表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

23


「お嬢様の教育は私どもの手には余ります!!」


 もう我慢なりません、といわんばかりの女性の大声が廊下まで漏れ出ていた。

場所はお父様の執務室の前。偶然を装って通りかかったものの、タイミングがよすぎてちょっとびっくりしたことは内緒だ。

 声の主は5日前から雇われている新任の家庭教師――のうちの一人。勉強そのものというよりコミュニケーションなど内面性の教育に能力を求めるせいか、今回は二人同時に契約を結んだと聞いていた。まあ叫び声を聞く限り、結果は振るわずといったところだが。


 反抗期からさらに半年余が経ち、私の評判は『いたずら好きで気難しい伯爵家のひとり娘(6)』へとグレードアップしていた。地味なわがままの積み重ねは着実に結果を出している。

 基本的に外部と没交渉な私は今回もまたギルからの手紙で知り得たのだけれど、例によって彼にはいたく心配されてしまった。本当に優しい良い子だ。

 『リーアが誤解されていくのを聞いているのは苦しい』と手紙に綴られていた時は、なけなしの罪悪感で心臓が少し潰れた。わざとそうしているなんて口が裂けても言えない。

 ギルの中での私の評価を下げるという本来の目的達成率はいまひとつ。若干の空回り感は否めないが、周囲からの評判というのも十分重要なファクターだろうと納得することにしている。




 執務室の先にある図書室へと勝手知ったる態度で入室し、私はふうと息を吐いた。これでようやく20人くらいだろうか。

 入り口横にある壁際のスイッチを押せば、天井からいくつもぶらさがる魔法道具に明かりが灯る。前世で言う電気技師のような専門の職人が回路を組んでくれているらしいが、まったく便利なものだ。

 私は立ち並ぶ本棚の間に入り込むと、そのまま行儀悪くずるずると座り込んだ。いたずらのネタが尽きてきていることもあり、正直なところ、最近は大人しくするタイミングを計っているところではあるのだ。


 今回は一人の鞄にそこら中を逃げ回る魔法をかけて半泣きにさせ、もう一人にはドレスのスカートにインク瓶をぶちまけて悲鳴を上げさせた。我ながら結構悪質。授業ボイコットで庭を散歩していただけの初日が可愛く思える。

 最終的にはきちんと鞄もドレスの汚れも戻したのだけれど、彼女達からすればそういう問題ではない。だからこそのあのセリフなのだろう。


「お嬢様、いらっしゃいますか?」


 控えめなノック音に続いて聞こえた声に、私は慌てて床につけていた腰を浮かせた。この声はテレーゼだ。扉へ駆け寄り、開け放つ。


「どうかした?」


 予想通り廊下に立っていた彼女に私は小首を傾げて尋ねた。昼食まではまだ少し時間があるはずだけれど。

 怪訝そうな私にテレーゼはにっこりと笑って言った。


「マレット様の都合が急遽つかなくなり、本日の午後はお休みとなるそうです。折角ですから、昼食がてらこれからピクニックなどいかがですか?」

「え、本当?」

「旦那様の許可は出ておりますので、お嬢様さえよろしければ。30分ほどで準備をしてまいります」


 思えばこの一年弱、色々と忙しくてあまり自宅でゆっくりしていた記憶がない。……たまには、いいだろうか。

 逡巡する私にテレーゼがそうそう、と声を上げた。


「ギルバート様からお手紙もきておりましたよ」

「ギルから?わあ、久しぶりね」

「先週お会いになられていたじゃないですか」

「そ、そうだけど!手紙はまた違うの!」


 くすくすと笑うテレーゼに、私はどこか言い訳するように言葉を返した。

 双方の家でのお茶会が定期的になり、実際に会う回数が増えてからも、ギルとの手紙のやり取りは頻繁に続けている。特段変化のない日常を過ごす中でそんなに話す内容があるのかと思われそうだが、不思議なことに話題は尽きない。筆まめな彼は勿論のこと、私ですら毎回複数枚に渡る文章を送ってしまうほどには。

 ただ、最近のギルは少し忙しいようで、今回のこれも私が送ってから3週間ほどの間が空いていた。便利な電子機器の存在しないこの環境で、直接顔を見る以外の連絡手段があることは嬉しいが、相手の負担になってしまっては元も子もない。ギルから言い出すことは絶対にないだろうし、無理のない範囲に頻度を見直すべきなのかもしれない。


 テレーゼについて廊下へ足を踏み出すと、ちょうど話の終わったらしい家庭教師の女性が従僕に伴われて出てくるところだった。なんというタイミング。彼女のヒステリックの原因である手前、なんとなく気まずい。

