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「人と人とが関わりあえばそこにはいくつもの可能性が生じます。どうかご自身もギルバート様も、生きている人間であるということをもう少しお考え下さい」


 夜、ベッドに入って目を閉じても寝つけない私の頭の中では、セオに言われた言葉がぐるぐるとしていた。

 魚の小骨を飲み込んでしまった時のように何かが引っかかっているのはきっと、図星を突かれたからだ。

 私にはゲームの先の人生があるのだからなどと言いつつ、ギルと会ってもなお、私は彼に乙女ゲームというフィルターをかけて見ていた。

 ギルにはヒロインが、もっと幸福な生き方が。その決めつけは、ギルを「攻略対象」として見ているなによりの証だ。

 あんなに心を開いてくれたギルに私は、向き合おうとする選択肢を初めから放棄していた。


 柔らかな毛布を頭の先まですっぽりと被り、浅く息を吐く。

 ギルは可愛い、素直にそう思う。けれどそれはきっと、画面の中のキャラクターに、アイドルに、ただ歓声をあげているのと同じだ。自身との関係に何かを落とし込んで考えているわけではない。

 ひどく、不誠実だ。


 一向に訪れる様子のない睡魔に早々に見切りをつけ、私はそっとベッドから体を起こした。そのままカーペットの敷かれた床へ、素足で降り立つ。

 窓際に設置された小さな机。引き出しを開けると、中にあるのは3通の手紙。

 水色、黄緑色、桜色。色こそ違えど、淡いパステルで統一されたそれらはすべて、この3週間でギルが書いて送ってくれたものだ。


 傍らのスツールに腰掛けながら、水色の封筒を1通手に取る。

 返事を書くにあたって何度も読み返していたから、内容はすっかり覚えていた。

 庭で新種の薔薇が咲いた、面白い本を見つけた、新しい魔法を使えるようになった……そんな日常の出来事を、子供らしくも丁寧な字で綴ってくれるギル。月末に改めてご挨拶に行くことが決まった時は、感謝と楽しみにしている旨が書かれていたっけ。


 もしも、と、宛名部分を指でなぞりながら考えてみる。


 もしもこのままギルと結婚したなら。きっとそれなりにうまくやっていけるのだろう。それは感覚的に理解できる。

 私が余計な茶々を入れなければ、ヒロインがギル以外の、まだ見ぬ攻略対象と恋に落ちる可能性はぐんと上がる。

 ヒロインの持つルートの選択肢は5つもあるのだから、世界の強制力や意図的な誘導抜きで確率は等しく1/5だ。その中でヒロインが他の誰かとうまくいけば、私があえて婚約者の立場を崩す理由だってなくなる。


 そもそも、どうして私はギルとの婚約を破棄したいのだろう。

 恋愛対象として見ることができないから、もっと彼自身を心の底から大切にしてくれる人と幸せになって欲しいから。

 すぐに浮かぶ理由のそのどれもがそれらしくて、嘘くさい。


「……こわい、のかな」


 無意識のうちに零れた呟きは、とてもしっくりときた。

 呑気に浮かれている陰で、どこか見ないようにしている部分があるのだと思う。

 成長と共に自身や周囲に対する理解は深まり、それは同時に私の中で拭い去れない不安を増長させた。貴族として家を背負うということも、自分がゲームに存在していたキャラクターとして生きているということも。

 完全に割り切れているわけではない。逃げ出したい気持ちはいつだって心の奥底にある。抱えている現実すべてを直視したら、たちまち不安に飲み込まれてしまいそうで、怖い。

 手紙を持つ小さな手、ネグリジェから覗く小さな足。目に映るそれらはアイリーン(わたし)のものだ。

 思わずスツールの上で膝を抱えて、ぎゅっと体を縮こまらせた。


 セオの言葉が正しいことは痛いほど理解している、それでも。

 私はまだ手放しにすべてを受け入れられるほどには、強くない。




 翌朝、寝不足でぼんやりとする頭で私はテレーゼに、「お父様とお話がしたいの」と告げた。

 ギルとのことをどうするかは、未だ決めあぐねている。私がこの先ギルを異性として好きになることも、ヒロインが他の人と結ばれ私達がそのまま結婚することも、可能性としてはゼロではないからだ。

 セオのいう通り、人が関わり合えばそこに生まれる未来は様々だろうと思う。

 ただやはり、破棄が選択された場合の保険も残しておきたいというのが、一応の私の出した結論だった。


「アイリーン、体調が悪いんじゃないかい?」


 朝食の後、執務室に入った私を見たお父様は開口一番にそう言い、その顔に心配そうな表情を浮かべた。

 けれどそう言うお父様こそ、あまり休めていないのではないだろうか。目の前の執務机の上には15cmは優にありそうな書類の束が3つ。近頃は輪をかけて忙しいらしく、一日顔を合わせないことも珍しくない。

