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「セオ……?」
くつくつと楽しげに笑い声を漏らす目の前の彼に、私はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「――失礼。まさか自分の代でこんなに珍しい経験ができると思っていなかったので、つい。レディ・アイリーン、貴女は素晴らしい資質をお持ちのようだ」
「……私、なにがなんだか……」
「ふむ、あまり時間もないので簡潔に説明しましょう。まず先ほどお飲みいただいたもの、あれは魔力の性質と強さに反応します。適性が無ければ味はしません」
淡々とセオは言葉を紡いでいく。
「魔力持ちなら一通りの基礎魔法は扱えますが、性質とは中でも特化したものという解釈ですね。辛味は攻撃、甘味なら防御という具合に」
「私のはなんだったんですか?」
「酸味と苦味――特殊魔法と回復魔法ですね。どちらの味が先にしたか覚えていますか?」
「すっぱい方が先でした」
「なるほど。……厄介だな」
最後はぼそりと呟いたようだけれど、私の耳にもばっちり届いている。
一体全体、どうしたというのだろうか。話が全く読めない。
「あの……?」
「――酸味を第一性質、苦味を第二性質と考えてください。ですがこの性質はそもそも、普通の人はまず1種類しか持ち合わせていません。複数持ちなんて王国全体で見てもここ100年いませんでした、去年までは」
去年、というキーワードになんとなくピンときた。きっと噂のブラウン家の次男だろう。私の婚約者候補殿だ。
「お嬢様は魔力持ちがどの程度の割合で存在するかご存知ですか?」
最早話し口調や内容が3歳の子供に対するそれではなくなってきているけれど、セオは私なら通じると確信しているようだった。
折角対等に話してくれているのだ。期待には応えねばならない。幸い、今ここに彼以外はいないわけだし。
脳内の引き出しから過去に得た情報を引っ張り出しながら、私はゆっくりと答えを返した。
「100人のうち30人ほど、だと聞きました」
「そうですね。検査で陽性を示すのはほぼ30%で間違いありません。しかしその30%の中には当然ながら差が存在します」
「差……?」
「魔力の強さです」
魔力の強さ。私が口に出して反復するとセオは軽く頷いた。
「先ほどの味の濃さ、に当たります。適性を待つ者のうちのおよそ80%は、味を僅かに舌に感じる程度なのです。つまり、魔力が強ければ強いほど味は濃くなる」
「あっ……」
私は先ほど味をどんな風に感じただろう?
『レモンをそのまま噛み締めたかのような酸っぱさ』、『必要以上の時間をかけて淹れられた珈琲のような強烈な苦味』――はっきりとそう認識しなかったか?
私の言いたいことが伝わったのか、彼は物々しく首肯した。
「ご推察の通り、仰られた状況からするとお嬢様の魔力は非常に強いということになります」
そんな馬鹿な、という思いが先行する。
味覚なんてそれこそ個人差が出るはずだ。自己申告に基づいた濃さにおける絶対的な基準値なんて、作れるはずがない。
「そのための水晶玉なのですよ」
セオが苦笑しながらそう言った。
たった今私が考えていたことがバレていたらしい。まるで読心術だ。
「外部から杖による魔法行使でバイパスを作ることで、性質と強さは靄の色と量になって水晶玉の中へ移動していきます」
改めて手元の水晶玉を見遣る。白くて、流動的な靄が殆ど隙間なく内部を満たしている。
たしかに量が多いというのはなんとなく理解した。けれど……。
「色……」
味から連想しやすい色というのはある程度限られていると思う。その中で、あえて白。
もしかしてセオが顔をしかめていたのはこの色のせいだろうか。
「本来であれば甘味はピンク、辛味は赤、苦味は緑、酸味は黄色、塩っぱさは青としてそれぞれ変換されます。そのどれにも当てはまらない場合が複数持ちとなるのです」
「じゃあ、失敗ではないんですか?」
「ああ、あれは建前です。複数持ちが本当か確かめたかったのもありますが、本当だとしたら2人目の逸材として騒ぎになるのは明白な上、政治的利用をされることが予想できましたので。時期が来るまで隠しておいた方がいいと勝手ながら判断させていただきました」
申し訳ありませんとセオが頭を下げてくるのを慌てて止める。こちらから感謝を述べこそすれ、謝罪を受ける理由はない。
それにしても、そんなに大事だとは思いもよらなかった。一気に色々と聞いて、頭がパンクしそうだ。
よく分からないけれど、どこの世界にも悪いことを企む人はいるってことかな。
「貴女は私が思うよりずっとしっかりしていらっしゃる。ご興味がおありなら詳しいことは後日改めてお話ししましょう」
セオはそう言って目を細めた。
「ぜひおねがいします」
「今日のところは、ひとまずこちらを。目眩し程度にはなるはずです。肌身離さず持っていてください」
身に付けていた指輪を差し出してくる彼からそれを受け取ろうとして――視線が止まった。
滑らかな肌。筋張り、少し節くれだっている長い指。
50代の男性にしては若過ぎる手が私へ伸びていた。
「……ああ、ダメですね。もう解けてきてしまっている」
独りごちるその声に顔を上げ、私は絶句した。
つい先程まで中年男性であったはずのその人が、どこからどう見ても20代そこそこの青年へ成り代わっていたからだ。
固まる私の手に半ば無理矢理指輪を握らせ、彼は少し困ったように微笑んだ。
「え?ええ……?」
「また今度お話しますよ」
そろそろ怪しまれてしまいますしね、というセオ(仮)の言葉に私はハッとした。そうだ、扉の外で待たせているのを忘れていた。
疑問は挙げればキリがないのだけれど、今はその回答を得られそうもない。
「さて、またこちらを飲んでいただきますが貴女は苦味しか感じないことになっています。つまり性質は回復です、よろしいですか?」
「は、はい」
「くれぐれももうひとつの性質のことは口外なさいませんよう。――封印」
彼が杖を振るとぱちぱちと光の粒が降り注ぎ、私は思わず目を瞑った。
声をかけられゆっくりと目を開けた時、目の前に立つその姿は初めと同じに戻っていた。
どこか穏やかな顔で本日2本目の小瓶を渡される。
喉へ流し込んだそれは、懐かしい珈琲のような苦味がした。