第三話「とあるおっさんはのろわれてしまった」③
「よしっ! ここまで削れば、後は一番最初の呪符を引剥して、焼くだけだ……よくやったな! 最後の一枚……ひと思いにやってくれっ!」
最後に重ね貼りした呪符は、もうほとんど白いままだった……どうやら、呪詛をほとんど削り尽くしたようだった。
残っているのは、最初の呪符に引き寄せた分だけ……こいつを処分すれば終わりだった。
だが……どうやら、そうは問屋が卸さないらしい。
部屋の中に異様な気配。
気配のする方へ振り返ると、ボロ布を纏った骸骨のような奴が壁にできた黒い穴から這い出てくる所だった。
「……呪詛の護り手……解呪されることを先読みした上で、自動召喚の術式を組み込んでたって訳か。たぶん、これが最後の難関……アルマリアやれるか?」
呪詛の護り手……呪詛を凝り固めて、魔物化させたもの。
レイスだのゴーストと同じく、非実体系のモンスターなのだが。
呪詛の解呪中にどうしても空間に撒き散らされる呪詛の欠片を元に構築される……要は呪詛の副産物のようなものなのだが、解呪の妨害手段としては直接的で厄介な代物だ。
……ほっておいても、一時間も持たずに消滅するのだが。
物理攻撃が効かない上に、魔術やエナジードレイン系の攻撃を仕掛けてきて、解呪者や対象者を直接殺しに来る。
こんな物まで、仕込んでいるとは……何とも念の入った事で……。
顔の見えない敵のやり口に思わず、感心すら覚える。
本来は、この手のトラップや妨害対策、失敗時の周囲への被害軽減の為、幾重もの結界を張るものなのだが……ご覧の通り、その手の対策は全くの無策。
しかし、こんなもん……今の俺にはどうにもならんし、今は身動き一つ取れない。
「この程度、問題ありません……聖櫃の風解放ッ!」
アルマリアの対応は、一瞥してコマンドワードを一言。
直後、彼女の背後に光る棺桶のようなものが出現し、その蓋が開かれる。
ブワッと熱風のようなものが棺桶の方から吹き……呪詛の護り手は一瞬で消滅した。
文字通り、一蹴だった……すげぇ。
確か対アンデット用の広範囲殲滅術式じゃなかったか? 今の……。
そして、何事もなかったのようにアルマリアは、最初に貼った呪符を引き剥がす。
次の瞬間、ひときわ盛大に呪符が燃え上がる。
呪符は一瞬で燃え尽き、灰すらも残らない。
同時に酷く身体が軽くなったのを実感する……解呪成功だった。
まぁ、代償というべきか……最後の一撃で、胸毛を少々持って行かれたが、この程度……雄々しく耐えるのが男というものだと思う。
さらば、俺のギャランドゥッ!
