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僕はアイツが嫌いだった。

僕の持っていない物を持っているアイツが。

僕の欲しいものを全て持っているアイツが。

僕の磨いたものを易々と得ていくアイツが。

僕の事を見向きもしないアイツが。

だから、不満なんて無いと思っていた。なのに一夜にして消えたアイツを……絶対に許さない。




 僕の話をしよう。かつて国の政や裏の仕事に深く関わっていた、瓶原の一門。その末裔。

 兼ねてより生死の狭間を生きてきた先祖の血は、脈々と現代まで受け継がれている。文明が発展しようと、人々が変わろうと、自然の法に変化は無い。有るものが無いものに変化する事は無いのだ。

 何時だったか「教育という刷り込みによる集団幻覚の一体化」等と宣ったアイツも、何だかんだ真っ直ぐに接していた……ように見えたのだから、確かに有るのだろう。


 残留思念、亡者、幽霊、逝損ない、妖怪、物の怪、心霊……呼び名はいくつもあれど、僕にとっては全て同じだ。

 どれほど望めど、「見えないモノ」でしかないソレが、瓶原の対峙してきた敵であり友であり顧客である。

 ソレと見つめ合い対話する術を、祖父とアイツだけが持っていた。それだけでなく、対処する術までアイツは持っていた。僕と父には、無いものだった。


 だからアイツが消えた時、心の底から不思議だった。無口だが、真面目で従順で。僕の嫌悪を感じこそすれ、それを気にした素振りさえ見えなかった。

 しかし、父は予期していた様だった。家の誰も思わなかったそれを。その事が僕の神経を逆撫でにする。あの父の視線が、僕を収めない関心が、全て注がれていたのはアイツだと理解するには十分過ぎたから。

 此処におらずとも、この期に及んで尚、アイツは僕の欲する物をかっさらっていく。もし僕に力があれば、その全てを持って這いつくばらせてやりたかった。



 思えば、その始まりはアイツが産まれる前からだった。僕の記憶が始まる頃には、既に父の熱意と期待は僕から逸れていた。

 せめて父に相応しくあろうと、ありとあらゆる事に手を出した。

 幼少期に楽器を操り、絵画を真似て、料理を始め、香を混ぜ、芸術を理解するまでのめり込んだのは一重に父の期待を貰いたかったからだ。


 そして僕の六歳の時、アイツが産まれた。期待と険しさを彫り込んだ重い顔の父が、赤子を抱えて柔らかく出てきた時に、アイツの印象は全て決まった。

 応える為の期待を受けるアイツが、憎かった。アイツがいなければ、そろそろ報われていたのにと思う事など山とあった。


 例えば、書かれたページまで暗記するほど教科書を読み返し、図書館の資料を分類出来るほど調べ、剣道弓道柔道を兼部しつつ、有段者になるまで続けたのも、失望を覆したかったからだった。

 しかし、どれほどやろうとも、父の関心は既に無かったのだろう。「そうか」という一言を貰う為に必死になる僕の前で、何時間も父の言葉を聞くアイツが嫌いだった。

 その癖、アイツはいつも祖父の部屋に居た。僕が目指す父の隣から、アイツは逃げ続けていた。真面目ではあったが、誇りも名誉も持っていなかった。


 僕にも、出来ない事は山ほどある。投擲が下手で球技は諦めたし、方向音痴で一人では出歩けないし、先端恐怖症なので裁縫も御免蒙りたい……そして、「視る」事も「聴く」事も「感じる」事さえ出来ない。

