不思議な通夜の客達
僕が5歳の時、祖父は亡くなった。
祖父は本を書いていて、小説とエッセイというか論文みたいなものを書いた文筆家だった。
小説は怪奇小説というのか、妖怪や物の怪を書いていて、実物を見て書いたのではないかといわれるほどの緻密さは一部のマニアが今でもいる。
本人は論文の方、難しい哲学というか解釈論の方が本業で力を入れて書いていると言っていたそうだから不本意だったかもしれない。
でも僕自身も、おどろおどろしい人外を題材にしながら、どことなくそれらに対する優しさを感じる小説の方が好きだ。
祖父は生前、呪術や妖術の研究をしていると噂されるほど変わった人物として有名だったし、僕の家は今でも近所では有名なお化け屋敷だ。
そんな祖父が亡くなった、お通夜の時の話をしようと思う。
僕はその時とても不思議な経験をした。
そしてそれ以来、厄介な事情というものに否応なく巻き込まれているような気がするのだ。
だからこれは始まりの物語。
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「お父さん、どこ行くの?」
僕はお父さんに抱きかかえられて、家の中を移動している。
僕の家(祖父が建てた家だ)は郊外にあって大きな日本家屋だ。
「お祖父ちゃんの遺言でね、楓はお通夜の間お祖父ちゃんの書斎にいるようにって。」
「僕だけ?」
「そう。お祖父ちゃんの最後のわがままだからね。大丈夫、終わったらすぐにいくからね。」
そこは、僕が祖父を好きだったこともあってお気に入りの場所だったし、お通夜の間そこにいることに対して特に不満はなかった。たとえ一般的な書斎と祖父の書斎がまるで違うものだったとしても。
祖父の書斎は元々蔵だったものを改装して執筆活動できるようにしたもので、非常に暗く湿っていてまた祖父の収集した怪しげなものが所狭しと収められている。人によっては入りたくもない、と思う場所かもしれない。
抱きかかえられたまま書斎に入ると、父は外から鍵をかけた。
父は、木の格子が付いた窓から中を覗きながら、いい子にしていてね、というと母屋の方に歩いて行ってしまった。
子どもの頃の記憶だし、時間の経過は定かではないが僕は退屈してしまった。
書斎には勝手に入ってはいけない、また中のものにむやみに触ってはいけないと祖父は家族に強く言い聞かせていて、僕も例外ではなかった。祖父がいない書斎というのは初めての状況で、正直やることがなかったのだ。
僕はそこでいたずら心を発揮して、どこからか外に出れないかと動き出した。
元は蔵ということもあって隙間もなく、出入り口は父が鍵をかけた1か所のみである。
当然出れないはずの場所なのだが、何の気なしに触った正面の入り口がなぜか開いてしまったのだ。
お通夜でたくさんの人が来ているはずにも関わらず、家はとても静かで不思議だった。
母屋に入っても誰ともすれ違うことなく、僕はふらふらと歩いていた。
客間の一つの前を通りかかったとき、中からはぼそぼそと小声での会話が聞こえてきた。
「あやつも不運なことだ。術など使わなければ寿命を縮めることもなかろうに。」
「ふん。これで儂らの契約もお終いじゃ。」
「最後に食事の席を用意しておいたことは律儀なあやつらしいが。」
「龍は呼ばれなんだか。あやつの一番の使い魔だったろう。」
「鬼灯は席も用意されとらん。あやつと一緒に滅びる契約だったのかもしれん。」
「しかし、このような飯では腹は膨れんぞ。」
「通夜が終わるまでは待った方がよかろう。」
こっそりと覗くと中では7人がもしゃもしゃと食べ物を咀嚼していた。
しかし、その誰もが一見して人間ではない。
角が生えているものもいれば異様に頭の大きいもの、大きな目が顔の中心にあるものそんなもので部屋は満たされていた。
つまりは妖怪の類である。
