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近頃、ロジャース家のひとり娘が反抗期を迎えたらしい。
そんな噂がまことしやかに流れていると知ったのは、家庭教師の件をお父様にお願いしてから半年ほど経った頃だった。
世間はすっかりクリスマス。家々が華やかに飾り付けされると同時に、社交界のシーズンが始まっていた。デビュー前の私には関係がないけれど、お父様とお母様はそろって王都にあるタウンハウスへ滞在し、連日忙しくされている。先日、少し早めのクリスマスカードを送っておいた。
私自身はほとんど外に出る機会がないため、噂の情報源はギルである。月に2回ほどのペースで定着しているある日のお茶会で、そういえば、と話題にのぼったのだ。
彼も私と同じようにカントリーハウスへ残っているというのに、一体どこから話を仕入れてくるのだろうと不思議で仕方ない。
「ギルは反抗期とかなさそうですね」
「今のところそういうのはないかな……って、そうじゃなくて。リーア、大丈夫なの?」
「大丈夫、とは?」
勢いを弱めた陽の光が控えめに降り注ぐロジャース家の温室で、ギルと二人向き合って座りながら私は首を傾げた。備え付けのテーブルの上には、彼が持って来てくれたハーブティーが湯気を立てている。
黙ってカップに口をつけたギルは、しばらく口をもごもごとさせてからぽつりと言った。
「……何か、ストレスでも抱えてるのかと思って」
「……ギルには私がそう見えているのですか?今も?」
「ちがっ……会ってる時は普通だから、その」
「なるほど、それで心配してくださったのですね」
「ちが、わないけど、からかわないでよ」
「ふふ、ごめんなさい」
思っていたよりも早かったなあと他人事のように思いながら、むくれてしまったギルの機嫌をなだめる。
例のおねだりをした翌月から、約束通り勉強に関してはセオ以外の家庭教師をつけてもらい、地道な活動をしてきた甲斐があったというものだ。
しかしまあ、反抗期とは随分可愛らしい表現だと思う。
事実、私がやったことといえば「家庭教師を次々と入れ替えさせる」の一言に尽きるのだけれど、そのやり方は我ながらどうしようもないのだから。
初めこそ授業の進度が合わないとか説明が分かりにくいとか、それなりに真面目な理由をつけていた。性格的に受け付けないを何種類かのオブラートに包んでみたこともあったっけ。
それがだんだんやり方がずさんになってきて、授業の度に教科書を接着剤でくっつけるとか、椅子に恥ずかしい音の鳴るクッションを二段構えで仕掛けておくとか、先生達の方から「辞めさせてください!」と言わしめている最近は――少し、やりすぎ感は否めない。
どれもこれも言葉にすると馬鹿馬鹿しいが、良家の子女に慣れている彼女達にとって私はとんでもない不良娘のようなのだ。
周りの大人達はというと、娘のわがままが嬉しいらしい両親のお陰で、今のところ特にたしなめられるようなことにはなっていない。
……果たしてそれでいいのか。私が素でやってたら、つけあがってテンプレみたいなわがまま娘に育っちゃうぞ。
この件以外では聞き分けの良い子供だからこそ、見逃されているのかもしれないけれど。
ええ、頑張ってます私。月火金の午前中は座学、月水木金の午後には魔法、火曜午後と土曜の午前はマナーで、水木午前はダンスレッスン。終日休みなのは日曜日だけというハードスケジュール。
貴族ってこんなに忙しいの?ゲームに入学前の描写はなかったし、正直優雅にお茶飲んでパーティーしてるイメージでした、すみません。
それなりの貴族であれば入学に向けて前準備をしている……と言葉で言うのは簡単だけれど、実際にやってみるとなんというかもう、すごい。大変。