 目が合ってしまったので笑顔のひとつでも浮かべようかと思ったが、愛想どころか嫌みになりそうだったので止めておいた。努めて冷静に、無表情を張り付けて背を向ける。


「……お嬢様」

「なあに、テレーゼ」


 もう少しで自室へ到着、というあたりでテレーゼが遠慮がちに口を開いた。


「旦那様や奥様にご心配をかけるのはあまりよろしくないのではないでしょうか」

「なんのことかしら」

「お嬢様がご聡明であることは私もよく存じております。ですが、こうも頻繁に家庭教師を入れ替え続けていては……」

「んー、悪い評判が立つ?」


 シックなペールグリーンの扉を押し開け、室内へ入る。振り向いてわざとらしく肩をすくめる私に彼女は伏し目がちに頷いた。

 テレーゼの心配はもっともだ。現に私の評判は決して良くは動いていない。侍女の立場を踏まえれば出過ぎた真似とはいえ、私のことを慮っての言葉だろう。分かっている。

 可愛らしい小花柄のシートが張られたバルーンバックチェアへ腰を下ろして、私は小さくため息をついた。


「別に、いいんじゃないかしら」

「お嬢様」

「だって嫌なものは嫌なんだもの。勝手に言わせておけばいいと思うわ。でも……少し、私も反省していたところ。やりすぎたかなって」


 綺麗につや出しのされたサイドテーブルの木目を眺めながら、半ば投げやりな回答を口にする。

 あれもこれも全てを丸く収めることなんて不可能だ。私が私の目的のためだけにわがままを言い続けていれば、それはどうしたって周囲の大人達の心労を増やすし、外では恰好の話の種となってしまう。そんなことは百も承知で、これはマイナスを理解した上で選んだ選択肢のはずだ。

 にも関わらず、望んでそうしたはずの現状に苛立ちを覚えてしまうのは、私が精神的に未熟な子供だからだろうか。


 テーブルの中央、真っ白なクロスの上に置かれた細工の美しい木製トレーにはギルからのものと思しき封筒が載っている。それを手に取り、私はテレーゼと目を合わせないまま言った。


「やっぱりピクニックはいいわ。少しひとりにしてくれる?頭を冷やしたいの」


 これ以上会話を続けるつもりはないという意思を込めて告げた言葉に、彼女はただ一言「差し出がましい口を失礼いたしました」とだけ言い、頭を下げると静かに退室していった。扉が閉まり、私以外誰もいなくなった室内に静寂が訪れる。


 こちらに生まれ落ちてきて初めてとも言える八つ当たりを他人にぶつけたせいか、いつもならすぐに開封する手紙を持つ手が動かない。後悔するくらいならこんなことしなければいいのに、という声が聞こえる気がした。

 所詮その程度の考えなのだと言われればそうなのかもしれない。何をしてもしなくても流れていく時間の中で、十分な考えを練れた自信は無い。


「……ああ、だめだ」


 思考が良くないループに陥っているな、これは。

 頭を振り、くさくさする自身に早々に見切りをつけると、私は椅子から立ち上がった。少し身体を動かそう。今ギルからの手紙を読んでも、きっと内容が頭に入ってくることはないだろうから。


 庭に出る私を止める大人は誰もいなかった。テレーゼが何か取り計らってくれたのかもしれない。ますますもって、申し訳なさが胸の奥をきゅっと締め上げた。




 昨晩は、台風とまでは言わないものの随分強い雨風の夜だったらしい。

 美しく区画整理された花壇の花々が地に伏し、屋敷を囲む生け垣には跳ねた泥がいくつも付着していて、お世辞にも綺麗な景観だとは言えなかった。

 緑色の芝生は汚れ、踏みしめる足下は泥濘む。赤く甘い実を実らせてくれていたお気に入りの小木が根っこから倒れているのは少し悲しかった。きっと植え替えの際の掘り方が浅過ぎたのだ。


 ぐるぐると周辺を探索していると、斜めになった針葉樹の奥に、隙間の空いた生け垣が目に入った。強風で枝の一部が折れたようだ。

 ちょうど隠された抜け道のように口を開けるそれは、私程度の身長ならば簡単にくぐり抜けられそうに見えた。


 ごくり、と唾を飲み込む。生け垣の近くへ足を運ぶにつれ、心臓が早鐘を打つ。普段だったら絶対にこんなことはしない。ああ、今日は一体どうしたのだろう。

 きょろりとあたりを見まわして、私以外誰もいないことをもう一度確認する。ポケットから取り出した大判のハンカチーフを、緊張で震える両手で髪の毛にかけ、しっかりと結ぶ。それからひどく魅力的なその抜け道へ、私はそっと体を滑り込ませた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