第1話 転生先は崖っぷち
まず最初に思い浮かんだ事は「寝つきの悪い枕だ」と言う事だった。
先日買い替えたばかりで、まだ月日も経っていないのにもう使い物にならなくなってしまったらしい。
今まで避けてきてはいたが、枕というものは自分に合ったサイズを測って作らなければならないのか。
そんなことを思いながら体を起こし、明日辺りにでも寝具屋へと駆け込んでやろうかと両目を擦ってぼやけた視界を見開いていくと、
「………………ここどこ」
目の前にはメイド服のような白と黒の服の女性が驚愕の表情で口元を押さえ、時代錯誤な壁紙に目がチカチカする金属物質でできたオブジェクトが散乱する知らないお部屋。
そして目の前で驚いた口を塞げていない人たちの前で、反応をするべきか分からないまま天を仰ぎ見るとシャンデリアが。
「….…しらない、本当にどこ」
そう小さくつぶやいた瞬間に髭面の男が食い入るように正面にヌッと入り、それに驚いて後ろに下がろうとして枕につまずきベッドに転がる。
先程から何が起こっているのか理解できないまま、ベッドに横たわった先に見える立ち鏡にて、見覚えのある女性の姿が写っていた。
「………………嘘だろ」
それを見るやすぐさま布団を投げ出して髭の男性にぶつけ、勢いのままに鏡に掴みかかるが、
「これ……ラクシアだ」
鏡に映っているのは正真正銘自分の姿だと言うのに、その風貌は日本で流行っていた乙女ゲームの悪役令嬢にして、
どのルートでも惨殺される悲しきモンスター、ラクシア=ギルガントだった。
■
2000年代のギャルゲーならぬ乙女ゲーム。
当時にはそんなものが流行っていたらしく、当時は産まれて間も無くパソコンなんぞいじった試しもなかった彼は存在自体すら知らなかったが、彼が大学生ほどになった際、よく見ていた動画配信者が思い出したかのように配信をしていた光景を時間つぶしに眺めていた記憶がある。
ゲームの名前は『クロスピリオド』
名前の由来を彼は調べたことはないが、コメント欄の人間曰くマルチエンディングを採用した結果このようになったとか。
ともあれ、よくある攻略対象となる男性陣と会話をして惚れさせ、ストーリーを進めながらゴールインするのがこのゲームの大まかな目的、となっているが、
目的があるならその障害が必ず存在する。
そうでなければ物語として破綻しているため、絶対にライバルポジションの人間が必要なのだ。
ただこのゲーム、製作陣が何を思ったのか「あまりひどい人間を入れたくない」という、制作スタッフに人間不信の権化がいたのか、それともリーマンショックのダメージがスタッフたちには強すぎたのか、意地汚いクソ野郎を徹底的に排除したとんでもないフワフワゲームなのである。
当時は秀逸なバッドエンドや、グロいけど名作。と言った作品が多かったため、プレイヤーのSAN値が異常なほど低下していた時期だったこともあって馬鹿売れ。
結果的に商業的には一人勝ちした様な状況ではあったが、ライバルポジションを不在にする事はできなかったらしく、
『本来複数人出てくるはずのライバルの報復を一身に背負ったラクシア』と言うキャラクターができてしまったのだ。
没落エンドはデフォルトで付き纏い、ありとあらゆる地獄を同時に体験できるエキスパートセットをどのルートでも背負っている徹底っぷり。
製作陣と途中から「もう全部こいつでいいんじゃないか?」と遊び始めたのか、血の池沼に蹴り落とされる所業を止める者はいなくなり、とにかく「全てのヘイトを集めてくれ!」というカオスが始まった。
やることなすこと全部裏目に出て、何をしてもどのルートでも、なんなら何もしなくてもボコられるとんでもないキャラクター。
に、日本在住の18の青年は魂をぶちこまれて最低最悪の悪役令嬢、ラクシア=ギルガントに転生させられてしまったのだ。
(嘘だろ……そんなことってあるのか)
目を覚ましてからこのふざけた状況を受け入れられず、一心不乱に取り乱したラクシアを複数人のメイドたちによって取り押さえられる。
そして女性物のヒラヒラしたスカートに貴族の塗りたくった権力によって作られた豪勢なドレスを着せられたラクシアは、人間の尊厳を失ったことすら諦め、今の状況を必死に整理しようと頭を捻っているが、彼の髪の毛はメイドによって櫛でとかれている。
「急に倒れられて私びっくりしたんですよ。それにいつもは小うるさいのに今は静かで、やっぱりおとなしい方が女の子らしいですね!」
