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ギルバートはといえば、驚いたような、怒っているような、複雑な表情で私を見つめながら固まっていた。
その様子に、今更ながら若干の罪悪感を抱く。
初対面なのに随分と知った風な口を利いてしまった。彼のプライドを傷つけてしまったかもしれない。
「……さすがに口が過ぎましたわ。申し訳ありません」
そう言って私は軽く頭を下げた。ああ、やってしまった。ふた回り近く年下の相手に何してるんだろう、大人げない。
そんな手遅れの自己嫌悪に、思わず奥歯をぎゅっと噛み締める。
けれど、予想に反してギルバートは何も言わず俯き、やがてぽつりと零した。
「ありがとう」
取り繕った余所行きの声でも、私を面倒くさがるような声でもない。あまりに弱々しい一言。
「……お怒りにはならないのですか?」
怖々尋ねれば、ギルバートはゆるりとかぶりを振った。
「年下の女の子に言われたいことではないですけど。そうやって言ってもらえるのは、嬉しいから」
「ギルバート様……」
「ギルでいいです。貴女には、そう呼んでもらいたい」
言われたままにギル、と名前を呼ぶと、その瞳が僅かに揺れた。
私は何と呼んでもらうべきだろうか。お母様やお父様は私のことを天使やおちびちゃんと呼ぶけれど、名前をもじった呼び方は誰にもされたことがない。
「私は……」
私が言い淀んでいるとギルバートは少し考え込む仕草をし、それからこちらに再び目を向けた。
「リーアと呼んでも、構わないでしょうか」
元の名前が欠片も分からないけれど、愛称なんてそんなものだろう。なにより響きが可愛いので、悪い気はしない。
どことなくくすぐったさを感じながら、私はギルバートに笑いかけた。
「まあ、ありがとうございます。ぜひお願いします」
「気に入っていただけたようでよかったです」
ぎこちなく微笑むギルバートに、私は内心でほっと息を吐いた。
トータルの結果として、ギルバートとのファーストコンタクトは上手くいったと思う。
……少々、やり過ぎたことに目を瞑れば。
後日、改めてブラウン家から正式に婚約の申し込みがあったらしい。妙に嬉しそうなクラリスが私にそう話してくれた。
私の魔力のことは勿論話していないので、ギルバートもある程度の孤独感は抱き続けるだろうが。
想定外のハプニングが起きたとはいえ、一気に距離を縮め過ぎた気がしなくもない。
良いお友達ポジションを目指すにはさじ加減が難しい。
婚約者(仮)から晴れて正式な婚約者へとなった後、ギルバートからは丁寧な手紙とブーケが届いた。
異性から手紙を貰う機会なんて前世ではほとんどなかったので、少しばかり新鮮だ。なにせ、みんなスマホひとつで連絡を取っていたし。
リーアへ、という書き出しで始まるその手紙は、薄い桜色の便箋にしたためられていた。
『先日はお見苦しいところをお見せして、すみませんでした。
ちょうど兄のことを悩んでいる時に顔合わせのことを告げられ、婚約者候補というだけで焦ってしまい、冷静に考えることができていませんでした。少し考えれば政略的な意味合いがほとんどないことはわかるのに、恥ずかしいです。
周りから言われる言葉で頭がいっぱいになっていて、ずっとそんな自分が嫌でたまりませんでした。でも、リーアが僕を見てくれると言ってくれた瞬間、どうしようもなく泣きたいような、嬉しい気持ちになりました。ありがとう。年上なのに、なんだか情けないですね。
こんな僕ですが、よかったらまた話を聞いてください。勿論、リーアが何か悩んでいれば、僕も聞きたいです。頼りないかもしれないけれど。
この前はゆっくりと案内ができなかったから、今度改めて庭園でお茶をする時間でも取りましょう。都合をつけてくれたら嬉しいです。 ギルより』
「なんだこの可愛い生き物……」というのが読み終わった時の率直な感想である。未来のクーデレ系男子の幼少期は、想像以上に天使だったみたいだ。
普段の素っ気なさがあるからこそ仲良くなった時のデレが引き立つのだと主張していた以前の自分に、このときめきを伝えたい。
美少年のデレはいつ、なんであっても可愛い。これは世界の真理だ。
返事を書くべく意気揚々とペンを握ったところで、私ははたと考えた。
あまり仲良くなりすぎると、それはそれでのちのちに響いてくるのではないだろうか。
ギルバートとヒロインは、シナリオライターという神に決められた運命の相手だ。フラグの建て方さえ間違えなければ、ルートに入り惹かれ合うのは必然だろう。
だけど、とそこで思考が止まる。
もしもギルバートとアイリーンの仲が良すぎたら……?心根の優しい彼のことだ、きっと感情と立場とでより一層板挟みになり、苦しい思いをするだろう。もしかしたら婚約破棄まで踏み切らないかもしれない。
イコール、私の計画は最悪の形で頓挫する。たとえ自分が正妻だとしても、結婚相手が他の女性に心を奪われている現実を許容できる自信はない。
第一、ギルバートはたしかに可愛いけれど、私のこの感情は弟に対して抱くようなものだ。愛護とでも言おうか。婚約者という言葉は会ってみてもなお、しっくりとこない。
そして好感を持てる相手だからこそ、余計にヒロインと幸せになって欲しいと思う。
ギルバートと仲良くなることは未来形ではあるものの、ほとんど避けられない前提として。
何か、他にも破棄をされる要素を作っておいた方が良いかもしれない。原作のアイリーンは一体どんな距離感で付き合っていたのだろう。
「……あ」
不意に脳裏をよぎったのは、光り輝く金髪を持った少女――マリウスルートにおけるライバル役――の高笑いする姿だった。
……悪役令嬢か、うん、なかなかいいんじゃない?
いじめはともかく、適度にわがままを言ったりヒロインに嫌味を言ったりすれば、少なくともギルバートが婚約破棄を躊躇ってしまうような性格には思われないはず。ひょっとすると、破棄の計画を前倒しにできるかもしれない。
我ながら名案な気がする。
「?お嬢様?いかがなさいましたか?」
側に控えるテレーゼにちらりと目をやると怪訝な顔をされた。
2人には恩を仇で返すようなことになってしまうけれど、私の人生がかかっているのだ。極力迷惑はかけないようにするから、許して欲しい。
手っ取り早いわがまま――聞いてくれそうなもの、あれしかないよなあ。
含み笑いをする私を心配そうに見つめる侍女2人の視線に気付かぬまま、私はギルバートへの返事を書いていった。




