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「アイリーン、今日からこの人達が貴女のお世話をしてくれるのよ」
お母様がそう言って私の部屋へ連れてきたのは、まだ20歳になるかどうかというくらいの若い少女2人だった。
所謂、侍女というやつだろう。しかしながらお母様、2歳と半年の小娘に侍女は贅沢過ぎるのでは……?
庶民感覚で内心首を傾げつつ、私は曖昧に微笑んで頷いた。
「お初お目にかかります、お嬢様。この度お嬢様付きの侍女となりました、テレーゼと申します」
まずお母様に近い方に立っていた1人がそう言って頭を下げた。綺麗な赤毛を持つ小柄な少女だった。ヒールを履くお母様の胸元あたりまでしか背丈がない。たれ目気味の鳶色の瞳が笑うとふにゃりと緩み、愛くるしい顔となる。
慌てて頭を下げ返すと、まあと咎めるようなお母様の声が聞こえた。
「アイリーン、貴女は頭を下げなくていいのよ」
「……いいの?」
「ええ。こういう時はにっこり笑ってご挨拶で返せばいいの」
なるほど、そういうものなのか。
直接の雇用者はお父様ないしお母様であるとはいえ、私と彼女達の間にも主従の関係は発生している。たしかにテレーゼは困ったような笑みを浮かべているし、頭を下げ返すのは控えた方がいいみたいだ。
ついついお辞儀を返してしまう、日本人の性。
「テレーゼ、よろしくね」
必殺・幼女スマイル。ゆっくりと言葉を紡いだ後に笑顔を向ければ、ほっとしたような表情のテレーゼが再び頭を下げてくれた。
「同じく本日からお嬢様付きとしてお世話させていただきます、クラリスと申します。こんなに素敵なお嬢様にお使えできるなんて光栄の極みでございます」
続いて、テレーゼの隣に並んでいたもう1人の少女がそんなむず痒くなるような口上を述べ、恭しく頭を下げた。
灰色がかったブロンドはきっちりと結われ、琥珀色の目と相まって、少々キツめの印象を受ける。
「ありがとう。あなたも、すてきよ。よろしくね、クラリス」
これから先お世話になるのだ、第一印象は大事。と、お行儀よく挨拶を返した後でやりすぎたかなと後悔した。
お母様まで、三人揃って目を丸くしている。ですよね、二歳児ですもんね。普通こんなにしっかり喋れないよね。
「……お嬢様は、家庭教師か何かつけていらっしゃるのですか?」
冷や汗の止まらない私をよそに、恐る恐るといった調子でクラリスがお母様に尋ねる。
「いいえ。でも昔から周りをよく見る子だったから……それで覚えたのかもしれないわねえ」
「なるほど、そうだったのですね」
勝手に納得してくれて助かった。そうそう、見様見真似です。お母様達の悪い言葉を聞かせないようにという努力の賜物なのです。
「アイリーン、あと半年で貴女は魔力適性検査を受けることになるの。お外に出ても立派に見られるように、これから2人の言うことをよく聞いてお勉強するのよ」
しゃがみ込んで私と目線を合わせたお母様が言った。
ああ、そういうことか。淑女になるための前準備と。
「……おかあさまは?」
場をごまかすために、ちょっとあざといかな?と思いつつ、不安げな表情でお母様のドレスの袖を掴む。侍女のいない今までで一番一緒にいたのはお母様だから、筋は通っている……はず。
案の定お母様は少し驚いた顔をして、その後嬉しそうに破顔した。
「あらあら、この子は。いいえ、お食事の時には会えるし時間があれば覗きに来るわ。大丈夫よ」
そう言って優しく私の頭を撫でてくれる。お母様にこうしてもらうのが私はとても好きだ。2年も幼児をやっていると、精神の一部も年齢後退するのかもしれない。
目を細めて心地良さを享受していると、部屋の扉をノックする音が響いた。
入ってきたのは従僕の1人だった。我が家の使用人の数は多く、現在の私は未だほとんど名前を把握できていない。
「失礼致します。奥様、マーティン洋装店の方がお見えになりました」
「あら、もうそんな時間?2人とも、アイリーンをよろしくね。分からないことはミセスベネットに聞いてちょうだい」
ミセスベネットとは我が家の家政婦長だ。眼鏡をかけたキリリとしたご婦人で、何度か面倒を見てもらったことがあるけれど、私は少し苦手だったりする。幼子の身体に、あの放たれるプレッシャーは重いのだ。
「それじゃあいい子でね、私の可愛いおちびちゃん」
最後に私の額へ軽いキスをすると、お母様は従僕と共に部屋を出ていった。
……さて、少しは親睦を深められるといいのだけれど。
手始めに私はテレーゼの側に寄り、その手を控えめに引っ張った。
「お、お嬢様?どうなさいましたか?」
「おはなし、したいの」
前世の自分と年齢が近いからか、なんとなく彼女達には親近感を抱いてしまう。身分差があるから友人になるのは難しいだろうけれど、折角お付きになるのだ、気安い関係は築き上げたい。
ローテーブルの前に置かれた大きなソファに腰掛け、隣をぽんぽんと叩く。3人くらいなら余裕で座れるからだ。
「すわって?」
「お嬢様、ご容赦下さいませ。私達使用人が主人の隣に座るなどあってはならないことなのです」
「どうして?」
「そういう決まりなのでございます」
「……つかれちゃうよ?」
「お優しいお気遣い感謝致します。ですが慣れておりますので……」
テレーゼの言葉にクラリスも頷いて同意を示す。ううん、人を立たせて話をするのって居心地悪いんだけどな。
まあ、ここはおとなしく引き下がっておこう。2人が後で怒られても困るし。そう自己完結をして私は口を開いた。
「わがままいって、ごめんなさい」
「いいえ、お嬢様のお気持ちは本当に嬉しいのです。ありがとうございます」
「お嬢様は聡明なだけでなく、とてもお優しいのですね」
口々に返され、なんとなく気恥ずかしくなる。傍らのクッションを抱き締め、鼻から下をぽすりと埋めた。この、何をしても褒められる感じ。非常にやりづらい。
壁は高いなあと思いながら、私はそっとため息を吐くのだった。