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今年で27歳とまだまだ若さ溢れるお父様だが、その雰囲気は一家の長たる威厳に満ちている。先代当主――私にとってのお祖父様だ――の不幸により、18歳にして家督を継いだ器量は伊達ではない。
伯爵としての才覚もさることながら、端正な面立ちで多くの令嬢の恋心を一身に集めていたにも関わらず一目惚れした3歳年下のお母様への気持ちを貫いたという逸話は、今も社交界でひっそりと語り継がれているのだとか。
一方で、相手に冷たさすら感じさせる表情からは、とてもそんな情熱的な一面があるとは感じられない。異性をあしらっている方が似合うくらいだ。
伯爵としてのお父様しか見たことがない人からしたら、きっと人物像がちぐはぐで結び付かないことだろう。
あえて『伯爵としての』と前置きしたのは、私達家族と接する時のお父様がとても優しい顔をするからだ。
慈しみに溢れた表情は、愛妻家や子煩悩という言葉が良く似合う。まさにギャップ萌え。
『父親としての』お父様を見ていると、噂もあながち誇張されているわけではないのかなと思えてくるのである。
現に今もその綺麗な顔には柔和な笑みが浮かんでいて、抱き上げた私の額に軽くキスさえ落とす。
「やあ、僕の天使は今日も可愛いね。ああクラリス、お茶はいいよ。少し顔を見に来ただけだから」
顔の良い人間というのは、どうしてこうも歯の浮くようなセリフすら様になるのだろう?
そんなことを考える余裕ができるくらいには、天使扱いされるのにも慣れてきた。ようやく、ではあるが。
後ろではお父様に手で制されたクラリスが軽く頭を下げている。
それにしても珍しい。お父様の顔を見るのも久しぶりだ。近頃は随分お忙しいと聞いていたのに。
「おとうさま、どうしたの?」
悩んだ末に、とてもざっくりとした質問を投げかけた。あまり深く突っ込んで聞くと墓穴を掘りかねないため、予防を兼ねて。
「ん、いやなに、セシルから部屋にいると聞いてね。しばらく顔を見ていなかったから寂しがっていないかと思ってきたんだが……どうもそんなことはなかったかな?」
セシルとはお母様の愛称だ。
冗談めかして尋ねてくるお父様に、私は慌てて首をぶんぶんと振った。テレーゼやクラリスがいるから1人ぼっちになることはないけれど、それとこれとは別なのだ。
「そうか、嬉しいな」
「わたしも!」
思わずぎゅう、と首にしがみつくように抱きつく。品の良いウッディな香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「2人とも、アイリーンはどうだい?ちゃんと言うことを聞いているだろうか?」
「はい、旦那様。日々しっかりと取り組んでいらっしゃいます」
「そうか、それを聞いて安心したよ。僕はあまりこの子に構ってあげることができないからね……会う度に子供の成長の早さを実感するくらいだ」
テレーゼの返答に、首元に私をくっつけたままのお父様はほっとしたように息を吐き、右手で私の頭を優しく撫でた。
この世界に生まれてからというもの、どうも頭を撫でられすぎているように思う。それはもう、「私の頭はもしかして撫でるとご利益が……?」というとち狂った考えが思考の端をかすめるほどに。
嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば勿論前者なのだけれど、前世で登山道の途中にあった謎の石のイメージは拭い去れない。
「今は何を?」
「読み聞かせがちょうど終わったところでございます」
「……ああ、眠り姫と王子。良いね、僕もその話はすごく好きだ」
表紙を見たらしいお父様の言葉に私は驚いて体を離した。いや、有名なお伽噺ならお父様が読んで育ってきていてもおかしくないのだけれど。
パチパチと瞬きをしながら、再び向き合ったお父様に尋ねる。
「おとうさまも?」
「うん。アイリーンは好きかい?」
「とっても!」
その顔で童話が好きとかどこまでギャップを重ねるつもりなんだ!
そんな副音声を覆い隠すように、にっこりと笑いかける。
「ふふ、お嬢様は王子様のお迎えに憧れていらっしゃるようでした」
「ほう」
と、含み笑いをしたクラリスが漏らした一言に、お父様が片眉を上げた。
別に憧れているわけではないのだけれど、そこは言わぬが花である。幼子が饒舌にストーリーの感動ポイントについて語り始めたら気味が悪いだろう。都合良く捉えてくれるならそれに乗っかるに限る。
「王子様ねえ……今はまだあまり考えたくはないね。まあそういうわけにもいかないんだろうけど」
……最後になにやら不穏な言葉が聞こえた気がする。
「先方からまた何か……?」
難しい顔をしたテレーゼがお父様にそう言った。見ればクラリスも似たような表情をしているし、見事に私だけ蚊帳の外である。
私に関する話題なのは気のせいでしょうか。
「まあ今すぐどうこうってわけじゃない。ただ粘って2年ってところかな」
「どうにもならないのですか?」
「クラリス」
テレーゼの鋭い声が飛ぶ。
「……差し出がましい真似を失礼いたしました」
「いや、構わない。僕も思うところは同じだからね」
苦笑しながら答えるお父様に、クラリスがもう一度頭を下げた。
私の中で嫌な予感ばかりが大きくなっていく。
「悪い話じゃないというのは分かってるんだ。この子にとっても、うちにとってもね」
「はい」
「なんにせよまだ確定したわけじゃない。今度の検査結果次第では向こうが引くかもしれないしね」
「……それは」
「うん、分かってるよ。可能性の話だ。限りなく低い」
そこでお父様は憂鬱そうなため息を吐いて、私を床に下ろした。
そのまま私の目をじっと見つめて口を開く。
「まったく、娘の婚約話というのは思った以上に神経をすり減らすね」
その瞬間、私の脳内で「え、衛生兵ー!!」と叫び声が上がったことは誰も知らない。