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ライター 後編

 最寄り駅は、徒歩五分。五駅揺られて、降りてから十分。三十分程度なら、アイスが溶けることは無いと判断し、二つ入りのモチモチとしたアイスを一つ、購入する。

 袋にぶら下げて道を歩けば、寒い風に揺らされる。帽子代わりのフードを目深に被り、心許ない首元を竦めた。


「さっむ……陽射しは暑いくらいだっつーのによ。」


 新年早々、服装に迷う天気。午後にゲーセンに寄ろうかとも思っていたが、今日は家で過ごす事にする。

 手をつけていなかったゲームの数を思い出しつつ、駅のホームへと歩く。比較的空いている電車へと乗り込み、席に座り手を擦る。冷たくなった指先が、鈍い感触を伝えてくる。


「手袋してくりゃ良かったな……」


 日差しの入った暖かい部屋で、上着だけ引っ掴んだ今朝の自分を恨めしく思う。

 ぼんやりと窓を眺めていれば、開いたドアから冷気が襲って来た。ドヤドヤと流れ込んでくる人混みに、あっという間に通路まで埋まっていく。


「あと何回あんだ、これ。」


 出来るだけドアから離れようと立ち上がると、今しがた入ってきた老人だろう、怒鳴り声を上げて睨みつけて来た。


「若造、儂はそんなに年寄りじゃないわい! なんでもテレビに流されおって、恥ずかしく無いのか!」

「はぁ?」


 つい漏れた声は、喧嘩を売っているようにしか聞こえない。それを自覚した時には、目の前の老人は止まりそうになかった。


「席を譲れだの声をかけろだの、儂らをなんだと思っとる。お前さんらが生まれとらん頃から、こっちは満員電車の中で」

「おっさん、煩ぇ。周りの迷惑。」


 せっかく眠っていたのに、目が覚めてグズり始めた赤子を見ながら、一哉が老人の肩を叩く。宥めたつもりだったが、舐め腐った態度にしかなっていない。激昂する老人の大きくなる声に、ついに赤子が泣き出してしまった。