「あ……ははははっ…………はぁ」
目の前にある巨大な鏡に映る自身の姿は紛れもないラクシア=ギルガント。
長いストレートの金髪に、きめ細かい白い肌。
まつ毛同士がぶつかって邪魔になるほど長いまつ毛に、宝石のような碧眼。
前世にこんな人間が道を歩いていたら確実に何かしらの犯罪に巻き込まれそうな美貌をしているが、
(キャラデザのラクシアはもっと胸があった気がするのに……今は無いんだな)
胸に手を当てると少しばかりの膨らみは感じられるものの、見た目ではただの断崖絶壁。
世の中ではDカップより下は服着たら一緒、などと言われているが、そんなもん知らなくたって今のラクシアの胸はまな板だ。
だが今の彼女の肉体年齢は12歳なため、この歳では仕方がないとも言える。
「あぁ……えっと、アンナ。俺はどれくらい寝ていた?」
「そんな汚い言葉遣いする人の髪の毛なんてボサボサでいいんですよーだ」
「あっ……えぇと。どれくらい寝ていらしたのですわ……」
この世界に人権はないのか。
既にライフを失っていると言うのに、これからは借金でもしろと言うのか。
心がすり減ってバットルートに入る前に死ぬんじゃないのか? とすら思えるが、一応納得したのか、原作でも登場していたラクシアのメイドであるアンナは2度目を言わせることなく口を開いた。
「大体1週間ほどですね。なんかいきなり叫び出して暴れ出して、階段から落ちて今に至るわけです」
「分かった。お前が何も覚えていないのは分かった」
アンナが基本的にボーッとしているのは原作と同じ。
仕事もお世辞でもできるとは言えず、話を聞いていなかったり花瓶を割ることはしばしば。
ただラクシアに対してメイドではなく姉や姉妹のような関係を築いていたことから、破滅した彼女のそばに最後までいた家族でもある。
(ラクシア……お前はこんないいやつを死なせたのか)
鏡に映る自分の姿、そしてどのルートでも破滅したラクシアの姿。
ゲームでの彼女の行いは良かったわけではない、むしろ場をかき回して主人公にイジメを働くクソ女であったことは確かだ。
陰湿なイジメを行って攻略対象に近寄る主人公を追い払い、行く先々でストーリーの邪魔をしてプレイヤーから嫌われる存在。
そしてゲーム内でも、そして今彼の生きているこの世界でも上位に位置する善人を死なせてしまった馬鹿だ。
「お前……もしも俺が死ぬような目にあったとしたら、置いて逃げろ」
「頭打ってから馬鹿になっちゃったんですか? 汚い言葉ばっかり使ってると、婚約できませんよ」
ほっぺたをつねってくるアンナは鏡の向こう側にいるラクシアへと微笑みかけ、遠くから見れば鏡が一枚の絵になっている光景に、ラクシアは一つの覚悟を決めた。
■
ギルガント家の屋敷は王国の中でも随一の大きさを誇るだろう。
ただでさえ公爵家という貴族の中でも上位の位に位置する上、ギルガント公爵家が王族と密接な関係を長年築いてきたことがこの屋敷の大きさに関わっているのだろう。
そして街そのものを一望できるほどの大きさを持っているギルガント家の屋敷の屋根の上で、ラクシアになった少年は長い髪の毛を靡かせ、風に向かって立っていた。
「俺は死んだ時の記憶がない。ただ眠るように目をつぶって、朝起きたらここに目覚めた」
異世界転生、しかも創作物の世界なんてものが本当にあるのかはわからない。
もしかしたらこれは夢で、死んだ後に見ている束の間の休息なのではないか? と、そんなことすら思えてくる。
沈む夕日に向かって、ラクシアは顔をあげた。
「俺はこの夢かもしれない世界で、俺がもう一度死なないために全てを尽くす」
死ぬのが怖いのは確かだ。
死の恐怖と言うものは誰にだってある。
だがそれ以上に、アンナという報われてもいい人間を、半狂乱になって人格が分離したとして誰も寄り付かなくなってしまったラクシアにわざわざ会いにきてくれた彼女を死なせたくない。
既にラクシアを見ているメイドはアンナ以外いない。
おそらくそれはゲームでもそうだったのだろう。
彼女は最後までラクシアのそばにいた。
だから死んだ。
「そのためにーー」
攻略対象を全て殺し、このゲームを終わらせる。
それがラクシアの運命を破壊する一筋の光だと信じて。
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