あと、髪の毛も結構な本数犠牲になった……代償としてはそっちの方が辛い。
……命と引換えなら、安いものと思おう……でも、髪の毛は限りあるのだ。
辛い……。
「う、上手くいきましたぁ……よ、良かったぁ……」
額に汗を浮かべながら、アルマリアが安堵のため息を吐くとペタリと座り込む。
結局、アルマリアが解呪に使った呪符は23枚にも及んだ……思った以上に強力な呪詛だった。
おそらくは、自己増殖型術式……要するに勝手にドンドン成長していくガン細胞のような呪詛。
このままだったら、おそらく俺は一ヶ月も持たずに、病気か事故であの世行きだった。
本人は、ほとんど気づかないうちに時間をかけて、心身を蝕む……それがこの手の呪詛。
何より、この呪詛は、認識を捻じ曲げるから自分ではまず気付かないし、自力で解除するのも困難なのだ。
幸い俺には、呪詛解呪のスペシャリスト、アルテッサがいつも隣に居てくれたから、呪詛自体は致命的なものではなかったのだけど……。
まさか、こっちの世界で、こんな物を仕掛けられていたなんて……本当に危うい所だった。
アルマリアは……と言うと、ぶっつけ本番でこんな強烈な呪詛を解呪する羽目になり、相当消耗したらしく……力尽きたように倒れ込みそうになっていた。
俺は、慌ててアルマリアを抱きとめてやる。
と言うか……どうやら目を回してしまったらしく、完全に脱力しきっていた。
極度の魔力消耗……それに加えて、失敗が許されないぶっつけ本番の綱渡りをこなしたことで、緊張の糸が完全に途切れてしまったのだろう……こうなるのも無理もない。
思わず抱きとめたアルマリアは、びっくりするほど細く小さくて、とても軽かった。
脇の下に手を入れると、ヒョイと軽々と持ち上がってしまう。
「こんな小さい子が……よくもまぁ……」
思わず、感心する……アルテッサ方式だったから、一人で解呪できたのだけど。
本来、致死レベルにまで成長してしまった呪詛は、何人もの術者を集めて、大掛かりな儀式魔術で解呪する……そう言うものなのだ。
それを一人でこなしてしまった上に、聖櫃召喚なんて大技を片手間でやってのける。
俺はこの娘の能力がテッサリア並か、それ以上だと確信する。
それにしても……。
こうやって改めて見ると、この娘……背丈も130cmってところか。
……体重も20kgくらいじゃないのかこれ?
考えてみれば、テッサリアにも寝物語にこっちの世界の話をした程度……向こうの連中のこっちの世界の知識は、ほぼ皆無だった事を俺も知っている。
恐らく、何の手がかりもない状態で、見も知らぬ異界の街を彷徨いながら、俺の痕跡を追い求め……やっとの思いで、ここまでたどり着いたのだろう。
どれくらいの苦労があったのか解らないけれど、それは容易いものではなかったのは、想像に難くない。
その上で、拙いながらも危険極まりない呪詛の解呪を行い……精根、尽き果ててしまったようだった。
敷きっぱなしの煎餅布団に寝かせるのも考えものだったが……寝具はこれしかないのだから、やむを得まい。
ひとまず、布団に寝かせると毛布をかけてやる。
「さて……どうしたものか」
言いながら、その寝顔をじっと見つめる。
記憶の彼方で、もはや朧げになりつつあったテッサリアの面影が重なり、不意に視界が滲む。
いや、泣いてる場合じゃない。
アルマリアが起きた時のために、何か食べるもの……絶対、腹を空かせてる。
それに、風呂にも入れてやりたい。
あまり言いたかないが……アルマリア……。
仮にも女の子なのに、獣臭みたいな匂いがしていた……。
でも、考えてみればこちらに来て、3日とか言ってたけれど。
まともな食べ物も食べられず、当然風呂にも入ってないだろう………。
そもそも、向こうの世界なんて、年中山篭りしてるのと大差ない生活水準だから、匂うのは仕方がない。
服だって、毎日着替えたりするような習慣なんてないんだから、そんなもんだ。
腰につけてたポーチを開けてみた限りだと、持ち物はポーションやらナイフ、呪符の束と、干からびた何かの根っこやら葉っぱ……確か魔術触媒だと思ったけど、良く解らん。
革袋には、現地調達したらしきドングリやらヨモギがぎっしり……どっちも異世界に似たようなのがあったし、この当たりは、山を歩けば冬場でも調達出来る……なかなか解ってる。
ちなみに、ヨモギは止血や虫刺されにも効く上に、向こうじゃ治癒ポーションの原料にも使われたりしてた……こっちの世界でも作れるかどうかは知らないが……現地調達品で回復アイテムくらい自作するつもりだったのだろう。
なにげに、サバイバリティ高いな……さすが、俺の娘というだけはある。
ただ、武器のたぐいは、持ってない様子だった。
それで、どうやって戦うつもりなのか解らないけど、ここまで高度な魔力制御の技術を持っているのなら、武器など無くても、何とでもなるだろう。
うちにある食料は、非常食のカップ麺がいくつか。
米は一応残ってるから、自炊も出来なくはないのだけど……冷蔵庫には、生ゴミのようなものしか入ってない。
開けてないたくあんのパッケージがあるから、おにぎりとたくあんのセットでも作るか?
