ライター 前編
チラチラと、炎が揺れる。視界で踊る雫型の赤。
「なんだよ、いきなり?」『ハックー?』
「おい、無視してんじゃねぇぞ!」『またやってるの?』
冷静になればくだらないだけの雑音に、鬱陶しい鈴の音色が混ざる。コロコロと転がる甲高い声が、炎を通して過去から聞こえてくるようだ。
あれだけイラついていたのに、今は彼等の叫びも癇に障らない……と言うには少し煩いか。
「てんめぇ!」
「あ?」
拳を振り上げてきた青年に、一哉は洒落たオイルライターを閉じてポケットにしまう。
「正当防衛成立、だ!」
しゃがんだ一哉の上を過ぎた腕を取り、後ろへ引きながら過剰防衛を叩き込む。腹へ蹴りこまれた青年が、咳き込みながら転がった。
「あー、結局やっちまった……」
「野郎!」
「あぁ?退けよバカが。」
掴みかかってきたもう一人に、脱いだ上着を投げつける。一哉を見失った彼の足を払い、頭から縁石に押し倒す。
「壊れたモンは叩きゃ直るんだとよ、頭にも効くか試してろ石頭。」
とりあえず、通行人の邪魔にならないように端へ蹴り転がし、上着を羽織りながら振り返る。
「んで、おっさん。怪我ねぇかよ?」
「あ、あぁ……ありがとう。」
「無事なら良いから、早く帰れよ。あ〜、寒……」
「待ってくれ!」
怯えてるかと思いきや、五十代程の男性は声をかけてくる。唖然としていただけらしい。面倒な説教ならごめんだと思いながら、顔を顰めて振り向けば、転がっている二人に盗られていた財布を取り出している。
「何も無しじゃあんまりだ。せめて」
「おい、ふざけた真似すんなよ。イラついたからアイツらに突っかかっただけだ。ンなもん貰ったら、俺がクズみてぇじゃねぇか。」
「しかし、言葉だけでは私の気が済まない。」
「あ〜……メンドクセェ。なら、アレだ。隣町の柏陽って家に寄付しといてくれ。ガキが包み開けるにゃいい時期だろ?」
じゃあな、と吐き捨てて逃げた彼は、そのままバイト先に駆け込んだ。裏口から入れば、人は居ない。
「うし、セーフ……」
「アウトだ、バカタレ。三十七分、遅刻!」
「あで!」
ファイルで叩かれた一哉が、すぐに制服に着替える。
「先輩、叩くのは酷くないですか?」
「叩かれるような事してんのは誰だよ。マジでお前を紹介した俺が怒られるんだぞ。」
「あー、はいはい。感謝してますよっと。」
「こんの野郎……」
適当に返す一哉に、「ほんっと態度は悪いよな、コイツ……」とボヤきながら先輩が持ち場に戻って行く。
何処をほっつき歩いているのかも知らない、赤服の老人の季節は終わり。竹に松に神頼み、餅にみかんを乗せる時期。店内のラインナップもガラリと変わる。
「えっと……あれ、全然進んでねぇじゃん。マジかぁ、間に合うかぁ? これ。」
自分の遅刻は棚に上げ、ぶつくさと文句を言いながら台車にダンボールを積み上げる。品出しが進んで居ないと言うことは、店内の混雑と棚の空白が考えられる。辞めたい。
案の定、人の多い狭い廊下を縫って、特売や目玉商品の近くの棚から補充していく。中にはダンボールから直接品を持っていく連中もいるが、気にしていたらキリが無い。
ようやく人混みを抜け、レジ付近の比較的空いている棚を回る。数量限定の品はとっくに売り切れ、日用品があるくらいの物だ。
「そぉいや、シャンプー切らしてたな……メンドクセェし、石鹸でいいか。」
値段を見ると、毎度買う気の失せる品物類を並べていると、少し向こうに子供が丸くなっている。よく見れば、肩が跳ねているし、耳が赤い。泣いているんだろう。
(近くに人……居ねぇし。あ〜、メンドクセェ〜。)
流石に放置とはいかないし、レジの方は混んでいそうで任せるのも難しい。他の客は論外だ、素性の知れない人間に任せるのは危ない。
台車と空のダンボールを隅に寄せ、一哉は蹲る子供に話しかけた。
「おーい、坊主。何してんだよ。」
「ひっ……」
「ンなビビんなよ、別に怒りゃしねぇって。カッコイイの持ってんのに泣いてるから、気になったんだよ。」
しゃがみ込んだ一哉の示すのは、少年の持つチョコのパッケージ……と言うには、あまりに玩具の印刷の大きな箱。
「それ、エレメンジャーのレッドフェニックスだろ?先週の必殺技、凄かったよな。」
「お兄ちゃんも見てるの?大人なのに?」
「大人でも面白いモンなら楽しむんだよ。」
年の離れた義弟達に付き合ううちに、ハマってしまったのは内緒だ。
とりあえず、気を逸らす事には成功したらしく、楽しそうにその番組の事を語ってくれる。スーパーヒーロー様々である。
(いや、コイツが素直なだけか?)
