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 生け垣を潜り抜けた私の顔に、ごお、と強い風が吹き付けた。

 思わず目を閉じて、数秒。葉や枝から顔をかばうように上げていた両腕の隙間から、そっと周囲へ視線を配る。


 ――眼前には、どこまでも続く緑の丘が広がっていた。




 きちんと整地されている庭や館正面と違って、好き勝手に伸びている下草が柔らかく足元をくすぐる。一歩踏み出す度に、心臓が口から飛び出してしまうような錯覚に陥った。

 自由というのは、こんなにも頼りなく恐ろしいものだっただろうか。


 草花を揺らす風の音に、時折混じる鳥の声。

 少しずつ丘を下った私は、我が家が幾分小さく見えるようになったあたりでようやく足を止めた。

 未だドキドキしている心臓をなだめるため、近くにあった切り株に腰掛け、大きく深呼吸をする。

 左奥の方に見える舗装された地面はきっと、市街地と伯爵邸を繋ぐ一本道だろう。ということは、とそのまま視線を下方へスライドさせていくと、遠くに可愛らしいレンガ造りの建物がいくつも立ち並んでいる様子が目に入った。もう少し近くに行けば、人の声も聞こえてきそうだ。


 緩やかな下り坂が続いていることもあって、この辺りはもう街の方が近そうだなと私は座ったままぼんやりと考えた。


「おい、お前」


 不意に乱暴な物言いの声が聞こえた。思わず身を震わせて、ゆっくりと後ろを振り向く。

 果たしてそこには、赤茶色の髪と目をした男の子がしかめっ面で立っていた。

 当たり前だけれど、初めて見る顔だ。

 健康的に日焼けした頬には泥のこすれた跡が付き、あちこち跳ねた髪には小さな葉っぱがいくつもくっついている。身長から察するに、年は私よりいくつか上だろうか。


 どうやら話しかけられたようだが、どうしていいか分からないため、ひとまず小さく会釈する。

 すると、ハッとした様子の彼はいきなり赤い顔で睨み付けてきた。そしてそのままズンズン距離を詰めてくる。うわあ、すごい悪ガキ感。


「そ、そこで何してんだよ」

「特に何も。ちょっと休んでいただけです」

「それは俺専用の切り株だ!チビの癖に勝手に座るな!」

「はあ、なるほど。それはどうも知らずに失礼しました」


 あるよね、子供特有のテリトリー主張。

 そう思いながら立ち上がって空けたスペースを、どうぞと手で示す。要件はそれだけだろうか。


「……お前、名前は」

「ア……アリーです」

「ふうん、知らねえ。最近引っ越してきたのか?」

「ええ、まあ……」


 切り株に座るでもなく、私のことをじろじろと訝しげに見つめてくる男の子に曖昧な返事をする。こっそり抜け出してきている手前、妙なトラブルが発生する前にこの場を離れたいのですが……。


「エプロンもしてねえし、変な奴」


 投げかけられた言葉の意味が分からず、自分の服装へ目を落とす。シンプルな濃紺のレース襟付きワンピースドレス。仕立てが良く、お気に入りの一着だ。エプロンを合わせても悪くはないだろうが。

 そこまで考えたところでようやく、ああと思い立った。私はこの子に使用人の家族か何かだと思われているのか。領地内とはいえ、令嬢が一人でふらふらしているこの状況が異常な訳で。まあ、それならそれで都合が良い。


「実は忘れてしまいまして」

「馬鹿だなー、木の実とか拾っても入れるとこねえじゃん」


 木の実を拾う予定はないから大丈夫じゃないかなあ。


「ふふ、そうですね」

「……なんかあったのかよ」

「え?」

「暗い顔ばっかしてっと女神様の良い加護もなくなっちまうんだぞ」


 真剣な眼差しでそう言う少年に、私は思わず首を傾げた。

 女神様とはきっとこの世界で祭られている唯一神テオトルのことだろう。八百万の神々が馴染む日本人感覚が抜けないせいか、1つのものを信仰する生活にはイマイチ溶け込めていないが、この世界を創生したというテオトル神の姿は貨幣やお守りなど日常のいたるところに刻まれているため、さすがに覚えている。

 人々を取り巻くすべて――幸福や苦難、生死すら、同じ神様が(もたら)すものだなんて不思議だ。


「……ん」


 黙ったままの私に何を思ったか、肩から下げていた布鞄をごそごそと漁った彼は、やおらこちらに手を突き出してきた。握られていたのは……花?

