四月九日金曜日――弐
輝希はさいたま署に向かいながら、耳につけたハンズフリーマイクで賢治と通話していた。
「その少女の名前は?」
『名前は真軸未央。さいたま高校の一年生です』
「ん? その子ってもしかしてA組か?」
『そうです。よく分かりましたね』
「同級生だ」
輝希はため息をグッとこらえた。
『保護理由は万引きとのことですが……』
「詳しいことは俺が聞く。令状は取れたか?」
『申請はしましたが、間に合いそうもありません。一応、話はしておきました』
電話口から申し訳なさそうな声が聞こえた。
「じゃあ、あの手を使うよ。処遇はどうすればいい?」
『そちらで済ませられるのであれば、おまかせします』
「分かった。一応、第二応接室を開けといてくれ」
輝希が電話を切ると、別のところから着信があった。
車の中でスーツに着替え、輝希は警察署の中に入った。
受付で手帳を見せた。警官として、輝希は常に警察手帳を持ち歩いていた(というより、義務付けられている)。
「警視庁捜査五課の者ですが、ここに保護されている真軸未央という少女についてお話があるんですが」
「少年課ですね? 少々お待ち下さい」
受付は怪しむことなく電話を手に取った。
しばらく会話した後、電話を切った。
「少年課で担当の中村さんがお待ちです。ご案内します」
「一人でいいよ」
そう言って、エレベーターホールに向かっていった。
・・・・・・
『警視庁捜査五課の方がお見えになりました』
「なに?……分かった。通してくれ」
少年課の刑事、中村は苛つきながら、焦っていた。
(電話があったのは十分前……埼玉にも統制局があるのか。これじゃあ、またあいつらに)
霊力管理統制局(捜査五課)と警察庁の間で、些細な対立がある。警察が逮捕した被疑者を統制局に横取りされるのである。裁判所に訴えようとも、妖怪、霊感のある者の司法権は統制局にあるため退けられてしまう。
なので、警察が一方的に統制局に敵対心があるのである。
そんな焦っている中村を見ながら、魔法使いの真軸未央はため息をついた。
未央は買い物をしようとレンタルビデオ店を訪れた。ふと、話題の作品のことを考えたとき、その作品のDVDが手元に現れた。その直後、店からアラームが鳴り、店員がやってきた。訳も分からず、黙っているとやってきた警察に連行されたのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。中村が面倒くさそうに開けると、三十代前半ぐらいの男性が入ってきた。
「警視庁捜査五課課長の吉田です」
「あなたがあの五課の課長ですか。少年課の中村です」
柔らかい表情で柔らかい自己紹介をした吉田に対して、中村は不機嫌丸出しで答えた。しかし、吉田は気にした素振りも見せず、話を進めた。
「私がこちらへ伺ったのは、そちらの真軸未央さんの身柄を引き取るためです」
吉田の目が一瞬こちらへ向けられて、未央は俯いてしまった。
「これは霊力管理統制法に基づくものですので、ご理解いただきたい」
「……拒否したら?」
中村は吉田に訊ねた。まだ令状がないので強引には引き取られないと考えたのだ。
「霊力管理統制法第三条に基づき、実力行使を取ります」
入室時から変わらない笑顔で吉田が言った。
次の瞬間、中村はマリオネットの糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「真軸未央さん」
未央が中村を見ていると、不意に話しかけられた。その声は先程とは違うが、聞いたことのある声だった。
「あなたを、東京の統制局に連行します」
記憶力の良い未央は、たった一度だけ聞いた同級生の顔を思い浮かべた。
「よ、吉田くん……?」
未央が吉田の顔を見ると、同級生の吉田輝希の顔になっていた。
・・・・・・
輝希は未央を車に乗せ、千代田区――統制局に向かっていた。
後部席の未央は怒りと戸惑いを顔に浮かべていた。
「なんであなたが車を運転しているの?」
「君と同じ妖怪だからです」
それに対し、輝希はいつもの作り笑いで、平然と未央の問いに答えていた。
「免許は持ってるの?」
「もちろんですとも」
このように、未央が質問し、輝希が答える、という状態が続いていた。
「さっきの刑事さんどうしたの?」
「自分の力で、少し眠って頂きました」
「他の刑事さん達が追いかけてこない?」
「法律で許されていることですし、あの警察署の人達は君のことを忘れています」
「……どこへ向かっているの?」
「霊力管理統制局です」
「……あなたは何者?」
この質問には、輝希が答えるのに間があった。
真実を話すか否か。そして真実を話すことにした。もとより、秘密にしなければいけないことではない。ただ、それを聞いてパニックになられるのが嫌なだけだ。
「妖怪、サトリにして、妖怪の長。それと同時に、霊力管理統制局の局長をしています。貴女の母親の真軸麻未さんとは、ある事件で知り合いました。今回、貴女の件について彼女から解決を依頼されました」
