4
テレーゼとクラリスが私付きの侍女になって1か月、分かったことがある。
この2人は外見から受ける印象と中身とが真逆だ。
ふわふわとした綿菓子のような性格かと思っていたテレーゼは中々にスパルタであり、むしろ幾分冷たそうに見えたクラリスの方がひたすら私に甘い。
それに気付いた時、思わず飴と鞭という言葉が脳裏をよぎった。采配はお母様かミセスベネットか。分からないけれど、恐ろしいほど的確な人選だ。
無用な鞭を貰わないために、今日も私は猫を被る。
「……その時眩い光があたりを包み込みました。光に触れると、みるみるうちに王子の怪我が治っていきます。呆然とする王子の目の前に、1人の美しい妖精が現れました」
朝食後、学習の一環として毎日行われる読み聞かせは専らクラリスの仕事だ。ソファに腰掛ける私の足元にしゃがみ込んで、ローテーブルの上で絵本を開く。
そしてその間テレーゼは扉の横に控えてこちらを伺いつつ、部屋を訪れる人の取り次ぎを行っている。
クラリスの少し低めの声はとても耳当たりが良い。まるで前世の某教育番組を観ている気分になる。
この世界の絵本がおおよそ私の知っているものとかけ離れていることも、大きな要因だろうけれど。
それは前世のもので例えるなら、映画に近い。
絵本のページを開くと縦25×横30cmほどの小さなスクリーンのようなものが真上に浮かび上がり、その中で挿絵のキャラクター達がちょこちょこと動き回るのだ。
クラリスの読み上げる声に合わせて動く様は何度見ても興奮する。すごいな魔法、なんでもありだな!と心の中で騒いでいたのは秘密である。
私の知っている絵本と異なるそれは文字通り、魔法絵本というのだと習った。聞けば、『魔法絵本作家』なる専門職まであるらしい。前世と同じタイプのものより値が張るのだろう。
たかが絵本、されど絵本。文字教育のための読み聞かせは我が家の裕福さを実感すると同時に、専門職が出来るという魔力持ちの将来の可能性を垣間見るいい機会だった。
「……呪いの解けた姫は王子の申し出に喜んで応えました。そして2人は結ばれ、末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
クラリスが読み終えると同時に、スクリーン内ではお城のテラスで微笑み合う王子と姫に色とりどりの花びらが降り注いだ。
魔法絵本は、昔からある有名なお伽噺をストーリーに据えていることが多いそうだ。今日のこれもそのひとつで、題名は『眠り姫と王子』という。見覚えがあるなんて野暮なツッコミはしてはいけない。
物語が作られた時代に流行していたのか、王族を主人公にした恋物語は非常に多い。それも悲劇はあまり好まれないらしく、大体はハッピーエンドで終わる。
つまり良く言えば万人受けする、悪く言えば使い古された話運びばかりなことは否めない。
けれど。
「すてきなおはなし」
ぽつりとそんな言葉が口から零れるくらいには、胸を打つものがある。
魔女に魔法をかけられ、森の奥、蔦に覆われた塔の中でひとり眠りにつく姫。その姿絵に心を奪われた王子は、いくつもの試練を乗り越えながら姫の元へと向かう。
枯れ木がドラゴンに変化して襲いかかってきたシーンなどは、思わず手に汗を握った。
『所詮は姫の姿形しか知らない愚かな男よ』と言うドラゴンに、王子はこう返す。
『その通りだ。私は姫のことをたった一枚の姿絵でしか知らない。しかしそれだけでこうも焦がれるのだ。本物の姫に会った時はその想いで死んでしまうかもしれない』
――とても情熱的なセリフだ。なりふり構わない恋が燃える様は美しい。
現実であれば、姫の性格に幻滅して百年の恋も冷める可能性だってある。そういった不確定要素を取り除いた恋愛が成り立つのは、フィクションの特権だ。
「お気に召していただけましたか?」
そんなことを考えていれば、本を閉じたクラリスが微笑みながら私に尋ねてきた。
それにこくりと首肯して、私は口を開く。
「おうじさま、いいなあ」
「ふふ、お嬢様の元にもいつかいらっしゃいますよ」
「ほんとに?」
「ええ。素敵なお嬢様にお似合いの素敵な王子様が」
クラリスはそう言って一層笑みを深くした。彼女はどうも私を過大評価し過ぎなきらいがあると思う。勿論、そうなるよう見せていることは否定しないけれど。
今の私は、まだたくさんのものを求められる立場にいないからこそうまく立ち回れている。ボロが出ていないだけだ。決して、賞賛を手放しに喜べるほどの余裕はない。
これから先、果たして私は王子様に見初められるほどの令嬢になれるのだろうか?
内心渦巻く不安を笑顔で取り繕って、私は両の手をそっと握り締めた。
実際、他者からあれほどの好意を向けてもらえる状況は羨ましく感じる。そのきっかけが外見だけだったとしても、だ。
私の未来において家の利益となる相手と婚約をすることは確実であり、そのしきたりばかりはどうしようもない。
普通の恋愛というものへの羨望はきっと、これから先どんどん強くなっていくのだろう。前世での経験があるから尚更に。これは予想ではなくほとんど確信だ。
だからこそ、せめて婚約者が私を見てくれる相手であったらいいなと願ってしまうのだった。
「一旦お茶のお時間にいたしましょうか」
「アイリーン、いるかい?」
クラリスがそう言って立ちあがった時、不意に扉の向こうから私を呼ぶ声がした。
我が家で私の名前を呼び捨てにする人間は2人しかいない。1人は勿論お母様だ。
そしてもう1人は。
「おとうさま!」
テレーゼが開けた扉から入ってきた男性に、私は勢いよく駆け寄る。
広げられた両腕に飛び込むと、ふわりと身体が宙に浮いた。お陰で随分近くなった顔に、正面から向き合うことができる。
ミルクティーのような淡い茶色を帯びたブロンドに、グレーの瞳。黒色のウェストコートを身に纏うスラリとした痩身の男性――私を抱え上げるのはロジャース家当主であり、お父様であるアルフレッド・ロジャース伯爵その人だった。