レター 前編
暗い道を歩いている時、行先が分かっていれば心はかなり楽になる。だが、道筋も目的地も分からないのでは、気が滅入るばかりである。
そんな時、頼りになるのは経験豊富な大人や憧れる先輩だったりするのだろうが……
「エリカ、これはどーゆーマネだ?」
「いや、ほら、たまにはボクも女子力って奴を見せつけてやろうかと……」
「ごめんなさい、マネさん……こんなに、壊滅的とは、思わなくて……煽るべき、違った。」
「反省すべきはボクへの態度だと思うんだけどなぁ!?」
「お前が反省すべきなのは生卵をレンチンした事だ、何を作ろうしたらレンジにぶち込もうになるんだよ。百歩譲ってゆで卵だとしたら茹でるの意味を調べ直してこい。」
コレである。なんで、このマネージャーの周りには個性派しか集まっていないのであろうか……自分も含まれる可能性に気づいて、この思考は止めておく。
あの夢のような七日間から、自分に出来ることは今も見つかっていない。目標がないのに、進める訳もなく。現在の彼女は宙ぶらりんに活動休止中である。
「あ、そうだ。四穂、今空いてるか?」
「うぇ!? あ、はい! 暇ですけど……」
「なら、ちょうどいい。ちょっと付き合え。」
急に話題を振られて戸惑う四穂よりも、遥かに早く周りの先輩達が反応する。
「ふぅん? デートのお誘い、ってヤツかな。君も隅に置けないねぇ。」
「お土産、いっぱい……コーハイとして、とーぜん。」
「ちょっとちょっと! ボクのマネージャーだからね! 忘れないでね!」
「え、えーと……とりあえず、行ってきます!」
既に居ないマネージャーを追う様に逃げ出した四穂が、追いついた彼に文句を言う。
「こうなるの、知ってましたよね?」
「そんなのに配慮してみろ、アイツらが居る空間で何も出来なくなるぞ。騒動の塊なんだから。」
「えぇ……」
あんまりな言い草に、つい声が漏れてしまったが、失礼だと思い直して慌てて口を噤む。そんな四穂の様子を見て、彼が口元を緩めた。
真面目な顔と、気の抜けた顔。どうも、四穂以外ではあまり目にしないらしい顔。
「やっぱり、そういう奴だよなお前は。」
「そういうって、どういうですか?」
「アイドルってのは、どういう形であれ目立つ事が重要だ。だから、ある程度は自己主張がデカイ物なんだが……末っ子にしては随分と我慢を知ってる奴だと思ってな。」
そうだろうか、と首を傾げる四穂に、彼は頷いて続ける。
「空気を読む相手を選ばないというか……ワガママになっていい相手をかなり絞ってるだろう?」
「結構、手当り次第に甘えてるつもりですけど。」
「そうだな、節操無しなのはあるな。ただそういった時は、ある程度で自分で止まってるように思える。」
節操無しという点についてはいくつか物申したい所ではあるのだが、ここで言っても長引くだけだろう。あまり長くこうしていると、また先輩達に何を言われるか分からない。
「と、何か飲むか?」
「じゃあ、イチゴオレ一つ。」
「はいよ。」
人気の少ない休憩室で、腰掛けたソファの上で話を待つ。コーヒーを一口飲んで、彼が懐から何通かの便箋を取り出した。
「俺からの話は、まぁ後だ。この立場で今の君へ言葉を送ろうもんなら、強引に舵を切ってしまいかねないからな。まずはそれだ。」
「これは……?」
「君の手が届いた場所からメッセージ。一通だけ、凄いのが居たりしたけどな。」
封筒を握る手を止めて、雑に破ろうとしていた動きを変更する。マネージャーの胸ポケットから定規を取り出し、押し当てて丁寧に切っていく。
「人を道具箱みたいに扱うより、ハサミとって来いよ……」
「まぁ、気にしない気にしない。」
宛名が無かったり、事務所宛になっていなかったりするものもあり、とても四穂の手に渡る予定だったとは思えない。もしかして、わざわざ集めに回ってくれたのかもしれない。
無粋な真似をする気もないので、何も気づかなかった事にして、便箋を一枚一枚開いて読んでいく。
励ましの言葉、応援の言葉、お礼の言葉、喜びの言葉。一人一人の顔がありありと浮かぶ程、四穂が話してきた人達。
「君のアイドル性より、君の人柄に惹かれている人達ばかりでな。俺もどう広報すればいいのか悩んでるよ……こんな事は初めてだ。」