「それでね、ブルードラゴンがね、」
「お、エビルをやっつけた奴だよな。あんな遠くなのにバッチリ撃ち抜いたもんな。」
「そう! でも、無かったの……」
「リーダーより人気だもんな、すぐに売り切れちまう。弓ってのがもうロマンだよなぁ……」
そろそろ打ち解けて来たか、と言う頃合。あわよくば人が来てくれりゃあなと思っていたが、周りの忙しさも変わっていない。
「ところでよ、坊主。一人で来てんのか? 友達とかは?」
「ん、ママが居たんだけど、迷子になってるの。」
おう、そりゃお前さんが迷ってんだよ
そう言いかけた口をグッとつぐみ、適当にうなづいておく。へそを曲げられては、言う事を聞いてくれない。反抗的に拗ねた子供程、面倒を見れないものは無い。野良犬の方が素直だ。
「しょうがねえな。そんじゃ、迷子のお母さんでも探しに行くか?」
「手伝ってくれるの?」
「そりゃ、ここの従業員だからな。この中で起きた問題は俺の問題でもあんだよ。」
「そっか?」
子供を引き連れて歩いていても、制服なら職質もされない。流石に外には出ていないと思うが、この店内で歩いて探すのは無理だろう。
アナウンスの為の部屋へ連れて行けば、カップ麺を啜っている女性がいた。
「……サボりですか?」
「いや、非番。」
「なんでいるんです?」
「暖房代の節約?」
「制服なのは……」
「癖。」
もう何を言っても無駄かもしれない。どうでも良いか、とマイクのスイッチを入れて、一哉は迷子放送をかける。直にここに親が来るだろう。
非番(本人申告)の先輩と話し始めた子供をチラと確認し、問題ないと断じて椅子に腰掛ける。もう帰りたい。
「あれ? そんなの持ってたっけ?」
手持ち無沙汰にライターを弄り出した一哉へ、先輩が問いかける。つられて視線を送る少年が、キラキラとした目で見ている。
「危ねぇからダメだ。」
「えー?」
「レッドが焼けちゃっても良いのか?」
「やだ。」
蓋を開けて点火して見せた一哉が、それを先輩へ近づける。
「ここのノズルがイカれてたのと、タンクがダメになってたんで取っ替えてました。直ったのは先週です。」
「そうなんだ。ん? 君って煙草ダメじゃなかった?」
「別に吸わなくても持ってる事もあるでしょう?」
機嫌が悪くなってきた一哉に、これ以上の詮索はヤメだとカップ麺を啜り始めた。煩い。汁が飛んだ。汚い。
「食い方……子供の前ですけど。」
「気にしない、気にしない。」
「そうですか。」
真似すんなよ、かっこ悪ぃから、とだけ子供に告げると、一哉は外へと出て見渡す。そろそろ来ても良いと思うのだが。
「仕事、戻れば? どうせ暇だし、私が見とくよ。」
「先輩が?」
「一応、妹や姪っ子の世話してたし。何とかなるもんよ。」
「んじゃ、お願いします。」
このおばちゃんの事を見張っててくれな、と宣った一哉に箸が飛んでくるが、すぐに退散して仕事へ戻る。
会話の取っ掛りくらいは作れただろう。ああいったコントのようなやり取りは、嫌いでは無いはずだ。とりあえず、後は関係ない。
「……まだって言ってんの! 分かるか?」
「申し訳ありません。」
帰って見れば、隅に寄せていた筈の台車が道の真ん中に鎮座している。
その近くで怒鳴る爺さんと、謝っているのは先輩だ。ダンボールが蹴り出されているし、何ならまだ棚に置いていなかった玩具付きお菓子が散らばっている。売り切れていたブルーのヒーローの物だ。
レジではしゃぐ子供の手には、その玩具。何があったのか、何となく分かるが。それを指摘した所で爺さんが納得はしないだろう。
「すいません、それ置いてたのは私です。すぐにお片付けいたしますので。申し訳ありません。」
とりあえず頭を下げておけば、納得するだろう。先輩を押しのけ、さっさと台車に荷物を積み上げる。
「こちら、お詫びとなります。誠に申し訳ございませんでした。」
どうせ、浮かれた世間の熱に当てられた、普段は来ない客だ。場当たり的な対処で問題無いだろうと、レジに設置されている会員用のクーポンを差し出しておく。
