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「メリークリスマス、リーア。来てくれてありがとう」
「メリークリスマス、ギル。こちらこそお招きいただきありがとうございます」
12月24日、クリスマスイヴ。前世の日本人感覚だと恋人と過ごすイメージの強いこのイベントは、どうやら一般的には家族と過ごすものであるらしい。
日が落ちかけた夕暮れ時、いつものようにお尻を痛くしながらブラウン家へ辿り着いた私を出迎えてくれたのはギルだった。
入り口で従僕の1人にコートを預け、エスコートされるままにホールを抜けて廊下を進む。どこへ向かうのだろうという私の疑問を感じ取ったのか、応接間の方へ準備をしたのだと道すがらギルが説明してくれた。
ふんふんと頷く私の横で、「それはそうと――」と少し改まったように彼はこちらを見た。
「素敵なドレスだね。リーアによく似合ってる」
目を細めながらそう褒めてくれたギルに、思わず顔を俯かせる。
テレーゼ達に見立ててもらった今日のドレスは所謂よそゆきのそれで、スカートと袖がふわりと広がっている。普段あまり身にまとわないような少し濃いピンクの色味は、幾重にも重なるフリルと相まってまるでカーネーションの花のようだ。ところどころ控えめに入れられた白いレースが、動く度にちらりと覗くのが可愛らしい。
鏡の中の見慣れない姿に似合っているかどうか内心不安だったので、褒めてもらえるのは純粋に嬉しかった。
「ありがとうございます。ギルもいつもと雰囲気が違って見えますね、かっこいいです」
「あ、ありがとう」
褒め返し、とばかりに言葉を返すとギルは少し動揺したように目を泳がせた。普段は下ろしている髪が後ろに流し固められていることで、赤くなった耳が丸見えなことに彼は気が付いているのだろうか。
本当に可愛いなあと思わず頬を緩めている間に、目的の場所へ辿り着いたらしい。足を止めたギルが咳払いをひとつして、開けられた部屋の中に私の手を引いていく。
大きなツリーの前に置かれたカウチ。そこに座って本を読んでいたレイの視線が私達を捉えた。途端、つぼみがほころぶような優しい笑みがその顔に浮かぶ。
「メリークリスマス、アイリーン。迎えに出なくてごめんね」
立ち上がって歩いてきた彼もまた、前回会った日とはうってかわってきっちりした服装に身を包んでいた。白いシャツに重ねたノーカラーのウェストコートは、卵色の地に細い縦ストライプが入っていてカジュアルな印象を受けるものの、レイの優しい雰囲気とよく合っている。
私が招待へのお礼とクリスマスの挨拶を述べ終えると、レイは「こちらこそ来てくれて嬉しいよ」と笑った。
「人数が人数だし、食堂よりこっちの方が良いかと思って用意してもらったんだ。さあ、どうぞ座って」
椅子を引かれた場所へ各々が着席すると、用意されていたのであろう料理や飲み物が次々と運ばれてきて、たちまち小さなテーブルを埋め尽くしていった。
ハーブと香辛料のきいたローストチキン、マッシュポテトにラクレット、魚とトマトのスープ、ミンスパイ、その他色々。デザートにはたっぷりクリームの添えられたチョコレートプディングと、少量ずつとはいえ食事を終える頃にはすっかり胃袋が悲鳴をあげていた。あまり締め付けの無いドレスで本当によかった。
そもそも招待された身で普通の令嬢はこんなに食べないのだろうけれども、自身の胃の容量の小ささを恨めしく思うほどにどれもこれも美味しかったのだ。
料理長の腕が素晴らしい、羨ましい。我が家の料理人の腕も決して悪くはないが、マッシュポテト1つでこんなにも味が変わるものなのかと衝撃を受けた。
あまりにも感動したのでそれを素直に伝えると、「まあ元王宮勤めだからね」となんでもないことのように返されて、さらに驚いた。宰相のコネクションってすごい。
食後の紅茶をいただきながら、私は用意していたプレゼントを2人に渡すことにした。
「気に入ってもらえるといいのですが」
控えていたテレーゼからプレゼントの入った袋を受け取り、そう前置きをしてからそれぞれへ手渡す。
ギルもレイも、まさか何か用意されているとは思っていなかったらしく、兄弟そろって大きな瞳を瞬かせながらしばらく手元の包みを見つめていた。
「え、わあ!うそ、いいの?ありがとう。開けてみてもいい?」
「もちろんどうぞ」
先にはっとしたように声をあげたのはレイだった。幾分興奮した様子で私とプレゼントを交互に見やる。頷き返すと、その細い指がもどかしそうに包みのリボンをほどき始めた。
四隅を集めて絞るようにしていた結び目を解かれたことで、淡い黄色をしたシフォンが花びらのようにふわりと開く。と、同時に中から溢れ出したのは星屑のようにきらきらした光。思わずといった様子で手を伸ばした彼の指先に触れた瞬間、それらはまるで空気にとけ込むようにすっと消えてしまう。
そして光がすべて消えた後、ぽんという音を立てながら宙より出現したクリスマスカードがレイの手にそっと収まった。
その唇がすごい、と小さく呟いたところで、ようやく包まれていた小箱が目に入ったらしい。
5cm四方ほどのシンプルな黒いそれを手のひらに乗せて、恐る恐るといった様子でレイが蓋を開ける。中に入っているのは勿論、それぞれに選んだカフリンクスだ。
「すごい――どうしよう、何て言ったらいいか分からないけど――とにかく嬉しい。本当にありがとうアイリーン」
紅潮した頬で半ば呆然としながらそうお礼を言ってくれたレイに、私の頬も緩む。
隣ではワンテンポ遅れてはっとした様子のギルが包みに手をかけていた。もう目の前で見ているし、私よりよっぽど魔法を勉強しているであろう彼のことだ、たいした感動にはならないかもしれない……それでも。
色だけが違うものの、同じシフォンのラッピングをギルの手が慎重にほどいていく。
中から飛び出したのは星屑――ではなく、桜のような薄桃色の花びら。初歩的な変化の魔法だ。原理は同じなのだから触れれば消えてしまうことは分かっているだろうに、掴むように手を伸ばしたギルの姿に兄弟で同じ仕草をしていることが可愛くて、思わず笑みが零れた。
カードを片手に小箱を開けたギルの瞳が、真ん丸く開かれる。
「どう、でしょう。好みでなかったらごめんな――」
「嬉しい、ありがとう。ずっと大事にするから」
どうやら杞憂で済んだらしい。食い気味に答えたギルの姿にほっと息をついて、私は改めて笑顔を浮かべた。
「すごいなあ、マーティン洋裁店でしょこの箱。最近はこんなラッピングまでしてくれるんだ。もしかしてクリスマス限定?」
「あ、いえ……その、包装は私が」
「リーアがかけたってこと?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に、こくりと頷いて答える。
「ギルは普段もっとすごい魔法の勉強をしているでしょうし、たいしたサプライズにはならないかもしれませんが……」
「全然。むしろこんな使い方もあるんだってびっくりしたところ。すごいよリーア」
「うん、本当に。アイリーンの魔法はなんていうか――1つ1つがとても綺麗だね」
穏やかにそう笑うレイに、一瞬脳がフリーズした。
ただの偶然、それ以外ないだろう。
そう頭では理解できるのだけれども――ストーリーの中で出てくるはずのセリフが、脳内でリフレインする。
だってそれを言うのはヒロインのはずで、向けられるのはギルのはずで。
思いもよらない出来事に、私は呆然とする他なかった。