いやいや……流石にそれはない。
風呂場に置いているのも、育毛シャンプーとカピカピになった牛乳石鹸……これを女の子に使わせるのは気が引ける。
確かコンビニで女性用のシャンプーだのボディソープとかも、売ってたような気がするから、調達してこよう。
そもそも、黄ばんでゴワゴワのバスタオルとかも使わせちゃ駄目だろうから、この際、まとめて新調するとしようっ!
いや、考えてみれば服なんかも……要るよなぁ……あんなボロいローブと麻のチェニックとか。
向こうの世界じゃ、割りと普通の服装なんだよなぁ……こんなのが。
パッと見、ミニスカワンピースに見えなくもないけれど、どうみても安っぽいコスプレだ。
こんな服装で、一緒に外に連れ出すのはさすがに考えもの。
と言うか、向こうの文明レベルは良いところ中世……日本だと江戸時代とかそんなもん。
下着なんかも無いし、服装もこれでも良いのを着てる方だ。
俺も毛皮の腰巻き巻いて、皮鎧とか着込んで、かっこいいファンタジー勇者どころか、ほとんど世紀末覇王伝説の蛮族みたいなスタイルで冒険していたものだ。
まぁ、現代の日本だと軽く通報モノだけど、向こうじゃそんなんが普通。
でも……待て、そうなると俺が一人で、女物の服だの下着だのを買うのか? それも小学生サイズのを……。
ショッピングセンターに行けば、大抵のものが一通りあるから、一式揃えることは出来るのだけど。
何と言うか……こんな30代なかば過ぎのおっさんが女児のパンツを買うとか、絵面がヤバイな。
通報とかされるんじゃないのか? これは……困った。
いきなり、異世界生まれの娘なんてのが出来てしまったのは良いが。
その出自はファンタジー世界の住民。
当然ながら、こちらの世界の常識だの知識なんかも皆無だろう。
しかしながら、この娘と来たら、向こうの超強力な魔術をそのままこっちに持ち込むような規格外でもある。
はっきり言って、向こうの世界の魔術師なんてのは、人間戦車みたいなもん。
岩をも砕くドラゴンの一撃に耐え、山を穿つような超絶火力を平然と発揮する……いわば化物だ。
彼女がテッサリアの娘だという事は……恐らく、弓術と魔術の複合技の弓魔術、回復系の支援魔法。
剣術も俺仕込みでそこそこの使い手になってたから、たぶん剣も使える。
おまけに、対アンデッド用の殲滅兵器「聖櫃」なんて代物まで持ってる……。
弓一本でドラゴンをヘッドショットして撃ち落とす程度には、テッサリアもぶっ飛んでたからなぁ。
あそこまで行かなくても、このアルマリアも十分ヤバそうだ。
騒ぎを起こす前に俺のことを見つけてくれたから良かったものの……。
腹を空かせて、飲食店やらコンビニを襲撃……なんて、やらかしてても不思議じゃなかった。
そもそも、こんな年頃の女の子の事なんて、正直何も判らん……。
いっそ、妹にでも泣きつくか……いや、アイツのところは男の子だから、多分役に立たんし、市内のあいつの家まで行ってたら、今日中に帰ってこれない。
やっぱり、車くらい買えばよかった……と後悔するのだけど、後の祭り。
あの世界に戻れる日がいつかきっと来る……そう思って、敢えて物を最小限にしてきたのだけど。
向こうの世界から、自分の娘がやってくるなんて、想像もしてなかった。
だけど、俺も一人の親として、保護者としてこの娘の面倒を見ると決めたのだ。
がんばれ! 俺! にわか父ちゃんだけど、娘のためなら、なんだってしてやるんだっ!
そんな訳で……俺は、通勤用のボロいママチャリを駆ると、駅前のコンビニへと走らせるのだった。