「おい、一哉……!」
「後でお願いします。」
小声のやり取りをバッサリ切って、先輩を引きずって退散する。
「あのな、こんな事したら不公平」
「このクソ忙しいのに構ってる時間無いですって。紙切れ一枚で済むなら安いっすよ、どうせ期限の一月までに来ないですし。」
「そういう問題じゃない!」
肩を竦めて逃げる一哉に、先輩が呆れた声を出す。チラリと見れば、唖然とした爺さんと、それにじゃれている子供が見える。
手に持つのは、品出し中の玩具だろう。お前の孫かよ、と怒鳴りそうになる気持ちを抑え、裏手に回って火をつける。ライターの火が、揺らぐ。視界の中を頼りなくチラチラと踊る。
「よう。」『なに、ハックー。』
「なんでも良いからや、喋っとけよ。」『えぇ?』
頭の中を駆け巡る、非日常の声。現実から目を逸らしているだけだが、有効ならばなんの問題があるのだろうか。
万引きも怒鳴り声も、腹立たしい事この上無いが。子供のやる事に首を突っ込む気もなければ、年寄りに構う時間も無い。しかし、これが関係者となれば、流石に腹立たしい。
とりあえず、損害の件は店長に判断を任せるとして。時間とカメラの番号を控えてメモしておく。菓子を二箱とはいえ、盗難は盗難。見つからない店長のデスクに置いて、帰り支度を進める。
午前中だけとは言え、こんな日にシフトを入れるんじゃ無かったと後悔しつつ、先輩のロッカーにコーヒーだけ仕込んで店を出る。
「なんだよ、お前!」
聞こえてきた声に振り向けば、あまりに見覚えのある子供達が二人、喧嘩をしているらしい。近くに親の顔は見えない、駐車場にいる彼らがいつ轢かれてもおかしくは無いだろう。
「あ〜……厄日だ、クソ。」
とりあえず店の中に引っ込んで貰うしかない。後の事は保護者に任せるのが正解だろう。
「それ、返さないとダメだよ!」
「お前には関係ないだろ!」
「ダメな事はダメだもん!」
ヒートアップして突き飛ばしあってる二人の首ねっこを引っ掴み、店の中へと引きずっていく。
「おい、アホガキ共。アスファルトの染みになりたくねぇんなら一回黙れ。」
「んだよオッサン!離せ!」
暴れる子どもは店員か保護者でも探そうかと見渡す前に、横から怒鳴り声が飛んできた。良く聞き取れないが、振り向いて視界に入った顔を見れば、おそらく「うちの子に何をする」辺りだろう。
制服じゃないのは不便だなと思いながら、離して欲しがっていた子供を離す。派手に蹴りをかました挙句、すっ転んだその子が母親の元へ走る。まだ怒鳴り続けているが、甲高い声は良く聞き取れない。
「お、お兄ちゃ」
「何があったのかは、だいたい分かった。お前は間違ってねぇがその上で言うなら、お前は馬鹿だ。そういうのは呼ばれてもねぇ外野が手を出すもんじゃねぇ。」
「でも……!」
「男が泣き顔見せんな、被ってろ。」
大きな帽子を押し付け、さっさと子供を引き離す。後ろの煩いのは……どうするべきか。店員だとバレている訳では無さそうだし、このままトンズラすれば、此処を辞める必要は無さそうだ。
「ちょっと、どこ行くつもり!」
「用があんなら、着いてくれば良いんじゃ無いですか?道塞いでんですよ、俺ら。」
辺りの煩わしそうな目、人相の悪い自分に集中しているのは分かる。とんだ面倒に首を突っ込んだとイライラを募らせながら、店を出る。
流石に追いかけては来なかったようで、後ろは静かな物だ。歩きながらライターを点火する一哉に、奇異と恐怖の視線が集まる。今更だと断じて、炎を見つめる。
あまりに不器用で、子供じみて、極限状態だった奴ら。そんな人間に混ざり、訳の分からない事を叫ぶAI達。数ヶ月前に体感した七日間が、小さな炎の中に、写る。
「OK、俺はマトモだ、まだ大丈夫。」
ロクデナシなのは分かっている、だが迷惑をかける訳にはいかないのだ。柏陽の家は、最後の居場所だ。失いたくない。
役立たずがどうなるか、知っている。それでもおやっさんなら……とも思う。そんな甘えた自分が嫌になる。