来世は猫以外がいい
「わああああん! またフられたよおおお! 慰めでヂビズゲ~!!! そばにいでぐれるのはヂビズゲだげだよお~!!!」
玄関のドアを乱暴に閉めた途端、カバンを放り出して、膝をつき、号泣し始める僕の飼い主。自称バリキャリのデキる女が、子供のように思い切りギャン泣きしている。しょうがないのでトコトコ近寄っていくと、酔っ払いとは思えぬ俊敏さで捕獲されてしまった。
くうっ、酒臭っ。かなり飲んでるみたいだな。がっちり脇を掴まれて逃げることも出来ない。抵抗できずに涙と鼻水でべちょべちょになった顔を、腹にぐりぐりと押し付けられる。ううう、普段なら軽く引っ掻くか甘噛みしてやるところだが……仕方ない、今日ぐらいは我慢してやるか。
相手は一つ年上の同僚らしい。今日で三度目になる二人っきりのディナーを終えて、いい雰囲気だと少なくとも彼女は思っていたようだ。勇気を振り絞り、いざ告白してみたら「君のことは妹のように感じていて、可愛いとは思うけど、恋人として付き合うことは出来ない」とあっけなく断られたらしい。
相変わらず彼女に男を見る目がないのも問題だけれど、相手の男もその気が無いのなら繰り返し食事に誘ったりするなよ! 勘違いさせた挙句、こっぴどく振って傷つけやがって! もし目の前に現れたら、具体的な箇所は伏せるが噛み千切ってやる!!
そもそも君が浮気するのが悪いんだぞ。どうせ「私、もう一生チビスケと二人で暮らしていくことに決めた!」なんて、明日あたり性懲りもなく宣言するだろうけど、またしばらくすれば別のダメな男に引っ掛かるに違いない、きっと。
「いつも一緒に居られるだけで十分」だと言ったくせに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私、もう一生チビスケと二人で暮らしていくことに決めた!」
度数の強いアルコールのせいか、一晩中泣いていたせいかは分からないが、ガラガラに枯れて掠れてしまった声で、力強く宣言する彼女。僕の前足を勝手に取って、わざわざご丁寧に指切りまでしている。
はいはい、そのセリフはもう聞き飽きたよ。
「……でもなあ、チビスケと結婚するわけにもいかないし。あーあ、チビスケが人間だったら良かったのに」
その愚痴だって、一体何度言えば気が済むんだか。元々は君の願いを叶えるために猫になったんだぞ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私、どうして軍人さんなんか好きになってしまったのかしら……」
「なんかとはなんだ、失礼な!」
「命を失うかもしれない戦地に、私を置いて行ってしまう軍人さんなんて『なんか』で十分よ! あーあ、あなたが猫だったら良かったのに……」
「猫だったら君を守ってやることも、結婚することもできないだろう」
「別にいいじゃない。いつも一緒に居られるだけで十分よ。危険な任務に出掛けたりせずに、ずっと私の傍にいてくれるんだから……人間のあなただって、傍にいてくれないなら、私を守れないじゃない……」
軽口で不安を誤魔化そうとしていた彼女だが、堪え切れず目に涙を湛えている。その姿を見て、僕は何も言葉を返せなくなってしまう。
「……」
「……どうか、無事に私の元へ帰ってきてね」
「……ああ、誓うよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの約束を守れなかった代わりに、君の願い通り、猫になったのに……
「そうね。どうせなら、私を守ってくれる、逞しくて頼りがいのある男性がいいわ! 軍人さんなんてカッコ良くて素敵だと思わない、チビスケ?」
はあ? ……全く、君は学習能力がないのか! 一体何度僕を入隊させれば気が済むんだ!
「あら? ふふ、チビスケったら嫉妬してるの? 大丈夫よ。私は、いつまでもチビスケのことが大好きだし、ずっとあなたの傍にいるからね!」
こういう時にいくら自制心を働かせても、喉をごろごろと鳴らし、尻尾をぶんぶんと振ってしまう、猫の習性が恨めしい。
僕は、あとどれだけの時間、大好きな君と一緒に過ごせるのだろう。また僕だけ先に旅立つのは申し訳ないが、今度は絶えず冷たい雨のように鉛玉が降る戦場ではなく、温かい君の膝の上で看取ってもらえるなら、僕にとっては最高の猫生だ。
何度生まれ変わっても散々振り回されているというのに、きっと今回もまた神に祈ってしまうのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヂビズゲェ……わだじをひどりにじないでえ……ずっどぞばにいでよお……」
もうまともに動かすことが出来ない身体に、ぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちているのを感じる。本当にいくつになっても泣き虫だなあ。
……これでも猫の割には、かなり無理して頑張った方なんだから、あまり無茶を言わないでくれ……浮気だって山ほどされたが、それでも最期に一緒にいてくれるのなら悪くないと思ってしまうのだから、僕も相当重症らしい。
……じゃあ、先に行くよ。また絶対、君のことを見つけ出すから。
「……にゃあ……」
神様、仏様……来世は猫以外でお願いします。人間が良いです。出来れば軍人になることができる丈夫な体に生まれたいです。
そして……どうか次も彼女の傍に、ずっといられますように。