その3
ニトと仕事をするようになってから、もうすぐ二ヶ月が経つ。仕事となれば毎回行動を共にしているにも関わらず、ニトが仕事をする姿を一度も見たことがない。しろと言ってもしない。
「俺と組む前、一体どうやって仕事してたんですか?」
「ん〜? 他の奴と組んでたよ。オレは基本誰かと組んでんの」
組んでる……というよりはおそらく、誰かしら教育担当を着けられていたんだろう。言い方的に、俺の前に何人も教育係が居たような雰囲気だったが、誰かが着くごとに、こいつの態度に嫌気がさして降りていったんだろう。
「んで〜? 今日は〜? あーあ、帰って漫画とか見てぇなぁ」
あまりのやる気の無さに、流石に気が立った。俺一人で行く……そう言いたかったが、それは職務放棄に当たると思って、ぐっと堪えた。
「本部長直々の仕事だからな……やる気のない先輩の指導も……立派な仕事だ」
小声でそう言い聞かせて、仕事に向かった。
時間は午後九時を過ぎた辺り。場所は空き家。死因は心不全、歳は三十くらいらしい。
空き家にはもう、電気が通っていないらしいので懐中電灯を持ち込む。予備の電池もバッチリだ。懐中電灯がちゃんと着くのか、もう一度確認する。大丈夫、しっかり着く。
道中、急にニトの気配を感じなくなって振り返る。ニトは、呑気に自販機で飲み物を買っていた。
「何してるんですか。はやく」
「ねぇ〜、キショーって、コーヒーあったか〜い派? それとも、つめた〜い派?」
「え」
言葉を遮られて聞かれたことがそれだった。
コーヒーの好みを聞くのなら、ミルク派だとか、ブラック派だとか、そういう話じゃないのか?
「どっち?」
「え……ホット派でっておぉ!?」
言ってる途中で、今度はコーヒー缶が飛んできた。間一髪でキャッチする。缶が冷たい。
「ごめーん、まだこの時期つめた〜いしかなかったんだったわ」
バカにされている。そんな気がしたが、ニトはニヤニヤしているわけでもなかった。よそを向いて、缶コーヒーを飲んでいた。
「……えっと」
手元にある缶コーヒーを見る。貰っていいということなのだろうか。
「飲まねぇの?」
「え、いや、これは」
「あげるってこと。そこまでしっかり確認しないと気が済まないのな。ほんっと、オレが見てきた中で、一番クソみたいに真面目だよ。なんなら真面目通り越してそうだ」
ニトは、自販機の横にあるゴミ箱に、空き缶を投げ入れる。俺も、さっさと飲んでしまって、ゴミ箱に空き缶を入れた。
「きばれよ、キショー」
俺の肩をトントンとした後、目を合わせることもなく、先にてれてれと歩いていってしまった。
なんだろうか、少しいつもの雰囲気と違って、調子が狂う。
しばらくして、対象がいるとされる空き家に着いた。
トタン張りの二階建てで、壁は蔦が覆っている。下手をすると、崩れるかもしれない。
対象の死亡推定時期は一年前。特殊清掃が入ったのが三ヶ月前だ。その割に、家がボロボロ過ぎる。対象は生前、こんな所に住んでいたのだろうか。
扉に掛かっている蔦を引きちぎり、懐中電灯をつけて扉を開ける。蔦の侵食はあるが、中は思っていたよりも綺麗だった。特殊清掃の力だろう。
意外と綺麗とは言えど、床には砂や埃が溜まっている。足元を汚したくなくて、土足で家に上がってしまった。少し気が引けるため、玄関から上がる前に一礼する。意味は無いかもしれないが、こういうのは、気持ちが大事だ……多分。
ギシギシなる廊下を進んで、居間に着く。対象は居ない。
「トイレとか風呂場とかも見たけど、いなかったよ」
「じゃあ、二階か……」
軋む階段をゆっくりと上がっていき、ふたつある部屋のひとつの扉を開ける。しかし、そこにもいなかった。残る扉はあとひとつ。
最後のドアノブに手をかけて回す。ギィィと音を立てて扉が開くと、窓の外を眺める、三十代くらいの男性が居た。間違いない。彼だ。対象まで、静かに距離を詰める。