僕は、息を殺してじっと中を見ていたが怖くなって少し客間から離れた。
「そこのお嬢ちゃん。」
肩を捕まえれて驚いて振り向くと、そこには、先ほどの連中とは違う、それでもやっぱり人間には見えない人物が立っていた。
着物を着崩して、鋭い目つきをしたその男は、こちらを見てニヤニヤと軽薄そうな雰囲気をしている。
「お嬢ちゃんここの家の子かい?名前を教えてくれないかい?」
祖父は事あるごとに名前の重要性を僕に説いていた。曰く、真名は存在を縛る、だとか。
「知らない人には言えないよ。おじさん、だれ?」
「そうかい。残念だな。私の名前も教えられないな〜。」
「お客さんならあっちの部屋でご飯食べてきたら?」
「あそこは7人分しか席がないだろう?」
確かに、御膳は7つしか用意されていなかったなと未だヒソヒソと話し声の聞こえる客間様子を思い浮かべる。
「うん。じゃあおじさんはなんでここにいるの?お通夜はむこうだよ?」
「私の目的は他にあるからさ。そこのお客さん達はお酒を飲んでいたかい?」
「飲んでたよ。部屋の外まで匂いがしてた。」
「ならもう少しか。」
そう言って男は廊下の曲がり角の向こうで壁に持たれた。
その時、不当に不穏な、背中に悪寒が走るような嫌な感じがしたかと思ったら客間から一人の鬼がコソコソと出てきたのと対面してしまった。
「こんなところに人間がおるわ!ちょうどいい!腹が減って限界じゃ。」
鬼が小さな、それでも肝が冷えるような低い声で僕にそう告げた。
腕をとても人とは思えないような力で掴まれ、引きずり込まれる。鬼が大きな口を開けて笑っている。
「まったく行儀の悪い。」
廊下の向こうにいたはずの男はいつの間にか鬼の向こう側にいて、手刀で僕を掴んでいる鬼の腕を叩き切った。
血も出ず、まるでツルツルに磨かれたような断面に夢なのかと思うが切断された鬼の手に掴まれたままの僕の腕はまだ痛い。
そのまま男は口を大きく開けて、鬼にかぶりついた。グシャぐしゃと鬼はどんどん食べられていき、その姿はすぐになくなった。
男は突然のことに呆然としている僕の手を取り、腕に残ったままの鬼の腕も食べてしまった。
「これで一つ。あと6つか。お嬢ちゃんも悪さをしたら食べちゃうぞっと。」
男はまたも軽薄な笑顔をこちらに向けた。
「この家の人に悪さをしたら許さない!」
「許さないって、お嬢ちゃんに何が出来るんだい?視ることしか出来ない人間が。蒼乃丞みたく無茶でもしてみるかい?」
「おじさんの名前は鬼灯。真名があれば、魔も扱える。」
「ならほど。蒼乃丞め、こんなお嬢ちゃんにまで…いやぁ、そうか。君は男の子だね。君の名前は練無だね。」
男は繋いだままの手を見て気がついたみたいだ。
「これで、お互い名前がわかってる。それなら長く生きて霊力も大きいこちらが有利だ。いい子は今夜のことを忘れた方がいい。私の契約は、蒼乃丞の孫を守る代わりにやつらを始末することなんだから。」
そういうと男の身体は瞬きをする間もなく、瞬く間に変化していく。
龍。
体の大きさはそこまでではないものの、煌びやかで淡く光を放つその姿は、気高く美しい存在なのだと思わせるものだった。
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僕はその後のことを覚えていない。
気がついた時には祖父の書斎で寝ていた。父が優しく僕を起こしてくれたのだ。
父は、弔問客が多くて騒がしい中熟睡していた僕を笑うと、僕を抱っこして母屋へと向かった。
客間の横を通りかかったとき、中を見ても食べ物が用意されてた形跡はなかった。
「誰か、ここにお客さんいなかった?」
僕は父に尋ねたけれど、父は首を振った。
後になって分かったことは、手伝いに来ていた親戚が誰か客をその部屋に通した。膳が用意されていた。と言ったが誰一人として気がつかなかったし、膳を用意した人もいなかった。