一介の伯爵家である我が家でこうなのだから、もっと上の公爵家や王家ともなれば、もはや休みなんてあってないようなものじゃないだろうかと思う。
パーティーも勿論、人脈作りや関係アピールなど貴族として欠かせない場ではあるのだけれど、デビュー前の子供にはほとんど無関係な話だ。だからシーズンだろうとそうじゃなかろうと、時間だけは腐る程ある。
ともあれ、噂が出回っているのなら第一段階はクリアと考えていいだろう。お疲れ、私。
るんるんと楽しげな私を見てどう思ったのか、ギルは呆れたようにため息を吐いていた。何か言いたげな目をしているけれど、気付かないフリでかわす。
「……そういえば、そろそろクリスマスだね。リーアはご両親のところには行かないの?」
温室のそこかしこで咲いているクリスマスローズらしき白い花に目を遣っていると、不意にそんな質問をかけられた。両親のところ、かあ。会いに行きたいのは山々なんだけれども。
クラリスお手製のジンジャークッキーをひとつつまんで、私はうーんと小さくうなった。
「読み進めている本もあるし、こっちでテレーゼ達と過ごそうかと思ってます。ギルは?」
「僕は……兄が家にいるからね。両親はもしかしたら顔を見に帰ってくるかもしれないけど」
「わあ、素敵じゃないですか」
「そう、かな」
いいなあ、兄弟。と、のほほんと言い放ったところでギルの表情がどこか暗いことに気が付いた。
「ギル?」
「……ん、どうかした?」
「いえ、なんだか元気がないように見えたので。もしかして何か気に障るようなことを言ってしまいましたか……?」
「え、そんな大丈夫だよ」
慌てたように手を振るギルに、ますます申し訳ない気持ちになる。
そんな私に対して、大人びた口調で「本当にそんなことはなくて」と苦笑を漏らしながらもう一度否定したギルは、ふと思いついたように言葉を止めた。
「そうだ。あのさ、リーア、兄さんに会ったことないよね?」
「そういえば……ギルのおうちには結構お邪魔してますけど、ご挨拶すらしてないですね……失礼でごめんなさい」
「ううん、リーアが来てた時はあまり調子が良くなかったから仕方ないよ。波があるんだ。夏は特に、毎年そうなる」
つまり、お兄さんの体調が良くない時に私は呑気に遊びに行っていたわけだ。それはそれでどうなんだろうか……うるさくはしていなかった、はずだけれど。
招かれた日程であるとはいえ、思わず微妙な表情になってしまう。
「それでさ、最近は兄さんも体調が良い日が続いてるから一度会ってみたらどうかなって。いつも退屈してるからすごく喜ぶと思うんだけど」
「いいんですか?それでしたら、ぜひ。お兄様のお加減のよろしい時に予定を調節しますので」
ギルのお兄さんかあ、きっと可愛いんだろうなあ。
そんな邪な推理をしつつ、ほっとした顔のギルに笑顔で御礼を述べる。
「帰ったら聞いてみるよ。本人が一番詳しいから」
「ありがとうございます、楽しみにしていますね」
うん、と可愛らしく首を縦に振る彼を見ながら、私は湯気の消えたカップにそっと口をつけた。
▽▲
乙女ゲームの攻略対象という因果故か、ギルはたいへん整った顔立ちをしている。
それは彼に遺伝子を渡したブラウン伯爵夫妻にもいえることで、つまり何が言いたいかというと、血を同じくするギルのお兄さんもその例外ではないということだ。
「初めまして。君がアイリーン嬢?僕はレイモンド、レイモンド・ブラウンです」
真っ先に目に入ったのは、きらきらと明るいヘーゼルの瞳。ギルと同じダークブラウンの髪は鎖骨のあたりまでゆるりと垂れ下がり、白く細い首筋を覆っている。
柔らかな笑顔を向けるその人は、たしかギルの5歳上だと聞いていたけれど、線の細い体躯のせいかそこまで年が離れているようには見えない。
都合の良い日取りを決めてブラウン家を尋ねた私がその日出会ったのは、儚げな美しさを持つ1人の少年だった。