三メートル、二、一……。
「キショー! 下がれ!!」
ニトが突然大声をあげる。次の瞬間、左腕を掴まれて引っ張られる。目線の先には、目が飛び出し、目、鼻、口から、血なのかも怪しい液体を垂らした、おぞましい顔の男性が居た。
「なっ!?」
「オマエダ、オマエダ、オマエオマエオマエエェエエェエ」
背筋が凍る。なんだこいつは、こんな迷い人、見たことがない。
「ツレテケツレテケ、コイツヲユルスナツレテケ」
押し入れからも、似たような顔のやつが目視できるだけで三人。思わず落としてしまった懐中電灯が、押し入れの中を照らす。押し入れを見ると、三人どころか、十人分の目玉がこちらを見ていることがわかった。
「コッチコッチオイデオイデ」
腕を引きずられて、押し入れの方に連れていかれそうになる。あの中に連れていかれたら終わりなことくらい、嫌でも分かる。しかし、迷い人の力が想像以上に強くて、対抗できない。
「死ぬなよ! キショー!」
ニトが飛び込んできて、どこから持ってきたのか分からないデッキブラシを振り回した。俺の腕を掴んでいた男性は怯んで手を離す。それを見た押し入れの中のヤツらがワラワラと呻きながら這い出てくる。この狭い空間で、あんな数相手にできるわけがない。そもそも、ここから幽世の鏡まで連れていくことすら困難だ。
一旦引くことも考えたが、逃げ道が塞がれてしまって、どうすることも出来ない。
「この世にて未練を残しし悲しき者共よ、迷うことすら許されず、縛りの中で苦しむ者共よ。我が命によって、幽世の鏡を解放する!」
突然、ニトが何かの詠唱をした。ニトは詠唱が終わるなり、最初に男性が見ていた窓を、デッキブラシで叩き割った。
するとそこに、幽世の鏡が開いて、とても強い鏡向きの風が吹いた。迷い人らしきヤツらが、悲鳴を上げながら鏡に吸い込まれていく。
「イヤダイヤダオレハシンデナイシニタクナイイキテイタイ!!!」
対象の男性が地面にしがみつき、俺に助けてと言わんがばかりに手を伸ばす。見た目はあれだが、本質は普通の迷い人と同じなのか……? 無意識に手を伸ばそうとしたその時、反対側の腕をニトが掴んで引っ張った。
男性の腕は宙をかいて、そのまま鏡に引きずり込まれて行った。
「迷い人様をお送りしました! お導きお願い致します!」
ニトがそう言うと、風が徐々に収まり、鏡は消えていった。
急に力が抜ける。三年間、この仕事をしてきたが、こんなことは初めてだった。その上、こんな事例があると聞いたこともなかった。
「な、なんだったんだ……!? これはどういう事だ!? というか、何故ここに鏡が開く? 鏡は特定した場所にしか存在しないはずだろ!?」
「……そうだね」
ニトは手に持っていたデッキブラシを投げ捨てた。バシンと床を叩くような音が鳴る。
「とりあえず仕事は終わったよ、キショー。ここ、崩れるかもだし、出てから色々教えてあげる」
そう言うと、ニトは先に階段を降りていった。ニトが掴んでいた俺の袖に、血が着いている。窓を割った時に、怪我をしたんだろう。
階段を降りて、家の扉を出る。あの者達への弔いとして、もう一度深く頭を下げた。
「お疲れ様、よく生きてくれたね」
「ちょっと待て! 全く意味がわからん。説明してくれ。あと、手の怪我、見せろ」
「怪我ぁ? あぁこれは気にすんなってイッタァ!?」
手を隠そうとするニトの手を掴んで、消毒液をかけて手早くガーゼを当てた。
「適切な治療は、大事だろう」
「なんでそんなもん持ってんだよ女子か!?」
「万が一に備えるのは普通じゃないのか」
ニトは、深いため息をついた。
「あ〜はいはい、ありがとうね。じゃあ、とりあえず帰りながら説明するわ」
俺たちは、珍しく並んで歩き始めた。
