キャラメル 後編
結局、関係があやふやすぎたせいで、店員が選ぶ事は出来なかった為、菓子の種類だけ指定して案内してもらった。
少し微笑ましい顔を向けられていた気もしたが、忘れる事にする。それより、溶ける前に持っていく方が重要だ。
それほど離れた場所では無い。暖かい電車に乗るより、このまま表を歩いていった方がいいだろう。そう判断して、紙袋を受け取って駅ビルを出る。
「流石にこの時間になると暗いな……寒い。」
ビル群の隙間を縫う風も、靴底越しに踏むタイルの歩道も、乾燥した寒気をより一層実感させる。
こちらに来てから、なんだか寒さに弱くなった気がする。夏だろうと冬だろうと、気にせず山へ入って放浪していた昔が懐かしい。
「人が多いのは滅入るけど、少ないと少ないで寒い……僕には都会暮らしは合わないな。」
卒業したら、もう少し生きやすい場所でも探して引っ越そう。そんな計画を立てながら、電車で揺られた道を一駅ほど歩いて戻る。
大学と自宅の中間地点、いつぞやに友人に連れてこられた店舗へと辿り着くと、ちょうど夜の営業が始まったのか、看板を切り替えている男性がいた。
此方に気づいた彼が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません、定食の方はただいま閉店になりまして……」
「先月で成人してますし、今日は上の人に用があってきたので、お構いなく。」
「上の? ……あぁ、なるほど。此処ではなんでしょうから、少し歩いてくると良いと思いますよ。今呼んできましょう。」
渡すだけなので大丈夫、と言うよりも早く「トジちゃーん!」と声を上げている。店の中にも丸聞こえだが、良いのだろうか?
少し待てば、上の窓から見知った顔がひょこりと飛び出した。
「どうしたん?」
「デートのお誘いだって。」
「はぁ? ……あ、お兄さんやん! 待ってて、すぐ降りるけぇ!」
いや、だから店の前……夜中になり始めているとはいえ、普通に下校中の中高生を見かける時間。苦手な目立ち方をしてしまい、もう帰りたい気持ちが大きくなっている。
とはいえ、あんな呼ばれ方をして、わざわざ降りてきて貰って、そのまま渡して帰るのはどうなのだろうか? というか、ここまで注目されている中で渡したく無い。
「久しぶり……です。」
「相変わらず、取ってつけたような敬語だね。」
「慣れとらんのんよ、許してぇや。」
半端に年が近いからか、先輩後輩の礼儀とやらの練習台にされている気がしないでも無いが、不都合でも無いので放置する。
下手に突っ込んで、余計な面倒を背負うリスクを考えれば、正しい選択だろうと一人納得して、背を向ける。
「え? 帰るん?」
「いや、此処じゃアレだし。少し歩こうよ。」
「……ホントにデートやったん?」
「散歩だよ。」
店内にいる、随分と早い酔っ払いの口笛を無視して歩き出す。彼女は、どうせ勝手に着いてくるので、気にせずに街中を進んでいく。
「ちょっと、早いん、やけど!」
「そう?」
「歩幅が違うけん。ほら、こ〜んな!」
めいっぱい背伸びをして、真樋の頭の上へと手を伸ばす寿子だが、すげなく払われて引っ込める。「それは歩幅じゃなくて身長だよ」と投げつけられる言葉にも、「同じやん」とすぐに言葉が返る。
互いに伸びた背丈だが、真樋の方が余裕があったらしく、その差は更に開いてしまった。そろそろ頭一つ分は違いそうだ。年の離れた兄妹と言われればそう見える。
「そういえば、何処まで行くん?」
「口調はもう諦めたんだね……人が減ればとでも思ってるけど、そう都合のいい場所は無いね。」
「何する気なん?」