 それでも、誇りはあった。先祖達が紡ぎ、力を持たない身で必死に父が守ってきた瓶原に対する思いはあった。腑抜けた祖父や消えたアイツには無い、大事な心があった。

 何故、その心を持たない物ばかり……あまりに理不尽で不条理だと、思わざるを得なかった。求めてやまない資格を、呪いのように忌み嫌う者を見続ける日々。



 そんな日々が終わったのかと問われれば、そんな事は無かった。祖父が死のうがアイツが消えようが、僕が変わる訳では無い。

 アイツが産まれる前のように、淡々と瓶原の運命を残そうとする父と、好き勝手する母。そして働く僕だ。

 教師として、毎日を生きる。そこに一切の「死」の影無く。幸せではあるのだろう。しかし、僕の望みではなかった。


 地元を離れ、様々な場所で働く友人達は、そんな僕を引き連れて行こうとした。現代社会において、僕の誇りが軽んじられるものだとは知っている。しかし、そんな厚意はいらない。

 アイツと同じ事を宣うのが、気に入らなかった。よりによって、一番知っているアイツが僕をここから離そうとする奴らと同じ事を言っていたのだ。

 僕には父が全てだ。この地で生きると決めている。仕事と家業の全てを、僕が出来るようになれば。きっと父も認めてくれる。



 ……いや、本当は分かっている。父が求めているのはアイツだ。「まとい」の才能だ。

 きっと、僕がアイツを連れ戻せば……だが、それは敗北宣言に他ならない。やりたくは無かった。


 でも、一つのヒントを見つけたのだ。転勤していた同郷の先輩から、アイツにアドバイスしたと。

 それが、今。アイツが消えてから一年が過ぎようとしていた。




「やぁ、瓶原クン。君から誘ってくれるなんて珍しい。」

「もう酔ってます?」

「まだ三杯目さ。」


 目の前のジョッキを掲げる彼に、落ちそうな溜息を飲み下して対面に座る。居酒屋でなら、警戒心も薄まるだろうと思ったのだが、その必要さえ無かったらしい。

 既にベロンベロンのこの男から聞き出すのは容易そうだ。口を開こうとした途端に、空になったジョッキが机の上に叩きつけられる。


「先に言っておくと、今の彼の事は知らないからね。」

「……彼とは。」

「君の探してる人。あ、もう一杯頼んでいい?」

「どうぞ。」


 前言撤回だ。食えない人物であるらしい。


「小さい頃から不思議だったんだよね。ただのお寺の住職にしては、やけに影響力あるじゃないか、瓶原さん家。」

「住職じゃ」

「それもやってるじゃん。」


 言い切った彼は、店員を呼び止めてジンジャーサワーと軟骨の唐揚げを注文すると、瓶原に向き直る。


「この歳になると色々聞くようになる。何世代か前には地主でこの辺りの全ての土地の持ち主だったとか、色んな人が色んな形で世話になってるとか、ね。」

「ぼかすんですね。」

「まだ信じきれてないんだよ。でも、真樋君を見てると、無いって言い切る気にもならない。」


 名前に反応して眉が寄る瓶原に、男はニヤリと笑う。


「弟くんは嫌いかい?」

「そりゃ、まぁ。」

「なのに探すんだね。」

「勝手に居なくなられては困りますから。」

「真樋君がかい? それとも、お父さんのお気に入りが?」

「貴方には関係ない。」

「そりゃそうだ。」


 段々と態度を隠さなくなってきた瓶原に、肩を竦めた彼が、手を挙げて店員を呼ぶ。迷っていた店員がサワーと唐揚げを机におき、礼をして下がっていく。


「どうも〜……さて、君も飲むかい?」

「生姜は苦手です。」

「あ、そう?」


 豪快に傾けた男は、一気に飲み干したジョッキを机に置くと、彼は真っ直ぐに瓶原を見つめる。


「彼には幾つか大学を進めただけで、何処を受けるとも聞いてないよ。出発の当日に、服以外の手荷物も何も無い彼を見た時は驚いたよ。」

「何も?」

「あぁ、それこそ携帯もサイフも無くてね、現金と戸籍表はあったけど。全部燃やしたって言ってたし、山でも入ってたんじゃないかな。気づかなかったの?」