「キショー、一応業績は上の方だけど、アレ見るのは初めてっぽかったね」
「初めてだ。あれは迷い人……なのか?」
「そう。あれは迷い人。正しくは、迷うことすら許されない、迷い人。一般的に言う、ヤバい地縛霊」
迷い人は、特定のから動けないものが多い。基本的には、一番思い入れのあった場所や、死んだ場所がその特定の場所になる。しかし、今回のは。
「学校や病院ならまだしも、どうしてあんな民家に集まっていたんだ?」
「そうだね……迷い人が集まるパターンは二つ。ひとつは、反抗タイプの迷い人。仕事の情報渡される時にさ、同時にその対象の情報能力も言われるでしょ? 迷い人の情報能力が高いほど、集まって反抗してくる可能性が高いから、そうやって言われてんの。ここまではわかる?」
身振り手振りをしながら、ニトは本人なりに教えてくれている。
「あぁ……はい」
「二つ目は、仕事中に死んだやつがそのまま迷い人になってるパターン。今日のはそれだよ」
仕事中に死んだやつ。つまり、今日みたいなのにひきこまれてしまったやつってことか。
「そんな危険がある仕事だとか、聞いたことないが」
「そうだね〜。基本的に、ああいうヤバいやつはね、会う前にヤバいってわかるから、仕事熱心じゃないやつは職務放棄して逃げる。なんならそのまま辞めるよ? 真面目なやつでも、素質が高ければ、あれを見抜いて仕事を降りるか、死ぬ気で挑む。挑んだやつは殆どが死んで、帰ってこない。だから、危険だって報告がなくて分からない」
聞けば聞くほどやばい仕事だって思う。そんなこと知らされたことないが、本部長や国は、わかっていてこの仕事をさせているのだろうか。
「じゃあ」
「なんでオレが生きてるのか? でしょ。俺が初めて見た迷い人が、あのタイプだからだよ。まだ小学生だったオレが見たのは、あんな感じになったオレの母ちゃん。そんで、オレがヤバいってなってた時に助けてくれたのが今の本部長」
「ニト……」
「同情とかいいから。あ、するならお菓子ちょーだい」
カバンの中を漁り始めると、ニトがお菓子は冗談だと言った。
「でも、その……あのタイプを見たからって、生き残る理由にはならんだろう?」
「お、鋭いね。俺が生き残ったのは、幽世の鏡を強制的に作り出すあの詠唱のおかげだよ。あれはね、業績トップテンに入れば教えて貰える」
「じゃあ、ニトは……」
「オレちゃん二位〜。一位はもちろん本部長だよ。まぁ、オレの場合は、本部長がそれ使ってるところ見たから、最初から知ってるチート社員だったけど」
ニトは思っていたよりすごい人だったみたいだ。じゃあなんで、俺に教育なんかされないといけないんだろうか、この人は。
「真面目なやつは早く死ぬって、言ったでしょ? オレ、今まで色んなやつ見てきたけど、トップテンに入った中で真面目なやつはさ、あの詠唱、馬鹿みたいに使うんだよ」
「強力な詠唱じゃないか。使わない方がいいのか?」
俺がそう聞くと、ニトは分かってないなと言わんがばかりにため息をついた。
「オレが詠唱中に、『我が命により』って言ったの聞こえた? あれはね、自分の寿命十年と引き換えに使う詠唱なんだわ。だからね、真面目なやつほど、自分の命と引替えに、多くの迷い人をあっちに送って、そのまま自分もあっちに行くやつが多かったってこと」
自分の命と引き換えに……。
「悪いことは言わない。早く辞めた方がいい。じゃないと、キショーも死ぬ」
似合わない真剣な顔で、ニトは俺を見た。
「……だったら、死なないようにすればいい。俺が今降りたら、他の人に同じ苦しさを味合わせたり、幼い頃のニトみたいに、一般の方が怖い思いをするかもしれない。だから、辞めない」
「……あっそ」
ニトはそう言うと、くるりと前を向いて、いつものようにてれんてれんと歩き始めた。
その背中に、重たいものがのしかかっているように感じられた。