第十四話「とある勇者の密林の逃走劇」③
追手の飛行魔獣が頭上を通過していく……かなり低空を飛んでいる。
隣のリナリアも耳を折りたたんで、物音一つ立てずに伏せている。
フォレストデビルは密林の狩人……気配を消す術も長時間微動だにせずに、待ち伏せすることだって容易に出来る。
私だって、隠蔽工作については素人じゃない。
この潜伏場所だって、遮熱結界のみならず、枯れ草や枯れ枝を積み重ねて、入念な偽装を施している。
目の前を通り過ぎたって、解らない……その程度には仕上がっているはずだ。
ここまで来たら、祈りながら、動かずにいる……それくらいしか出来ない。
やがて、飛行魔獣の羽音が遠ざかっていく。
少し顔を上げて、様子をうかがうと、細長い木が並んでいる斜面の周辺をしばらくウロウロしているのが見えたが、そのうち散開してどこかへと飛び去っていってしまった。
一匹、こっちに向かってくる素振りも見せたのだけど、軽く辺りを一周しただけだった。
……ひとまず、遮熱結界を張ったのは正解だったようだ。
それっきり、あれほど執拗だった飛行魔獣の追跡があっさり止んだのだ。
周囲の枯れ草をかき集めて、不自然ではない程度にさらなる偽装を施した結果。
小型飛行魔獣の目は完全に誤魔化せたようで、何度かニアミスはあったものの、大型の羽音も遠ざかり、やがて聞こえなくなってしまった。
もうこの辺りには居ない……そんな風に判断したのかもしれなかった。
もしかしたら、油断させる為に、手出しを控えてこちらに悟られないように、ゆっくりと包囲網を敷いているとか、そう言う可能性もあるのだけど……。
それはそれで、リネリアの体力回復の時間が稼げるのだから、悪い状況ではなかった。
それから……。
小一時間あまりの休憩後、潜伏場所から這い出すと、すでに辺りは暗くなりかけていた。
……待望の夜がやってきた。
リネリアも水と簡単な食事、それとしばしの睡眠ですっかり元気になっている。
こんな状況でも、平然と寝れる辺りは、さすがリネリア……戦場で僅かな時間でも休息をとれるのは、優秀な戦士としての才能と言える。
ホント、この子……頼もしい。
私一人だったら、こんな状況どうしょうもなかった。
……私は、水だけ飲んで寝ずの番だったんだけど、リネリアに乗せてもらう事で体力を温存できていたから、問題ない。
それに、イザとなれば、私を置いてリネリアだけ逃げ延びて、アルマリアと合流するのだって、一つの手だ……この場はリネリア優先……それでいい。
この世界では、夜になっても雲がぼんやり光っていて、空が意外と明るい。
私達の世界でもそうだったように、夜が来ない日なのではないかと、心配したのだけど、雲が晴れ星が瞬くようになると、きっちり暗くなってきた。
辺りは静寂に包まれている……時折、吹きすさむ風が木々と枯れ草を鳴らす音だけが響く。
追手の歩兵も引き上げ、飛行魔獣達の追跡も止んだようだった。
私達は……なんとか、追手から逃げ切った。
そう判断してよかった。
敵も夜の山の危険は良く解っているようだった……。
この辺りの山はあまり高くもないようなのだけど、とにかく傾斜がきつく、足場も脆く、昼間でも歩き辛い。
リネリアはともかく、私も暗視の魔術を併用しないと歩くこともままならない。
敵も恐らく私達が夜の間は動かない……そんな風に判断しているだろう。
だからこそ、夜のうちに出来るだけ、ここから遠くへ逃げ延びる必要があるのだけど。
夜の深い森の中……現在地やあたりの地理も良く解らない……。
地図の一つもあれば欲しいところだけど、そんなもの望むべくもない。
……追手の兵士達がそれらしいものを広げていたのを遠目で見たから、それを奪うのも手だったと思わなくもないのだけど……今更言ってもしょうがない。
人里に向かうべきかどうか、迷ったんだけど……。
こんな深い山の中ですら、逃げ回るのに苦労するのだから、人里で追われたら、それこそ捕縛される可能性が高くなる。
捕まったらどうなるかなんて、それこそ相手次第……相手の気まぐれで殺されたって文句は言えない。
魔王軍ほどは、無慈悲な軍隊ではなさそうだったが……。
確証も無い上に、相手に良識に頼るのは危険だ。
実際、どんな扱いをされるかなんて解ったものではない……。
投降と言う行為は、半ば死を覚悟した上で、それでもそれしか道がない時に選ぶ行為なのだ。
単に、その場で殺されないと言うだけ……それ以上でも以下でもない。
である以上、私達は投降など論外であるし、捕縛される訳にはいかなかった。
それに……今のところ、逃げ回っていただけで、アルマリアはもちろん、お父様の手がかりも一向に掴めていない。
この調子では、私達が力尽きるほうが先なのではないか? やっぱり、無謀だった……。
そう思いかけるのだけど……。
