第三話「とあるおっさんはのろわれてしまった」②
「破邪の法印、第二節……多分それで行けるはず。大丈夫か? テッサリアなら、一通り教えてると思うが……。俺も細かい呪文までは覚えてないけど、唄い出しは確か……月光の雫、日輪の華……闇の穢れに蝕まれし……だったはず」
むしろ、俺の方が知ってるくらいだった……10年経っても、案外ちゃんと覚えているものだなぁ。
なぜかは知らないけど、向こうの言葉って日本語なんだよな。
たまに妙な単語や用法が出てきたりしたけど、要は方言みたいなもんで、何言ってるか全然解らないような事は、結局一度もなかった。
ちなみに、呪文については、どちらかと言うと言葉の意味よりも、リズムや韻を踏むことが重要で、やたら語呂が良かったりする。
……これ異世界豆知識な。
「あ、はいっ! 大丈夫ですっ! 第二節……第二節! えっと……月光の雫、日輪の華……闇の穢れに蝕まれし……彼の者の穢れを打ち払わんっ! 我がアルマリアの名において命ずる……彼の者の分け身たる呪符を依代とし、この者を解き放て……我は命ず……闇は闇に、無は無へと帰せよ! 救済の光よっ! ここにあらんっ!」
聞き覚えのある呪文とともに、呪符が白い光に包まれる。
ゾワゾワとした大量の虫が皮膚の上をうごめくような感触が胸に貼られた呪符へと集まっていく。
思わず立ち上がって、全身を払いたい衝動に駆られるのだが……それはしない。
ただひらすらに、微動だにせず、この不快な感覚に耐える……。
やがて、白かった呪符の色がゆっくりと真っ黒に染まっていく……この段階になって、ようやっと俺も呪詛にかかっていた事を自覚する。
この方法は……対象者の髪の毛や爪のかけらと言ったものを仕込んだ呪符を媒体に、呪詛に呪符を対象の体の一部と認識させる事で、誘引すると言うものだった。
……例えるなら、Gホイホイみたいなもんだ。
もっとも、このように成長し巨大化した呪詛が相手だと、呪符自体の許容量を超えてしまうので、テッサリアの場合、呪符を複数枚ジャンジャカ使って、呪詛を分散させると言う方法を使っていた。
簡単に思えるが……これが結構な離れ業なのだ。
呪詛を移し変えると言っても、呪符を励起させた段階で込める魔力の調整が恐ろしくシビア。
その時その時の条件に応じて、最適化させ、かつ複数枚の呪符をそっくりそのまま同じ魔力バランスにしないといけない。
失敗すると、呪符が自壊したり、呪詛を上手く身体から引き剥がせなかったりする。
……どちらも解呪自体は失敗となる。
そうなると術者もきっちり呪われて、周囲の土地までも汚染される。
呪詛を受けた状態でも解呪自体は出来るのだけど、呪いの影響で成功率もだだ下がり……なかなかの泥沼状態化する。
テッサリアは、主に俺のせいで魔族の呪詛解呪の経験を人一倍積む事になり、少しでも成功率を上げて、手間を省こうと独自研究を重ね、あの世界でも有数の解呪専門家になっていた。
その直弟子とも言えるアルマリアは、どこまで出来るのだろうか? けど、この場はアルマリアが頼みの綱だ。
自分の娘なんだ……ここはもう命を預けたつもりになって、全てを託そう。
「ほ、本番は初めてだけど……練習では一回だけなら、ちゃんと成功してますから、だ、大丈夫ですっ!」
今明かされた、衝撃の事実ッ! ……どうやら実践は初めてらしかった!
しかも、一回しか成功してない……だ……と?
なんか、怪しいとは思ったけど……やったことあるよレベルだったとは……。
このタイミングでそれをぶっちゃけるとか、外科手術中に医者に「生きてる人間相手にこの術式やるのは初めてだぜ!」とか、カミングアウトされるようなもの……。
むぅ、致死レベルの呪詛が解呪失敗して暴発とかしたら、どうなるんだ?
しかも、テッサリアがいつも張っていた結界を張ったように見えなかった……。
もしかして、忘れてる? まさかアルマリア、ド素人に近いのでは?
その怪しげな所作と言い、その実績といい……もはや、不安しかない……。
……なのだけど、ここまで来たらもう引き返せない。
この段階なら、俺にも呪詛を見ることは出来ないまでも、その存在を知覚することは出来る。
俺がサポートすれば、きっとなんとかなる! ここは親子の絆とか愛とかそんなので、奇跡を起こすんだ!
「い、いいか? こいつを引き剥がすのはタイミングが重要だ……俺が合図するから、それに合わせるんだ……仕上げは点火で十分だから、準備しとけ」
正直、点火の魔術なんて使うより、ライターでボッでも良いような気がしないでもないけれど。
ライターの使い方とか教えてる暇はない。
「は、はいっ! お父様っ!」
返事は良いのだけど、いかんせん緊張のしすぎだった。
目も虚ろで、手元も震えてかなーり怪しい……と言うか、これ……無理っ!
……絶対、失敗する! 断言してもいいっ!