さいたま署へ向かう途中、輝希が受けた電話は麻未からのものだった。麻未はさいたま署から電話が来てすぐに輝希に電話をし、この件を依頼したのだ。
「因みに、今回の件は不問にするつもりです。ただ、報告書を書かないといけない関係で事情を聞きたいだけです。終わり次第、家まで送ります」
「なんで……」
「ん?」
「なんで、そんなに優しくするの?」
未央は、輝希が信じられなかった。今まで、彼女の周りには母を除き、霊力を扱える者がいなかった。そのせいで、度々魔法を暴発させることがあった。
そんな彼女に誰もが、得体の知れないもののように冷たく接した。いきなり現れ、冷たく接せずにいる輝希に疑いを持つのも仕方ないことだった。
「色々ありますが、一つは君の母親に頼まれたからです。実は、麻未さんから貴女の能力について相談を受けていました。貴女の霊力が何故、暴走するのか。その理由もついさっき、貴女を見て分かりました。その理由は……着いたので後ほど説明します」
車は千代田区にあるとあるビルの地下駐車場に入っていった。
・・・・・・
「局長、お疲れ様です」
「お疲れ様」
輝希は賢治に一言かけ、応接室に入った。未央はその後ろにぴったりついて行った。未央の姿を見た賢治は何か気付いたようだったが、何も言わなかった。
室内は黒のソファーが二つとローテーブルのみのシンプルなつくりだった。
「まあ、座って下さい」
輝希は未央にかけるよう勧めた。
未央が座るのを待って、話を始めた。
「何時、何処で、何が、どうなったか。散々あそこで聞かれたと思いますが、話してください」
未央はしぶしぶ、という感じで口を開いた。
「……下校中に、駅前のレンタルビデオ店で買い物しようとしたんです。入口前のポスターを見て『レンタル始まったんだ』と思っていたら、手の上にそのビデオが現れて。そしたらアラームと一緒に店員が出てきて……気づいたらあそこにいました」
あそこ、というのは恐らくさいたま署の取調室だろう。
輝希はその話を聞いて考える素振りを見せたが、すぐに口を開いた。
「あなたの記憶を見てもいいですか?」
「……え?」
しかしそれは未央を混乱させるだけだった。
輝希も混乱させたままにするわけもなく、説明を始めた。
「自分の力で、貴女の頭の中を覗きます。そして、実際に起こったことを自分で追体験します。貴女に負担はかかりませんが、不快になるのであれば拒否していただいて構いません」
「どうやって?」
「はい?」
輝希はイエスでもなくノーでもなく手段を問われ、一瞬驚いたがすぐに意図を理解し、答えた。
「何も変なことはしません。そのときのことを考えていただければ、勝手に見させていただきます。ですが、思い出したくないのであれば、自分の右手を貴女の額に当てさせていただければ結構です。ただ、貴女の記憶すべてを視ることになります」
未央はそれを聞いて短くない時間、悩んだ。あの店のことも思い出したくなかったが、更にそのときのことも思い出すとなると、一気に嫌な気分になる。しかし、知り合って間もない男に自分の記憶すべてを見られたくなかった。未央は、輝希の言いたいことを正確に理解した。彼は言外に、「生まれてからすべての記憶を、貴女が望む、望まないに関わらず、全て読みますよ」と、言っているのだ。
結局、嫌なことを思い出したくない、と言うのと、母の知り合いということで、自分の記憶をすべて見させることにした。
輝希の記憶を視る作業は短時間で終了した。理由は、事前に記憶を視る手段について、説明したからだった。記憶を視る際、意識しているか無意識なのかに関わらず、考えていることのほうがそのことに関して見つけやすい。この場合、輝希が「そのときのことを考えていただければ」と言った時点で、無意識のうちに当時のことを考えていた。これが考えていない場合、記憶の中から当時のことを探さなければならなくなる(ただし、最近のことのほうが記憶の上に来るので大して変わらない)。
「ご協力、ありがとございました。約束通り、家まで送ります」
輝希はここに向かう車中でも言っていた通り、家まで送ろうとしたが、未央は断ろうとした。
「遠慮します。とは、言わせません」
しかし、断れなかった。否、自分から断ることができなかった。輝希に心を見られていたからである。
「貴女の母親にお話がありますし、少し遅いです。それに、また霊力(ここで言う霊力は妖怪、幽霊、霊能者が持つ力のこと)が暴発するとも限りませんし、家まで送ります」
未央は結局、輝希に送られることにした。
・・・・・・
未央は統制局を出発してからしばらくして、輝希が道を聞いてこないことに疑問を覚えた。
「私の家知ってるの? 方向違うみたいだけど……」
その声には恐怖と疑いがあった。しかし輝希はさいたま署のときと同じ声色で答えた。
「知ってますよ。しかしこの車は覆面として、警視庁に登録されています。なので、個人的に持っているタクシーに乗り換えます」
「こ、個人でタクシーなんて持てるの?」
「妖怪たちは一般のタクシーに乗るのに抵抗があるんですよ。だから依頼があったらすぐ動けるように一台持っています」
未央はこれを聞いて絶句してしまった。