「単純に人混みが嫌いなだけ。」
いつもなら、皮肉や嫌味でしか動かないこの口も、特に必要としない会話がスラスラと出てくる。祖父が死んでからは、無かった感覚。懐かしさが込み上げてくるが、それよりも今は移動したい。
区切りのあるカフェにでもと思い、大通りから逸れた時だった。
「瓶原君……!」
記憶にある声に、面倒を感じてそのまま足を早める。しかし、少し抜けている同行者は、バッチリ反応してしまった。
「お兄さん? 呼ばれとるみたいやけど。」
「宇尾崎……君って奴は……」
何故、面倒事を避ける気が無いのだろう。警戒心の問題だろうか。そんな疑問も、今はなんの役にも立たないので隅へと追いやり、声のした方へ振り返る。
案の定、反応を示した彼女が捕まっている。オロオロする宇尾崎を捕まえているのは、先程に大学で追い詰められていた彼だ。
「酷いじゃないか……あのまま通り過ぎるなんて。」
「それは面白くない冗談のつもり? あの場で通り過ぎてない人を探すのは至難の業だと思うけど。」
事実、多くの人は視線さえ向けずに素通りだ。彼が真樋を狙って声をかけたのも、立ち止まった分印象が強いからだろう。
「助けてくれたって……」
「君、見て見ぬふりをしたものも加害者とかいうのを本気で信じるタイプ? 逆らうなり助けを求めるなり、自分でした事もないのに? 寝転んで鳴いてるだけでご飯が欲しいなら、猫にでもなってくればいいんじゃない。」
何かのせい、誰かのせい。まったく反吐が出るとばかりに吐き捨てる真樋が、宇尾崎の肩を掴んでいる手をひねり上げる。
柔らかく荒れていない腕。逆らう為に体力をつけようとも思わないらしい。
「痛い痛い!」
「カツアゲだろうと、借金の取り立てだろうと、他の巫山戯たなんであろうと、知ったこっちゃ無い。自分が何もしないのに変わる訳ないだろ? 公共正義だなんて他人の施ししかアテにしない君如きが、僕に関わるな。」
「お兄さん! そんな言わんでも……この人、困っとりそうやし。」
「自分で選んだ道だ。大丈夫そうな弱者に見える奴にだけ声を上げてる時点で、同類だろ。類は友を呼ぶ、なんて言うじゃないか。誰かに手を出した時点で同情の余地もない。」
自分が孤立した細い男にしか見えていないのは承知の上だ。この結果が見下された上だというのは、手に取るように分かる。
宇尾崎から引き離した彼を放し、軽く周囲を見渡した真樋が、彼の襟を捕まえて詰め寄る。口の付近に来た耳へ、声を注ぎ込む為に。
「狙いたきゃ僕だけにしろ、周囲を巻き込むなら相応の手段を取る。例えば、そこのバスに乗ってもらう、とかね。」
真樋の示した先で、駅前の循環バスが発車する。困惑を深める彼を突き放し、不機嫌を隠しもしないままその場を去る。
ポカンとする彼と、慌てて追いかける宇尾崎を確認する事の無い彼に、追いついた彼女が袖を引く。、
「ちょっと、待ってぇな。」
「ヤダ、とっとと離れたい。」
「……ねぇ、さっきのって。うちの為に怒ってくれたり……したん?」
「僕が仮に怒ってたとして、別に君に利益がある訳じゃないでしょ。分かんない事言ってないで、早く着いてきなよ。」
少し坂を登っていき、集合住宅の傍の公園に入る。この時間なら人が居ないので、少し駄弁るにはちょうどいい。
ドッと押し寄せた疲れに逆らわず、ベンチに腰掛ける。そんな真樋の隣にチョコンと腰を落ち着けた彼女が、顔を覗き込んでくる。
「お疲れなん?」
「誰のせいだと……いや、君の責任じゃないか。」
自分の対応に問題があったのは自覚している。八つ当たりは止めようと口を噤んで、頭を振って雑念を払う。
「……というか、近い。」
「え? 言うほど?」