 今朝の朝食もお部屋で摂っていると聞いた。数日ぶりに見た白皙のかんばせが、心なしかやつれて見える。


 それにしても、私はそんなにひどい顔色をしているのだろうか。今朝の鏡に映った自分の顔を思い出そうとしたけれど、うまくいかなかった。

 だからなるべく柔らかい表情を作って、私は首を振る。


「大丈夫です、少し眠くてぼうっとしているみたい。お父様こそお忙しいのに、ごめんなさい」

「そんなこと気にしなくていいんだよ。僕は朝から小さな天使の姿が見られて幸せだからね」


 お父様は椅子を立って傍に来ると、そう言って私の頭を優しく撫でた。そのグレーの瞳が優しく緩む。


「それで、一体どうしたんだい?珍しいね、僕に何か話したいことがあるとテレーゼから聞いているけれど」


 来客用のソファに促され、並んで座ると、お父様は私の顔を覗き込んだ。なんとなく緊張して、思わず視線を逸らしてしまう。

 うまく、言えるだろうか。


「あの、家庭教師のことで」

「家庭教師?ああ、セオかい?」

「はい、あの、セオに教えてもらえるのを魔法だけにしてもらうことって、できますか」

「それはまた突然だね。うーん……うまくいかないのかい?」

「いえ!セオはほんとにいい先生で、だから、だからその、もっと魔法だけに集中したくって、もうセオにはお願いしてて、それでもいいですよって言ってもらえてて、えっと」


 セオに非があるわけではない、そこを誤解されてしまうのは困る。あくまで私のわがままなのだ。

 どうしたら伝えられるだろうと焦りすぎてうまく言葉が紡げずいる私に、お父様がくすりと笑い声をたてた。


「うん、わかったよ、アイリーンが初めてしてくれたお願い事だ。何か思うことがあるんだろうね。セシルには僕から話しておく。ただすぐにというわけにはいかないかな、代わりの人間の手配には少し時間がかかるし。来月の頭くらいを目処に考えておいで」


 お父様を見上げ、目一杯開いた瞳でぱちぱちと瞬きする。きっと今の私はとても間抜けな顔をしているだろう。

 本当に?と問いかけると、降ってきたのは本当だよという返事。


「……お父様、ありがとう!」


 気が緩んだせいか、思ったより大きな声が出てしまった。

 それに急に恥ずかしくなって俯くと、お父様はもう一度笑って私の頭を撫でた。


「セオから言われたことはないけれど、たしかに彼の負担も大きいだろうしね。流れで勉強も頼んでしまっただけだし、セシルも反対はしないんじゃないかな」

「折角お願いしていたのに、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。アイリーンも5歳になったことだしね、そろそろマナーやダンスの準備を始めようかと、ちょうどセシルと話していたところだったんだ」

「マナーと、ダンス……」


 にこにこしながら投下された爆弾に、ひくりと口元が引きつる。お父様の発言を部分的におうむ返ししながら、私は言葉を飲み込んだ。

 マナー、ダンス。自由にさせてもらいすぎて忘れていたけれど、貴族に生まれた者として切っても切り離せないものたちだ。ごくごく一般的な庶民として生きていた前世で、勿論馴染みなんてあるはずもなく。正直、不安しかない。


「なに、デビューまでにはまだ時間があるから心配ないよ」


 黙り込んだ私を励ますように、軽い調子でお父様は言う。


 この世界では、世間的にきちんと社交界デビューをするのは16歳と決まっている。

 誕生日を迎える年の、王家主催の夜会。そこで両陛下をはじめとした王族に謁見することで、デビューが成立するのだ。

 そのため、日中に催されるお茶会や訪問は別として、いわゆる夜会への参加は15歳以下には認められていない。

 けれど魔力持ちである以上、13歳になれば私は学園に入学する。

 生徒に富裕層が多いせいか、学園のカリキュラムは魔法中心とはいえ、一般的な礼儀作法などの時間も組まれている。

 平民出身のヒロインは授業についていくのが精一杯で、それを馬鹿にされるという、ライバルキャラによるお決まりのイベントがマリウスルートなどであったはずだ。


 つまり何が言いたいかというと。

 学園は小さな貴族社会といっても過言ではない。私がそう思っていなくても、周囲は私を通して『ロジャース伯爵家』を見るのだ。

 立ち居振る舞いが完璧とまではいかなくとも、ある程度の水準になっていなくては何を言われるか分かったものではない。

 いくら公的なものでないとはいえ、私に残された時間は入学までの7年と少し。


「……がんばります」


 ようやくそれだけを絞り出して、私はお父様に曖昧な笑顔を向けた。

 なんとか、不出来で目立つなんてことはしないようにしたい。



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