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「まあ、本当によくお似合いですわ」
「とってもお可愛らしいです」
身支度を終えた私を見て、テレーゼとクラリスが口々にそう言って褒めそやす。
ありがとうとお礼を述べれば、2人は嬉しそうに笑った。
着慣れた普段着ドレスを脱がされ、ペチコートを重ね着すること、実に5枚。正直、下半身の暑苦しさが半端じゃない。
年齢的にコルセットの非着用こそ許されているけれど、平生そんなに何枚も身に付けることがないものを重ねなくてはならないのはなかなか辛い。
2人が私に選んだのは、パフスリーブで襟ぐりの浅い、淡いクリーム色のドレスだった。
スカートの前半分にだけ波のように幾重にも同色のフリルが付けられていて、後ろ半分はこれまた同色のチュールがふんわりと生地を覆っている。ウエスト部分には金色のリボン。襟元に白糸で細かな刺繍が施されている以外は、上半身はとてもシンプルだ。
もふもふと広がった腰から下を見つめながら、着心地はともかく本当に可愛いなあとしみじみ感じた。
こういったお姫様のようなドレスは着る機会がまだあまりないので、身に纏うとなんとなく気分が高揚する。
クラリスが持ってきてくれた姿見に映った私の頬は、ぽっと赤くなっていた。やっぱり可愛いな、アイリーン。
そんなアホなことを考えつつ、鏡に向かって笑顔を作る。
胸元に光るネックレスは、白色の透明な石で形作られた花のモチーフ。セオがくれた目くらましだ。
家庭教師になってすぐの頃に、指輪は年齢にあまりそぐわないだろうからとわざわざ作り替えて渡してくれた。どこまでも紳士的で素敵なのである、私の先生は。感謝の念に堪えない。
平たく加工された石が5枚の花弁を作り、根元で繋がった中心部分だけが淡く黄色に染まっている。その花が5つ、横並びになって銀色のチェーンに繋がっている様はデザインとしてもとても可愛くて気に入っている。
指先をネックレスに這わせて、私はひとつ深呼吸をした。
いよいよだ。最初の出会い、うまくやらなくてはならない。
私はギルバートには攻略対象以上の興味――ざっくばらんに言えば恋愛感情――は抱いていないが、そんな個人的な感情一つで反故にできる話だとも思っていない。
私のアドバンテージは何か?それは間違いなくゲームの知識だ。私はギルバートが主人公と恋に落ちていく過程をよくよく知っている。
それをうまく利用しようというのが私の作戦だった。
主人公が学園に入学してくる年まで、付かず離れずの関係を保っておく。学園では私とは距離を置いているくらいが好ましい。
その上で、さり気なく2人の距離が縮まるように手配するのだ。
アイリーンは当て馬キャラだ、その事実は覆らない。ならば私はより良い当て馬らしくも、自分に都合の良い方向に転がるよう過ごしてやろうと思う。
夢がない?そうかもしれない。私だって他人事であったならそう言っているだろう。
だけど考えてもみてほしい。平凡な一般家庭で生まれて育ってきた人間が唐突に貴族の家に放り込まれ、数年かけてようやく許嫁だとか何だとかって受け入れる準備をしてきたのに、実は乙女ゲームのキャラでしたー!なんて。
いわゆる世界の強制力みたいなものがあるとして、私の裏工作如何に関わらずギルバートルートに話が進んだとしたら、ある日突然許嫁をぽっと出のヒロインに取られるのだ。その時、もしも相手に好意を持っていたら……考えるだけでも嫌だ、辛すぎる。
誰が好き好んで失恋の痛みを甘んじて受け止めるものか。
ゲームならそこで終わりかもしれないけれど、私にはアイリーンとしての人生がその先もあるのだから。少しでもリスクの低い選択肢を選ぶのは当然のことだ。
幸いなことに、アイリーンは婚約を破棄されるだけで、命を奪われたりお家取り潰しの処遇を受けたりはしない。いや、婚約破棄なんて貴族社会では一生ついて回る醜聞なのだけれど……それはそれだ。