「吐く息が白いから、視界が曇るんだよ。確実に近い部類だよ。」
「ん〜、そうなんかなぁ……」
「君の学校の男子児童に同情するよ。」
「児童って、真樋お兄さんとうち、そんなに変わらんやん。」
「ごめん、君って子供っぽいから。」
「真樋お兄さんが大人っぽいんよ。」
肩を竦めて、ずっと持っていた紙袋を差し出す真樋に、数瞬はキョトンとした宇尾崎が、びっくりしたように目を見開いた。
「え!? もしかして、本当にホワイトデーやったん!?」
「君は僕をなんだと思ってるの?」
「あんまり、こういうイベントにに積極的や無さそうやし……それに、すごくちゃんとしとるから。」
「返礼品は、貰ったものに合わせるのは礼儀だろ。」
真樋お兄さん、そういうちゃんとしたの慣れとりそうやもんね、とゴソゴソと包装を開けようとする彼女に、「別に……」と呟きを落とす。
混ぜ物も無い、ちゃんとしたものを受け取ったのは久しぶりで、手間取っていたのだが、態々言おうとも思わない。
「わぁ……お魚さんの形のキャラメルやぁ……! 」
「あ、いきなり開けるんだね……」
とりあえず、嬉しそうなので間違っては無かったのは確認する。もし来年があっても、悩む時間が減るだろう……受け取る予定は無いが。
今年だって、大学の前に待ち構え、人の注目を集めながら渡すものだから、断るに断れなかっただけである。本人は必死だったからか、その状況にダメージを受けたのは真樋だけなのは気に入らなかったが。おかげでその後を断りやすくなったのだけは礼を言いたいが。
「えへへ……真樋お兄さん、意外にうちの事見とるよね。こういう可愛いの、好きなんよ。」
「そりゃ良かったね。」
「も〜、なんで他人事なん? あ、そういえばうちのチョコ……その、美味しかったか、聞きたいなって……思って……好みとか分からんかったし……」
「甘いものはあんまり食べないけど、あれは美味しかったよ……まぁ、好みの菓子類で言うなら、抹茶風味は好きだけど。」
「ホント!? 良かったぁ……来年も楽しみにしとってね。」
「あるんだ……」
今日の外出は非常に疲れたので、人の浮かれてるような時期に出歩きたくないのだが、来年はバックれるか逃げるかしよ
「え、受け取ってくれんの……?」
うにも選択肢は無いらしい。いつもなら、頷いて終わるのだが……何となく、そんな気分にはならなかった。
「……そうは言ってない。」
「へへ、ありがとう真樋お兄さん!」
来年は少し早めに準備しておこう。そう反省点を締めくくり、目の前の浮かれた少女を送り届ける為に、ベンチから立ち上がった。
家に帰りついたのは、夜の十時を回っていた。適当に渡して終わろうと思っていたのに、随分と手間をかけてしまった。
バッグを投げて、カーディガンを放り、上着の襟を緩め、椅子に座り込んで溜息を吐く。未だに人付き合いというものに慣れないが、バイトや就活ではそれは必須だ。
狂人をあしらったり、原因を祓ったり。其方の方が性分に合っていると嫌でも自覚する。もっとも、あんな場所に戻るつもりにはなれないが。
「そのうち、慣れると良いんだけど……」
ラジオのスイッチを入れ、本を開く。現実逃避の時間だ。自分では無い人生の追体験。文学は心地いい。
『……となり、対応を急ぐとの事です。次のニュースです。本日の夕刻、ゲームプログラマーの玻坏葉夏氏(36)が循環バスと衝突、死傷者十八名となりました。警察は……』
「思ったより派手になったんだ……ま、いっか。」
一瞬だけラジオの方に注意を向けたが、すぐにそれは手元の本へと戻る。
翌日以降、真樋を避ける人がまた少し増えたのだが、それはまた別のお話。