 茎から伸びた花柄(かへい)が先端に集まって、淡いクリーム色の花弁を持つ小花が密集している。

 記憶と色は違えど、その特徴的な形状を私はよく知っていた。


「ゼラニウム……」


 『君花』における最大のキーワードは、タイトルにもある通り花束だ。

 ルートにおける役割はそれぞれ異なるが、いずれもストーリーを進展させる重要なアイテムとなっている。


 ――ギルバートルートにおける花束(それ)は、真っ赤なゼラニウムだった。


 ゲームスチルで飽きるほど見たせいか、植物に特段詳しいわけでなくとも一目で判別ができた。


「かあさんが好きな花だから摘んできたんだけど、ちょっとだけ分けてやる」


 思わぬ偶然に戸惑う私に、半ば無理矢理ゼラニウムを握らせた彼は、そうもごもごと呟いた。照れ隠しなのか、口を尖らせた表情が幼く可愛らしい。

 受け取った手の中のそれを改めて眺め、礼を述べる。


「ありがとうございます。……ええと」

「なんだよ」

「お名前が」

「……ジャック」

「ジャックさん。励ましてくださってありがとうございました」


 そう言って笑いかけると、見知らぬ男の子、もといジャック少年はぷいと顔を背けた。生まれてこの方、ギルやレイとしか会話をしてこなかったからすっかり忘れていたけれど、この年頃の男の子はこういうものだよなあ。

 切り花でも花瓶に活けたら少しは長持ちするだろうかと思案している私に、ソワソワした様子のジャックが話しかけてきた。


「な、なあ!そういえば知ってるか?伯爵様のわがまま娘の話」


 ……ほう。

 ちょうどもやもやしていた件をピンポイントで突かれて、ジャックの優しさでほっこりしていた私の機嫌はたちまち急降下した。


 彼曰く。町一番の噂好きとして名高いステラおばさんの親友の従姉の娘の友人の友人(もうそれはただの他人だろう)は、界隈では有名な家庭教師で、評判を聞きつけたロジャース伯爵家から「どうしようもない(・・・・・・・・)一人娘のため是非に」と乞われて、数週間前に雇われたらしい。

 しかし、どんな悪童であっても決して見捨てない、と熱い意欲に燃える彼女を迎えたのは、少しでも気に入らないことがあれば癇癪を起こして物を投げつけ壊し、魔法で使用人を脅す小さな悪魔であった。

 ……あれ、これほんとに私の話かな。


「金持ちってやっぱりどうしようもねえ奴ばっかりだ」


 面と向かって言えないお貴族様への悪口を吐き出してすっきりしたのか、ジャックは楽しそうに笑う。本人目の前にいますよとも言えずに、私はただ黙って眉根を寄せた。


 ステラおばさんの親友の以下略、は名前を聞けばたしかに数人前の家庭教師として招かれていた。顔も覚えている。

 けれど私の記憶によれば、彼女の退職理由は「求められる水準の授業が行えないから」だったはずだ。教科書の内容だけでは間が持たず、図書室から持ってきた参考書の内容についてひたすらに質問し続けていたら何故か泣き出してしまったのだ。

 鳴り物入りで出向いた手前、本当の理由は周囲に話せなかったのかもしれない。たかが6歳児に泣かされたとか、その後の仕事にも差し障るだろうし。


 ……でもさあ、それにしたってあんまりじゃないかなあ!嘘しかないじゃん!


 その他の人々が口にする体験談となまじ被る部分があるだけに、信憑性を帯びてしまったのだろう。悪魔合体にもほどがある。いやまあ自業自得なんですけど。おばさんは背びれ尾びれのくっついた話を広めていないで、黙ってクッキー焼いてて欲しい。


 相も変わらずわがまま娘のとんでもエピソードをしゃべり続けるジャックにもいい加減疲れてきて、私は彼の言葉を遮った。


「もういいですか」

「……は?」

「悪口って聞いてるだけでも疲れるので。1人にしてもらえませんか」


 端的に言えば、「うるさいからあっち行けお前」である。

 初めは呆気にとられて口をぽかんと開けていたジャックだったが、やがて馬鹿にされたことを理解したのか、顔を真っ赤にして大声を出してきた。


「お、まえ!ちょっと可愛いからって調子乗んな、ブス!」

「あ、ちょ……」


 絶対拗れるから照れ隠しでもそういうこと言わない方がいいよ、少年。

 思わずそう呆れてしまうような捨て台詞と共に私の頭からハンカチーフをむしり取った彼は、そのまま街の方へ駆け出していった。追いかける気力も無く、だんだんと小さくなる背を見送る。

 折角気晴らしに来たのに、なんだか嫌な気分になってしまった。


 ため息をついて、屋敷の方へ体を向ける。しおれ気味のゼラニウムを注意深く握り直して、私はゆっくりと来た道を引き返していった。



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