「なんだ、煩い! 母親なら息子ぐらい黙らせんか!」

「煩いのは俺らだよ、おっさん。あと人様の娘さんを指さすもんじゃねぇって、降りようぜ?」


 どうせ聞いてはくれないと断じて、次の駅に着いた瞬間に老人を引いていく。流石に他の人にまで絡み始めたのを、放置する訳にはいかない。

 抵抗する時に腰を痛めたのか、擦りながら喚く老人。それを引きずる目つきの悪い茶髪の青年。駅員に連れていかれるのは必然だった。


「それで、引っ張って行ったの?」

「そうです。」

「あのね……あの人が怪我したら、障害だって残るかもしれない。君が気をつけたって、あの人は御年寄だ、どうなるか分からないんだよ。」

「えぇ、気をつけます。」

「いや、だから……」


 暴力団だと喚き始めた老人に、若い駅員が通報しかけた所で割り込んできた、壮年の駅員。一哉の適当な相槌に、どうしたものかと思案しているようだ。

 幸い、老人の腰は手摺に打ち付けただけらしく、今はピンピンしているのだとか。「煩いので降ろした」としか言わない一哉から、必死に状況を推測する駅員の胃が心配である。


「とりあえず、ご家族の方は?」

「知りません。」

「いや、知らなくは無いでしょ。お父さんとか。」

「死にました。」

「……お母さんとか。」

「どっかで男作ってんじゃないっすかね?」


 段々とイライラを隠さなくなってきた一哉に、駅員も頭を抱えるしかない。自分が必要だと思った情報しか話さない一哉から、どう聞き出したものか。

 身分証明書と連絡先さえ確保出来れば良いのだが、携帯は忘れた、固定電話無し、住所は街の名前までは覚えている、分かったのは名前だけ。


「とりあえず、連絡先か身元だけは記録に残しておかないといけないんだけど……お友達の連絡先とかは?」

「いねぇよ。」

「仕事場とか。」

「フリーター。」

「弱ったな……」


 このまま帰す訳にもいかず、どうするかと思案する。一哉も一哉で、必死に自分の携帯番号を思い出そうと頭を捻っていた。

 そんな空間が、ガチャリという音と共に外界と繋がる。


「やっぱり、こうなってた。」

「はぁ? なんで居んだよ。」


 予想外の義姉の登場に、心底驚いたという顔の一哉を面白そうに眺め、彼女は自分のスマホを取り出した。


「えっと……携帯の番号がこれですね。住所は」

「待った待った。どちら様ですか?」

「あ、ごめんなさい。この子の姉です、柏陽(はくよう)美陽(みよ)……こう書きます。」

「柏陽?」


 怪訝な顔をしながらも、そんなに大きな事件でも無いと割り切って、それをメモしていく。ブスくれた一哉を連れていく彼女を見送りながら、駅員が呟いた。

 手に持ったメモの二つの名前には、同じ文字は一つも無かった。


「新しいお父さんの連れ子とかかな……まぁ、複雑な家みたいだしねぇ。」




 二人で並び、電車に揺られる十数分。一哉の借りている部屋へ戻るまで、互いに無言だった。黙ってシャンプーや洗剤を片付け始める美陽に、一哉が万札を押し付けて座り込む。

 ピリついた空気が立ち込める中、一哉から口火を切った。


「なんで来たんだよ。」

「駅員さんもアンタも困ってそうだったから。」

「そうじゃねぇ。」

「だって、どうせ新年の挨拶にも来ないつもりだったんじゃない? 呼びに来たの、手伝ってよ。」

「……そーかよ。」


 ゲームをしようと思っていたが、叶わないらしい。適当に荷物を纏めるかと立ち上がった一哉に、最後の荷物を置き終えた美陽が吐き捨てる。


「まぁ、アンタは帰りたくないかもしれないけど。」

「はぁ? なんで。」

「見たもの。」


 棚に目をやるが、扉は閉じている。積みゲーの事では無さそうだ。


「柏陽じゃ……なかった。」

「あん?」

「アンタが書いてた名前。なんて読むのか知らないけど、火に登るみたいな……」

「っ!?」


 自分で書いた癖に、いざ聞いた瞬間に顔を顰める一哉に、美陽の語調が強まる。


「どうせ、こんな事に巻き込みたく無いとかなんだろうけど。家族じゃないって言われたみたいで、悲しかった。」

「分かってんなら、んなバカな事考えてんじゃねぇよ。」

「だって! カズがそういう話する時、決まって辛そうだから! 家族ってそういうものじゃ無いでしょ!?」

「親無しに何が分かんだよ!」


 声を荒らげる美陽につられ、怒鳴り声になっていく一哉の口から、決して出てこなかった一言が漏れる。殴られたような顔をして固まる美陽だが、言い放った本人は気づかない。


「両親だか血の繋がりだか知らねぇが、そんなモンをキラキラ崇めてる奴らに言えっかよ! あんな奴ら、死ねば良いと何度思ったか。俺が殺せば良いなんざ、何度迷ったか!」

「……知らないよ、分かんないよ。」

「あぁ、そうだろうよ。知らなくて良いんだよ、こんな事。」

「カズの、事なのに。」

「だから何だよ。」


 これで話は終わりだと言わんばかりに、背中を向けてスマホを探す一哉に、美陽が口を開く。


「……癖に。」

「あ?」

「自分の事も出来ない癖に! なんで助けてって言ってくれないの!?」


 それからも続く彼女の言葉だが、しかし一哉には届かない。


『自分の事も出来ない穀潰し、いらないんだよね。役たたずに居場所なんて無いの。』


 脳裏の声と被り、カーテンを締め切った薄暗い部屋が過去の光景と重なる。荷物を纏め、扉の向こうの男性へと歩き去る、珍しく着飾った母親。

 ほとんど無意識に、肩が上がる。肘が引かれ、指は握りしめられる。上がった上着が更に影を広げ、過去が濃厚になったように感じた。