「やっぱり向いてませんかね?」
「そう言い切るには、君の手元の手紙は軽くないだろう?」
「そう、ですね……あ、これ。」
細めの筆で書かれているのか、やけに達筆で目立つ手紙。破天荒を絵に書いたような文字と、雑な文面は心当たりがある。
「なんだ、知ってるのか? 渋い趣味してるな。」
「まぁ、少しだけ。」
喝の一文字で何を察しろと言うのか。相変わらず、何を考えているのか分からない人だ。
「さて、読み終わったか? 答えが出たんならそれでも良いが……」
「そんなにすぐには分からないです。」
「だろうな。そこで提案なんだが、マネジメントの方をしてみる気はあるか?」
「…………へ?」
鏡を見るまでもなく、己が呆けた顔をしているのが分かった。想像していなかった話の内容に、頭がこんがらがる。
「色々と考えてみたんだが、どうも俺じゃ難しい。ならいっその事、自分でやってみるのもいいんじゃないかと思ってな。」
「いやいやいや、待ってください。そんな簡単に出来るものなんですか?」
「話は通してるぞ? キャラ付けになって面白いだろうし、君の元でなら自由にやれと。要は、演出や調整なんかをする事で、活動全体に君の名義をつけてやれって事だ。」
「えぇ……」
そこまでしないとダメなくらい、才能に差を見つけられたか。軽くしょげている彼女に、彼が話の続きを投げかける。
「目端が効いて、気配りに長けている。長所を見出して何処を見られているかを認識し、それを全面に押し出す。多分、お前に向いてると思うんだよな。自信に繋がればそれで良いし、本格的に目指すんなら後輩が出来て嬉しいね。」
「慰めですか?」
「というより、アドバイスだ。君はエリカに憧れているだけで、アイドルになりたい訳じゃ無かったんじゃないかと思ってな。」
「よくご存知で……」
自分でも最近自覚した事を言われれば、もう何も言い返せない気がする。とはいえ、方向転換には急過ぎるし、覚悟もない。
「というか、その二足の草鞋って履けるものなんですか?」
「聞いた事は無いなぁ……でも、自分のとこなら何とかなるだろ。俺も他所の面倒見始めたから忙しくなるし、手伝って欲しいのもある。」
半分くらい私欲が混ざったアドバイスな気はする。しかし……
(自分の手が届かなくても、伸ばされた手が届くように押し出す事なら……)
互いに助け合っていた大男と少女が、そして馬を駆る奔放な騎士様が頭を過ぎる。人魚姫と自分だけでは、きっと届かなかった場所へ駆けていく精霊が。
自分が前に出るのは難しい。立ち向かい抗い続ける程の胆力も実力も、自分が持っているとは思わない。
でも、その後ろに着いていく事なら出来るかもしれない。向かうべき方へ、押し出してあげること。言われてみれば、自分が理想になるよりも向いていそうだ。
「ここで出来そうな事を優先しちゃう夢が無い所、アイドルに向いてないですよね。」
「それは否定しないな。真面目すぎるんだよ、お前は。そういうタイプは器用じゃないと苦労するぞ。」
「マネージャーみたいに?」
「そう、俺みたい……誰が苦労人だ。」
青筋を立てる若い先輩に、笑顔を向けた後に逃げ出す。逃げた方向には、件の三人がいるのだが……覚えてないのだろうか。
「いや、単純に一人になりたくないだけか。」
あれ以来、活動こそ制限しているものの、四穂の積極性は高まっていた。だからこそ、今回の提案だったのだが。
手当り次第とばかりに、チョロチョロと動き回る彼女は見ていて危なっかしい。ある程度落ち着くまでは、手元で管理してやるのもマネージャーの務めというものだろう。
「……やっぱり苦労人かもなぁ。」
ボヤキを一つ、コーヒーで流し込んで、次の仕事に取り掛かる彼の姿は、誰に知られる必要も無かった。
「ただいまぁ〜……」
「おかえりなさい、四穂。今日は遅かったんだね。」
「あ、ごめんなさい。連絡いれるの、忘れてた。」
「そうだね、心配したよ。今度からは一言くれると嬉しいな。」
「も〜、分かってるってば。」
緩く言ってはいるが、内心は気が気では無かったのだろう。逆さまの新聞を広げる父に、子離れ出来るのかなこの人、と思いながら自室へと駆け上がる。