「アルマリア、アルマリア……ちょっとだけ肩の力を抜け、一緒に深呼吸をしようっ! な?」
敢えて、優しく笑いかけると、ゆっくりと息を吸って、止める……真顔で、そのまましばらく息を止める。
アルマリアも真剣な顔で、同じように息を止める。
けど……敢えて、息を吐かない。
案の定、苦しくなってきたらしく、苦しそうな顔になったところで、唐突に変顔にしてみせる。
よほど、ツボだったらしくブッと吹いて、パンパンと畳を叩いて、声を押し殺して笑っているようだった。
「お父様っ! こんな時に何をやってるんですかっ! いきなり変な顔をしないでください! ツバ飛んじゃったじゃないですかっ!」
ちょっと涙目状態で抗議するアルマリア。
ツバ飛んだのは知ってる……思い切り、顔にかかった。
ちなみに、アルマリアに見せたのは、真顔から唐突にアインシュタイン博士の肖像で有名な舌をベロンと出して、ガチャ目にすると言う奴だ……ちょっとした宴会芸なのだけど、初見の相手は大抵こうなる。
でもまぁ、緊張は解けたようだった……結果オーライ!
「ははっ……悪い悪いっ! でも、その様子なら、もう大丈夫だな……さぁ、そろそろ一枚目が溢れるぞ……急いで、次を用意するんだ!」
一枚目の呪符が真っ黒になり、黒い煙のようなものが溢れつつあった。
うぉ……これ、暴発30秒前くらいだ。
「今だっ! 急げっ! ただし、落ち着いて、慌てず騒がずだぞ」
俺の指示で、アルマリアがその上から呪符を貼ると、その呪符も黒く染まっていく……。
セーフ! セーフ! 結構、危なかった!
……俺も何回もテッサリアの失敗パターン見てたから、そう言うのも解るんだよな。
「いいぞ、上手く引き寄せられているな……追加した呪符が完全に黒くなったところで、剥がして焼き払うんだ……」
一枚目で引き寄せて、二枚目は単なるリザーバー。
欲張らず、それ位でまずは一旦処理した方が無難ってテッサリアも言ってた。
アルマリアも落ち着いたようで、俺の言葉に黙って頷く。
圧倒的な経験不足だと言うのは、見て解る……けれど、これが出来る精一杯なのだろう。
ならば、文句は言わない……。
どんな結果になっても、俺はアルマリアを責めるつもりはなかった。
そして、後から張った呪符が黒くなったところで引き剥がすと、焼き払う。
「で、出来たっ!」
焼却の際も呪詛が拡散したりしなかったようだ。
まずは最初のステップをクリア……次は二枚目。
こうなれば、あとは同じ手順の繰り返し。
同じように呪符を貼り付けると、やはり呪符が黒く染まっていくのだが……最初よりも少しペースが遅い。
呪符励起の際の魔力調整が少し甘かったようだが、この程度なら問題ない。
「呪符の励起時の魔力の調整も完璧じゃないか……この調子なら、大丈夫そうだな!」
敢えて、真実は告げない……。
70点位の出来でも、問題ないなら完璧と言っておいても、別に差し支えない。
ベストは求めない、ベターでいい。
……出来るなりの最善を希求し、とにかく失敗しなけりゃそれでいいんだ。
それで上手くいったら、目一杯褒める事……人を育てる時の基本とも言える。
「は、はいっ! お父様のおかげです……私、がんばりますっ!」
アルマリア……褒められて成功を重ねるたびに、伸びるタイプなのかもしれない……。
先程まで、どこか自信なさげにオドオドしていた目がキラキラと、輝いていた。
恐らく、自信を取り戻したのだろう……元々、いい先生に恵まれて、才能もあるのだろうから、それでいい。
解呪自体は、こうやって少しずつ、呪詛を削り取って力を弱めていき、最終的に削り尽くしてしまう……これはそういう魔術なのだ。
魔王軍の使う呪詛はいちいち厄介で、最初の頃は解呪するのも一苦労だったのだが。
テッサリアは、呪符に呪詛を肩代わりさせる方法を好んで使っていた。
理由? 呪符は紙とインクとペンがあれば自前で作れて、とにかく、ローコストだったから!
お高い宝石を砕いて、魔法陣を描くとかそう言うハイコストな魔術なんて、やってらんなかったそうな。
あいつ……なんか、お買い物上手な主婦みたいなところがあったからなぁ……。
もっとも、この術は、本来あくまで低級呪詛の応急解呪用で、呪符の許容量を超えた呪詛は手に負えないという欠点があったのだが。
テッサリアは複数枚の呪符を山盛り用意し、他の呪符に次々呪詛を吸着させると言う斜め上の方法で、その欠点をカバーしてしまった。
要は、水溜りをテッシュペーパーを何枚も使って乾かすようなものだと思えばいい。
この方法は、極めて有効で……大量の呪符を用意しさえすれば、上級魔族が全身全霊の魔力を費やし、命を賭して編み上げた致死の呪詛ですら、アッサリ無力化出来たほどだった……。
魔族側もそんな調子で、いとも簡単に解呪されてしまう様子を見て、そのバカバカしさから、あまり呪詛を多用しなくなったくらいだった。
テッサリアは、そう言う意味でも偉大な術士だったのだ……。
見た限り、アルマリアは呪符の扱いも手慣れたもので、魔力調整も恐ろしくきめ細か……最初は70点と評したが、むしろ、回数を重ねる度に所作に無駄が無くなっていき、やたら正確になっていっている。
おまけに、集中力も凄まじいらしく、もう俺の声なんかも聞いちゃいない。
どうも、本番に強いタイプのようだった……こう言う奴って、伸びるんだよなぁ。
戦いの最中で、パワーアップしてより手強くなるとか、そんな奴が魔王軍にも居たけど……たぶん、アルマリアも同じようなタイプ。
敵に回すと、死ぬほど厄介だけど、味方となれば頼もしいい。
ましてや、自分の娘となると……誇らしくすら思える。
いやはや、これが親バカというものか……。