「何時もの事ですから。荷物は……あったかは知りません。」

「全部って、相当の量だと思うけどねぇ。」


 軟骨の唐揚げを一つ、口に放り込んでからメニューを開く男性は、お酒の欄を指でなぞっていく。まだ呑むらしい。


「どの方面なんです?」

「南。」

「そりゃそうでしょう。」

「黙っててって言われた訳じゃ無いけどさ、あんまり言いたくないのよ、君には。」


 次は芋焼酎に決めたらしい彼が注文する横で渋い顔をする瓶原は、机の下で強く拳を握っている。


「君が悪いやつじゃ無いのは知ってるよ、彼に何かするよーなタイプでも無いってね。」

「だったら!」

「でもね、人間って悪意を向けられるだけで疲弊するし摩耗するんだよ。例えば、それがどうしようも無いものだったとしても、さ。」

「アイツはそんなの、気にしないと思います。」


 笑おうとした男性だが、真面目な顔の瓶原を見てピタリと止まる。


「あ〜、マジで言ってる?」

「それが?」

「君のお父さんとか、君とか、顔みて理解出来た事一回も無いんだけど。胸中で何考えてるか分かったもんじゃない。」

「アイツもそうだと?」

「早い子は三歳でもそうなるらしいよ。キミ、そこが分かるくらい彼を見てたのかな?」


 教師は説教臭くて嫌だと、自分の事を棚に上げて席を立とうとする彼に、唐揚げをまた一つ放り込んだ男性が一枚の紙を放る。


「これは?」

「幾つか栞を貰ったんだよ、余り物だからって。明らかに新しいし、手作りだけどね。」

「お礼として作ってくれたとでも?」

「そういう可愛い所、あるんだよ。教え子に道を示すのは当たり前なんだけどねぇ……知ってた? 星と本が好きなんだって。」

「……失礼します。」

「あ、返さなくていいよ。それはあげよう、君が持ってるといい。人からの貰い物を無下にはしないだろう?」


 苦虫を噛み潰したような顔をする瓶原に、男は手を振った。


「今度、東京にでも旅行に行けば? 運が良いならまだいるかもね。」

「そんな遠く……?」

「ところで、本当に一杯も呑まないの?」

「失礼します!」


 少し乱暴に閉められた扉に、店内の者が何事だろうと注目する。

 若いってのは仕方の無いもんだなぁ、と独りごちた若者が、酒を嚥下する音が喧騒に消えた。




 冷える夜道を進む僕は、腹の虫が収まらない事も、それを外へと隠さずに出している事も自覚しながら家へと歩く。

 アイツの事を少し知っているからなんだと言うのか。教えたくないと言いながら、東京という地名を漏らしたのは何故なのか。あまりに不可解で腹立たしい。

 此方を見透かしたような、だが理解を拒むような、のらりくらりとした惰性の拒絶。その癖、此方との関わりを絶たないお節介。まるでアイツのような……


 自分が理解を諦めていた部分は確かにあったが、それはお互い様だ。なのに、彼の態度は詰問するような責を問うような含みがあった。

 僕が悪だとでも? 確かに友好関係の広い僕がアイツを嫌う事を隠さないのも、孤立を手伝ってはいたかもしれない。だが、それを良しとして拍車をかける態度を続けたのもアイツだ。

 一度でも、僕から危害を加えてやろうと動いた事はない。なのに何を責められるというのか。それとも、アイツの訳の分からない小バカにする言動の全てを理解しろとでも言うのか。


「もう、何も分からない……!」


ただ、憧れた父に認めて欲しかっただけなのに。

ただ、誇りを手放したくなかっただけなのに。

ただ、誰かに見て欲しかっただけなのに。

それがこんなにも難しい


「僕の居場所は……何処にあるんだよ……」


 帰り道を見失ったのは、方向音痴のせいだけでもないのかもしれない。日が昇るまでの長い長い暗闇に、ただ闇雲な足音だけが鼓膜を叩いた。

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