろうか、してやられたような気持ちになった。
「まっ、いいや! 同じ気持ちなら話早いじゃん」
ニトは起き上がって、休憩室内の自販機の前に立つ。ニトがしゃがみこんで買ったものを取るなり、それをこちらに投げてきたので、パッと受け取った。缶が温かい。
「おっ!」
「慣れた。約半年間一緒に仕事してたから」
「ほ〜ん……じゃあ、今日からは相棒ってことで。よろしくな、貴翔」
「あぁ、よろしく。ニト」
缶を開けて温かいコーヒーを飲む。
「あっ!? 苦っ!?」
「へっへ〜! よく考えれば、あの時人のこと囮に使いやがったこと、文句言ってなかったからお返しだよ〜だ」
「お前……」
「あ、あと、たまに敬語使うのやめてよね。敬語なんて使わなくていいって。もう相棒なんだし?」
ニトは、楽しそうに笑っていた。
コーヒーの味は苦かったが、まぁ、それはそれでいいのかもしれないと思いながら、温かい缶を握っていた。
缶コーヒーをキャッチするっていうめちゃくちゃかっこいいシーンを書くためだけに、数日かけて話を書くことになるとは思いませんでした笑
でもめちゃ楽しかったな、、、本来見ていたコーヒーの味とは違うかもしれないんだけど、ひとつまた別の缶コーヒーとして味わって頂けたら幸いですね()