 カツン、と音がして影が裂かれる。チラチラと揺れる、赤い雫。バルブが壊れたのか、それとも……とにかく、火が点ったライターだ。


『ダメだよ、ハックー。望みはなんだったっけ?』


 ほんの一瞬、視界が金色に埋められたような錯覚。暗がりに現れた光源のせいだ、きっと。

 行き場を失った拳を頬に叩きつけ、チカチカする視界を頭を振って払う。


「悪ぃ、今日はこっち居るわ。一人にしてくれ。」

「……そ、か。分かった。」


 一哉の変化に、腕のカードを解いた美陽が荷物を拾い上げる。サイフ、化粧ポーチ、鍵、クーポン。散らばった物がまとめられていき、部屋の様子が少し、変わる。

 拾ったライターの火を消さず、じっと見つめる一哉に、彼女が向き直る。


「カズ。」

「んだよ。」

「嫌なこと聞いて、ごめんね。辛そうだったから、少しでも力になりたかったんだけど……カズの事、知らないんだって思って、焦っちゃった。」


 いない故の憧れ、いた故の失望。この差を埋めるのは知ること以外に無いだろうが、彼女の憧れを塗りつぶす事は、あの家の誰も選択出来なかった。

 おそらく、それが出来たのは一哉だけだった。もし今回の言い争いに責があるなら自分だと、後ろめたさがのしかかる。


「別に。」


 気にするな、と続く言葉は出ない。突き放したような一哉の態度に、また少し部屋の空気が変わった。


「ほんとに……ごめん。」


 普段は高圧的と言っても良いような義姉の、聞いた事の無い声。怪訝に思って振り返れば、濡れた瞳がこちらを見ていた。


「役に立てなくて……ごめんね。」

「は?」


 呆気に取られた一哉の前で、扉を押し開けた彼女が走っていく。フラついた足取りを見て、少しの迷いの後に飛び出した。

 下に行くエレベーターを見て、階段を選択する。ここは四階、十分に間に合う。駆け下りた階段から見渡せば、上へ登っていく箱が見える。


「間に、合わな、かったか。」


 外に出れば、目元を擦りながら歩く美陽が見えた。小走りの彼女は、前を見ていないのか、赤信号に突っ込んで行く。


「言わんこっちゃねぇ……!」


 目の前を過ぎていったバンが、クラクションを鳴らしながら怒鳴っている。そりゃそうだと溜息を吐きながら、引き倒した美陽を起こしながら目を走らせる。


「怪我は無さそ〜だな。」

「なんで」

「んな状態で、放り出せるかよ……」


 乱れた髪を更に掻きむしり、一哉がそっぽを向く。ぐしゃぐしゃにされた茶髪が、美陽のおでこをくすぐった。


「そんなに乱暴にして、ハゲるよ?」

「うるせぇ、ほっとけ……それと、なんだ。さっきは言い過ぎたよ。悪かった。おやっさんも兄貴も、まぁ、俺も。お前にゃ助けられてるよ。」

「ふーん?」

「こっち見んな。」


 乱暴に頭を押さえ付け、強引に視線を逸らされた美陽が反撃する。叩かれた腕を擦る一哉に、晴れやかな顔で彼女が言う。


「カズに嫌われたかと思った。違ったんだね。」

「この程度で嫌えるよーなら、同じ柏陽で名乗らねぇよ。俺は正直、好きな表現でもねぇんだけど……家族、なんだろ?」

「んふふ〜。」

「引っ付くな、降りろ、重い。」

「はぁ〜!? 重いってなによ!」


 路上で喧嘩を始めた義姉弟に、段々と人が集まってくる。スゴスゴと二人が退散したのも、それから時間がかからなかった。




『んで、美陽はそっちに泊まるのか?』

「寝て起きたら夜だったしな。」

『昼間っから寝るたァ、いいご身分だな。俺が土に塗れている間によ……』

「畑か?」

『いや、ガキ共に泥団子投げられた。』


 そっちもそっちで気になる事が起きてる気がする。


『ま、ケンカ別れになってねぇんなら良いや。明日には来んのか?』

「そうなるな。」

『んじゃ、準備はしとくよ。あぁ、そだ。ゴムは忘れんなよ?』

「あ? ……あぁ!?」


 明日、絞める。切られた通話画面にガンを飛ばし、適当にスマホを放り投げる。泣き疲れて寝るだなんて赤子のような事をした後で、そんな空気になるわけも無い。第一、姉弟だ。


「いや、マジメに考える事じゃねぇだろ。兄貴のジョークがセクハラ親父なのは今更だ。」

「なに、切っちゃったの?」

「切れたんだよ……うわ、髪拭いてから来いよ、濡れんだろうが。」

「だって、カズの部屋タオルもドライヤーも無いんだもん。」

「タオルはあったろ?」

「あれ、フェイスタオルって言うんだよ。バスタオル無いの?」


 次に来た時に増えてそうだな、と呆れる一哉の前で、小さなタオルで髪を乾かしている姉をじっと見る。


「……なに、どうしたの?」

「いや、目が腫れてんの久しぶりに見たなって。」

「嘘、まだ? ちょっと、見ないでよ。」

「……ごめんな、約束破って。」


 約束? と首を傾げた彼女が少しして思い出す。


「あんな昔の事覚えてるの?」

「時効は決めてなかったろ。」

「……本当に馬鹿なんだから。」


 罵倒されてるはずなのに、妙に嬉しそうに言うので、腹も立たない。

 失いたくない居場所であり、安らぐ家。今まではなんと言えば良いのか分からなかったが、これからは……家族、と呼んでも良いのかもしれない。そう思えた。

 壊れたライターを大事に仕舞い、布団に転がる。眠気はまだ来ないが、寝そべりながら暗がりで、昔話に花を咲かせるのも良いだろう。寒くない夜は、まだ続いてくれそうだ。

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