考えてみれば、こっちの世界から私達の世界に来たとき……お父様も同じだったのだろう。
右も左も何も解らない世界……街に入ろうとしたら、不審人物として追い回され……。
戦うすべもろくに持たないまま、それでもテッサリアお母様の危機に颯爽と現れて、傷だらけになりながら、救ってくれた……そんな風にお母様からは聞かされていた。
こんな状況で、良く人助けなんて出来たと思わず感心する。
やっぱり、お父様はすごい人だ……そう思わずには居られなかった。
水筒の水を飲もうとして、水が尽きたのに気づく。
現地調達出来ると思っていたけど、山の中だと飲める水なんてなかなか見つからなかった……。
実際、水たまりもあったのだけど、腐敗臭のする水で、水面に変な虫がピコピコ動いているのを見て、流石に飲む気をなくした。
「まずは、どこかで水を調達しないと……谷になっているところを下っていけば、沢くらい見つかるだろうから、まずはそこを目指そうか……」
「そうだにゃ……ご飯もちゃんとしたのを食べたいにゃ……温かいご飯が食べたーいにゃっ!」
「さすがに、そこらで火を焚いたら、見つかりそうだし、今日は食料調達どころじゃなかったからね……保存食で我慢しよう……」
「ふにゃあ……ひもじぃよぉ……それに、地面の上じゃなくて、暖かいお布団で眠りたいにゃあ……」
リネリアの嘆きを聞き流しながら、真っ暗闇の山の中の藪を抜けると……不意に少し開けた道に出た。
黒くて固い地面……草も生えてないし、石もほとんど落ちてない……なんだこれ?
道幅はおよそ3ダーシュ程度……人が歩くための道にしてはやけに広い……道路なのは間違いないのだけど。
轍も見当たらないし、道に沿って白い棒と板を組み合わせたようなものが張り巡らされている。
道の端には、溝が掘ってあって……割と綺麗そうな水が筋のようにチョロチョロと流れていた。
「お水だにゃ! ……シャーロットちゃん、これ飲めるよ!」
止める間もなく流れている水をジャビジャビと音を立てて飲み始めるリネリア。
こんな道の端を流れてる水なんて、清潔かどうか解らないのに……お腹、壊したりしないかな。
私も指先に付けて、口に含んでみたけど、水自体は濁りもなく透明で、ちょっと砂混じりな様子だけど泥臭くもない。
汲めるほどの量じゃないのだけど、普通に飲める水なのは確かだった……よく見ると、細長い巻き貝もいる。
食べれなくもないと思うのだけど、川にいる貝類を生で食べるとお腹に虫が湧くから、よく焼くか、茹でるのが基本……と言うか、あまり美味しくもない。
けど、こんな巻き貝がいるという事は、常に流れている水……と言うことになる。
であれば、道なりに行けば、水源がありそうだった。
「リネリア……とりあえず、この道を道なりに進んでみよう! 多分、水源があるはず! それに高いところからなら、この辺りの地形も把握できる。そこで水の補給も済ませて、晩御飯にしようっ!」
「やったっ! リネリア、お魚食べたいなっ!」
「こんな山の中で、魚なんて取れる訳ないよ……そういや、海までどれくらいあるんだろうね」
「うーん、潮の匂いもしないから……海なんて、近くにないにゃ……お魚は諦めるしかないかにゃ……」
お魚か……最近は海辺の方に行ってなかったから、しばらく食べてない。
そう言えば、この国の人達も魚は好きだって、お父様が言ってたらしい。
海辺とか行ってみたいな……海の色も……一緒なのかなぁ。
そんな呑気な事を考えながら、しばらく歩くと、唐突に開けた場所に出る。
……見渡すと、広い空き地がいくつもあった。
「シャーロットちゃん……この空き地、なんだろね? いっぱいあるよ」
リネリアが顔を上げて、その空き地を見つめる。
「何かの作物を植えていたのかもしれないね……あ、解ったこれ……水田だ! 水が張れるようになってる!」
よく見ると、一番上の囲いに隙間があって、水路に繋がっていた。
今は、木の板で閉ざされているし、水路に水もほとんど流れてないのだけど、たぶん水路と空き地がつながって、池みたいになるはず。
私達の世界にも似たようなのがあったけど、手掘りの水路だから大雨が降るとあちこち崩れて、大変なことになる。
その点、こっちのは水路からしてやたら、頑丈そうな石で出来ている……やっぱり、進んでるんだなぁ……。
私達の世界の人族の主食になってる穀物の一つ「ラメリカ」
……お父様は「オコメ」って言ってたらしいけど、その穀物を栽培するのにこんな感じに水浸しの池みたいにして作る。
蒸したり、煮たりして食べる……そのまま食べてもいいし、団子にして乾燥させて保存食としても食べられる。
なお、ラメリカって全然味がしないので、単独じゃとても食べれたものじゃない。
お父様の世界のオコメってのは、甘くて美味しいらしい……。
けれど、本当に、こっちの世界でも、同じようなものを食べているのか……と思わず、感慨深くなる。