今年卒業となる高校も、二学期が始まって暫く。続々と決まっていく進学と内定の知らせに、焦りも募る。もし、このままアイドルとして伸びないなら、別の進路も確保しておかなくてはならない。大学へと望めば通わせてくれるだろうが、兄の長い入院生活が裕福という言葉を遠ざけていた。
(それに文句を言うつもりは無いけどさ……)
せめてこの事務所で長くキャリアを積まなければ、次の道に踏み出す足がかりにもならないだろう。そろそろ、新しい事に手を出すべきなのだ。少しくらい熱中しても仕方が無いと言い訳する。
実際にやってみれば、メンバーの事を把握している四穂には向いているかもしれないのは事実だった。というより、後輩ながら半ばまとめ役になっていたので、その延長線とも言えた。
だが覚える事が多すぎる。これを掛け持ちしながら一人でやっていたと思うと、マネージャーには頭が下がる思いだ。
「お腹空いたな……何か作って食べよ〜。」
たぶん、四穂の無事を確認した父親はもう寝ている筈だ。小学生のような早寝早起きの習慣を持つのに、この時間まで起きれていた事の方が驚く。
遅い時は外で食べてくると伝えていたから、台所に行っても夕飯の残りは無い。冷蔵庫を探せばあるだろうが、それは明日のお弁当の仕込みだろう。食べたら怒られる。
「あれ、四穂。帰ってたんだ。」
「ただいま〜、白詰兄ぃはまだ勉強してたの?」
「うん、遅れを取り戻さないといけないからさ。まだ生活の方も慣れないのに……」
七歳で転落事故を起こした彼は、四穂がエリカと出会った夏までの十三年間を眠って過ごしている。
七歳児が目覚めたら成人していた。義務教育を半年程しか受けていない大人が社会に出るのは難しい、特に白詰はマイペースで抜けているのだから余計に。
「この五年間で、とりあえず高校には追いついたんだけど、やっぱり難しいねぇ。」
「白詰兄ぃは、もうちょっと運動の時間増やすのが先だと思うんだけど。大学に行っても倒れちゃうよ?」
「う……善処します。」
遺伝なのか、身長は順調に伸びた兄の細枝のような腕に、少しハラハラしながら見守る。無事にコップから水を飲み終えた彼は、苦笑しながら此方を見た。
「流石に落とさないよ。」
「いや、未だにぶつけて割ったりするから……」
「あれは腕の長さに慣れなくて……! 体力じゃないよ。」
「そろそろ慣れよう?」
大きな弟が出来たみたいだ、なんて。ポヤポヤとした兄からコップを奪って洗い流す。水滴を拭き取ったそれを食器棚に戻し、ついでに新しいお皿を並べる。
牛乳と卵を取り出しながら、振り返って兄に問いかける。
「お腹空いちゃったからフレンチトーストでも作ろうと思うんだけど、食べる?」
「夜に?」
「甘いの食べたくなっちゃって。いらない?」
「ん〜ん、食べる。」
フォークと砂糖を出しながら、食パンを探していた兄が足をぶつけてしゃがんだ。もう家に帰って四年は経つ筈なのだが、未だに自分の体の大きさに慣れていないのだろうか……ドジなだけの気もする。
勉強で疲れた脳には甘いものだろうと、多めの砂糖を卵に溶かして牛乳を混ぜ込む。オマケとばかりにハチミツを探すが、シンクの上にある棚で見つける。母親がいつも使っている筈の踏み台を探す四穂の背中から、覆い被さるように影が伸びた。
「これ?」
「うん、それ。ありがと。」
少しハチミツも溶かして、一口大に切った食パンを浸してレンジに放り込む。片面ずつ、だいたい30秒程か。
「手際が良いねぇ。」
「あ、足大丈夫?」
「うん、折れてない。」
「そんなに簡単に折れないでね……?」
また病院に行っている兄を見れば、家族三人気が気では無いだろう。しかも、本人はそんなに気にしないだろう事が予想されるので尚更だ。
バターを一切れだけフライパンに乗せ、残りを冷蔵庫に戻しながら溜息を零す。母親の天然で楽観的な気質と、父親のマイペースとドジ。心配させる事に関しては奇跡的なハイブリッドだと思う。
「ボク、白詰兄ぃが一人で大学行ける気しないよ……」
「一緒に通う?」
「それは遠慮しとく。」
地頭の良い兄に追い越されれば、追いつける気はしない。溶けて広がるバターが、香ばしい匂いと共に複雑な気持ちを奥へと運んだ。