第七話「とあるおっさんの割りとゆるいたたかい」①
周囲を見渡すと全ての風景が止まっていた。
今しがた、追い抜いていったばかりのトラック……こっちに向かってきていた営業ワゴン。
通りの反対側を歩く買い物帰りの主婦……学校帰りの女子高生。
風に流され、棚引いていたはずの雲ですら……何もかもがピクリとも動かなくなっていた。
「祥子……とまれっ!」
先を歩いていた祥子のところに駆け寄ると、その腕を取る。
「えっ! いきなり、何よ?」
祥子はこの異変に気付いていないようだった。
「いいから……俺の側から絶対離れるなっ! アルマリアッ!」
祥子の肩を抱き寄せると、頭を押さえて姿勢を低くさせる。
今いる所は、国道から一本入った少し広めの路地。
遮蔽物になりそうなものは、電柱やら両サイドの建物の塀くらい。
道の前後はまっすぐ見通しも良く、隠れる場所も少ない。
アルマリアは……と言うと、すでに臨戦態勢。
さっき買ったワンピースとパステルグリーンのジャンパー姿で剣を構えて、俺の背後を固めていた。
今朝も唐突に剣を引っ張り出していたのだけど、今もどこから取り出したのか……同じ鈍色のショートソードを構えている。
……どうやら、魔剣の類のようだった。
大抵、地味な見た目なのだけど、普段は別の次元に格納されていて、念じるだけで瞬時に手の中に現れると言う代物。
剣のような見た目をしているが、剣の悪魔とも呼ばれる精霊の一種でもあるそれは、はっきり言って、超レア装備。
ソシャゲ的な表現だと、街売や量産品はNとかHN……魔剣ともなると、SRとかSSRってとこだな。
持ち運ぶ必要が無い上に、武器を取り上げられた時とか非武装地域とかに入る時には、重宝する。
更に、魔力を注ぐことで剣だけで、魔術防壁すらも引き裂ける。
とにかく、対魔族戦闘では、非常に有力な武器だ。
いいの持ってるなぁ……。
「ど、どうしたの……ふたりとも、それにアルマリアちゃんも……それ……なに?」
震える指先で、アルマリアの持つ異形の剣を指差す祥子。
まぁ、祥子の反応も当たり前だろう。
何の予備知識もない状態で、こんな状況になったら、理解が追いつかないのも当たり前。
周囲を見渡すと、車や通りがかかりの人々、空の雲すらも石になったように固まっている。
カメラで街の風景を撮影して、その中に入り込んだ……そんな例えがしっくり来る。
車も人も……良く出来たハリボテのように見えた。
看板の文字が意味不明の記号みたいになっているが……よく見ると反転した鏡文字だった。
ここまで来ると、俺もこれが鏡面空間と呼ばれる異空間だと気付く。
「……お父様、状況は理解してますか?」
「ああ、鏡面空間だな……前にやられたことがあるから、知ってる。しかし参ったなぁ……よりによって、祥子がいる時にお出ましとはなぁ」
伊達に俺も元勇者なんて、やってない。
普通なら、パニックになるところだけど、魔王の子供たちが俺を付け狙っている事も理解していたし、この鏡面空間と言うのも覚えがある。
現実空間をそのままコピーした閉鎖空間に、相手を閉じ込めた上で、増援や支援を絶ち逃げ場を奪って、確実に仕留める……。
まぁ、人知れず殺す……そう言う用途で使われるケースがほとんどだ。
この空間に存在する人や物は、文字通り書割のようなものでいくら壊そうが、現実世界に影響をあたえることもない。
脱出するには、鏡面空間内に点在する鏡になるものを全て破壊する、もしくは術者を倒すか、術者の意志で解除させること。
この様子だと、目の前にあるカーブミラーを起点にしたようだったが。
現代日本の街中に鏡になるものなんて、そこらじゅうにあると言っても過言ではない。
角々にあるカーブミラーはもちろん、車のドアミラー……ガラス窓、それらを全部破壊するとか、やってられない。
水溜りですら、鏡扱いになるのだから、もはや、術者を何とかするしか無い。
どうせ、すぐにでも敵が来るのだろうが……正直、術者がどんな奴なのか、まったく情報がないのが厳しい。
数で押されたり、消耗戦になると戦えない祥子がいる以上、苦戦は免れないだろう。
「お父様、どうしますか? 場所を変えますか? それとも……この場で迎え討ちますか?」
護りやすい場所に一旦逃げるのも手だが……見通しの良いところの方が敵の術者の捕捉もしやすい。
ここは、敢えてこの場で迎撃するのが、最善手。
逃げ回って勝てるなら、誰も苦労しない。
「どうせ逃げ回っても無駄だろう……こうなったら、ここで迎え討つ! ……祥子、すまんけど。事情は後で説明するから、何があっても、俺達から離れないでくれ……絶対に無事に帰すから」
「……う、うん……解った。でも、一体何なのここ? 皆、止まっちゃってるんだけど……それに何を始める気なの?」
「説明すると長くなる……すまないが、質問は後回し……後でちゃんと説明するから」
それだけ言いながら、その辺にあった商店のノボリを引き抜いて、槍のように構える。
やわな作りで武器にするには心許ないのだけど、長さがあるのは悪くない。
屋外での白兵戦では、この手のリーチのある武器は強い。
俺も剣なんかより、槍の方をよく使っていたから、扱いについては手慣れたものだ。
けれど、10mほど前の道の真ん中から、5mもあるような土塊の巨人が生えてくるのを見て、こんなものでは屁の突っ張りにもならないと悟る。
「いきなり、クレイゴーレムかよ……キチいなぁ」
動きは鈍重、材質もその辺の土だから、はっきり言って脆い。
一見大したことない相手に思えるのだが、それは大間違い。
デカくて重たい奴ってのは、それだけで手に負えないのだ。
5mもあるような巨人相手に、手に持てるサイズの剣や槍の点の攻撃なんて、針で人間を突くようなもの。
針で刺されたらそれなりに痛いが……針で刺したくらいじゃ人は死なない……まぁ、そう言う事だ。
ましてや、相手は土人形……痛覚なんて無いから、突いた程度じゃ何の意味もない。
そのくせ、軽く撫でられただけで、こっちは死にかねない。
圧倒的な体格差とパワー差! こればかりはどうしょうもない。
この差を覆すには、強力な飛び道具か魔術が必須。
今の俺には、どちらも望めない……。
「私が……仕留めます!」
止める間もなくアルマリアがゴーレムに向かって駆け出す!
当然、迎え撃つべく拳を振り上げるゴーレム!
けれど、アルマリアはそのアスファルトを軽く砕く一撃を、軽いステップを踏むと、ひらりと回避し、その腕を駆け上るように、あっさり肩の上に乗っかる。
ちょっと危なっかしく、ヨタヨタと振り回されかけていたのだが……それも一瞬だけ。
その脳天に無造作に剣を突き立てる。
次の瞬間、クレイゴーレムは一瞬ガクンと痙攣すると、うっすら煙を吹いて止まる。
アルマリアが空中で一回転しながら、ゴーレムの上から俺の目の前に降り立つと、クレイゴーレムはあっけなく崩壊し、元の土塊の山に戻る。
一撃だった……正面からやり合うと、相当厄介な相手だったのだけど、瞬殺とは恐れ入る。
アルマリア……強いなっ! さすが、俺の娘っ!