嫁入りが無理なら、駄目元でセオの弟子入りを志願してもいい。私だって特殊持ちなのだから、何か一つくらい手伝えることはあると思う。本物の令嬢ならいざ知らず、私は前世のお陰で身の回りのことだって自分で行える。
私が家督を継ぐことはできないのだし、いずれ我が家の爵位は遠縁の親族に渡るはずだ。むしろその時に婚約破棄された令嬢がいつまでも居座っていたら、跡継ぎ殿も扱いに困るだろう。……よし、弟子入りはこれを理由にゴリ押そう。
そんな風にわりと楽観的に未来を考えているわけだけれど、今日のお見合いは言わば全てに通づる大事なイベントだ。
両家の顔を立てるために、最低限、婚約が成立する程度には打ち解けられなければならない。
どうか幼少期のギルバートが人の話を聞いてくれる子供であるようにと願うばかりだ。
お父様と我が家を出発して馬車に揺られること3時間と少し。ファンタジー定番の転移魔法は存在するが、お抱えの有能な魔力持ちがいるような王族にしか使えない高級品なのだそう。
慣れない長時間移動にお尻が痛くなって来た頃、ようやく見えてきたお屋敷では、ブラウン伯爵夫婦があたたかく出迎えてくれた。
「お久しぶりです。遠いところまでお越しくださりありがとうございます。ロジャース卿、レディ・アイリーン」
「お久しぶりです、ブラウン卿、夫人。こちらこそお招きいただきありがとうございます」
本当に思っているのだろうか?と内心考えてしまうような台詞を口にするお父様。いや、だってあんなに乗り気でない様子を見せられていたら無理もないでしょう。
そんなお父様達の挨拶の応酬の後で、私もきちんと礼をする。
お母様からの伝言もしっかりと伝え、伯爵夫人――お母様がクレアと呼んでいたからてっきりそれが名前だと思っていたのだけれど、本名はクレアラだった――とも、まずまずのファーストコンタクトを終えられた。
そして2人に連れられて入った応接間で、私はどこか見たことのあるような少年と対面した。
純粋さを閉じ込めたような幼い顔立ち。見るからにサラサラとした濃い茶色の髪の毛。あと幾年もしたらきっと私が知っている彼とそっくりになることだろう。
少女と見まごうほど可愛らしいその子は私と目が合うとふわりと微笑み、それからゆっくりと礼を執った。
「初めまして、ギルバート・ブラウンと申します。本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます、ロジャース卿。レディ・アイリーン」
男の子にしては高めの声が私の耳を打った。
控えめに言って可愛すぎる。前世でもショタコンの気はなかったと思っていたけれど、これは予想以上の破壊力だ。半端じゃない。
こんな子を騙すような真似をするなんて、心が痛む。
――そんな風に考えていた時が、私にもありました。
早々にギルバートと2人きりにされた私は、すぐに現実の難しさと直面することとなった。
夫人自慢の庭園があるということで、案内人としてギルバートが私をそこへ連れて行ってくれることになったのは数分前のこと。
その道中は、ぽつりぽつりと「本当に綺麗にお手入れされていますね」「庭師も母も凝り性なので」というような当たり障りのないやり取りをしていた。
やがて私達は庭園の奥まったところに設けられたスペースに辿り着いた。
白くころんと丸みを帯びた薔薇が木製の棚から垂れ下がるように葉や枝を伸ばしている様は美しく、私は思わず息を飲んだ。真下に据えられているのは、真っ白な丸テーブルと椅子が三脚。
こんなに素敵な風景を見ながらお茶を飲めたら楽しいだろうなあと私が考えていると、不意にギルバートが話しかけてきた。
「誰の目も届かないうちに少し話しておきたいことがあるのですが」
その声は先ほどまで聞いていたものとは違って、どこか気だるさをはらんでいた。
一瞬、誰のものか分からなかったくらいだ。
「ええと、ギルバート様……?」
「率直に言ってしまいますが、貴女はうちの兄をご存知ですか?」
半ば遮るようにして質問を投げかけてくるその瞳は、剣呑な光を奥に潜ませていた。




