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「お嬢様の教育は私どもの手には余ります!!」


 19人目の……いや20人目だったか、どちらか定かではないけれど、『教育係』の女性のヒステリックな大声が執務室の中から聞こえた。

 廊下まで聞こえてくるのだからものすごい声量だ。お陰で扉に耳をつけなくて済んだ、ラッキー。

 そんなことを考えながら、私は何食わぬ顔で部屋の前を通り過ぎる。さも、お父様の執務室のその先にある、図書室に用があるんですよと言わんばかりに……。






▽▲






 アイリーン・ロジャース。

 それが今世(・・)での私の名前だ。


 「うわ電波かよこいつ」と思ったそこのあなた。その感覚は正しい。私も他人事であれば、近寄ってはいけない人リストにそっと名前を登録していることだろう。

 ただ、どうか今はもう少しだけ話を聞いて欲しい。

 私は至って真面目であり、スピリチュアルな何かに傾倒しているわけでも気が触れているわけでもない。

 では何故、こんなことを言い出しているのか?

 その理由はただひとつ。


 なんの因果か私には前世の記憶がある――いわゆる、転生者という存在なのだ。




 21歳の花真っ盛り、日本で楽しく女子大生をしていた前世の私は帰宅途中、信号無視の車にはねられ当たりどころが悪く死亡した。

 志半ばどころか、平均寿命で言えば人生1/4ほどしか生きていない。儚すぎる。

 したたかにコンクリートに打ち付けられ遠のく意識の中で考えていたことといえば、生理学のレポート提出してないなあとか、死ぬ前に先輩に告白したかったなあとか、そんな取り留めのないことばかりだった。


 そして段々と意識が暗闇に吸い込まれていき、私はそこで一度死んだ。


 ――はずだった。




 次に目を開けた時、ぼやける視界にあったのは夏の空のような鮮やかな青色だった。

 徐々に焦点が合い、その青色が誰かの瞳だと認識した途端、思わずヒッと出かかった悲鳴は何故だか声にならなかった。

 純日本人の家系ゆえ、親戚はもとより、友人にだってこんな目の色の人はいない。カラコンにしては自然すぎる瞳だ。もしかして、私は知らない間に海外で手術を受けていたのだろうか?っていうか顔、近い近い。


 混乱する頭を一旦静めるべく右手を額に当てようとして――私は固まった。

 小さなふくふくとした手指。先端に申し訳程度に付く爪。まるで赤ん坊の手のようなものが視界に映る。

 ……ぐーぱー、ぐーぱー。

 盛大な幻覚であってくれという願いも虚しく、それは私の意思をきっちりと反映して動いた。寸分の狂いもなく。

 

 あまりに信じ難い光景に今度こそ叫んだ私の声は、大きな大きな泣き声となって口から飛び出したのだった。




 生まれ変わったのだと落ち着きを取り戻した私が自覚するまでには、そう時間はかからなかった。

 なんにせよ、なってしまったものは仕方がない。人生やり直せるってなにそれ強くてニューゲーム?神様ありがとう、私頑張るよ。

 家族や友人に対する寂寥の念を覚えないわけではないけれど、戻ったところで私は死んでいるはずだ。


 そんな、些かドライ過ぎる速さでポジティブに気持ちを切り替え、私をあやす母親らしき人の腕に抱かれながら静かに決意をする。

 これは奇跡だ。折角のチャンスだ。目一杯楽しもうじゃないか、と。


 幸いなことに、言葉に不自由はしなさそうだった。聞こえてくるもの、見えてくるものすべてが日本語だったからだ。

 どこからどう見ても外国人といった人達がそろって日本語を話している状況は、なんとも奇妙な感じがする。

 もしかしてこれが転生特典というやつだろうか?フィクションでよくあるような神様に会った記憶はないのだけれど……。

 母親やたまに顔を見せる父親、メイドや執事(随分裕福な家に生まれたらしい)の口の動きをよくよく観察する。耳に聞こえてくる響きを内心で反芻する。うん、やっぱり日本語だ。


 とりあえずは情報収集をするべきだ。今後の方針を決めるためにも。

 そう結論を出した私は、見聞きする断片的な情報をすり合わせ、自身の環境を少しずつ把握していった。


 その結果、数週間もすると、『ここは日本ではないこと』『私は生後間もない伯爵家の娘であること』の2点をなんとなく理解することができた。

 そう、伯爵である。まさかの身分制度。

 言葉の感じから言って単に海外に来たというわけでもなさそうだし、もはや世界自体違うと考えていいだろう、これは。




 今後色々と問題が立ちはだかってきそうだけれど、思考回路はそのままに身体機能だけが幼児化しているという現在の状態もなかなかにハードだった。

 授乳や排泄といった世話を他人にしてもらう恥ずかしさには1週間もすれば慣れた。だって赤ん坊だし、と開き直れば大体のことは許容できる。

 しかしそれは精神面の問題だからだ。

 喋るにはどうしたって身体面の訓練が必要で、赤ん坊の未発達な筋肉では声帯を操ることもままならない。

 周りに人がいようがいまいが――いや、度が過ぎないようある程度配慮はしたけれど――地道に練習を重ねた結果、唸るしかできなかった私はようやく一つの単語を発音することに成功する。


 苦節9ヵ月、今世の世界で「ママ」という言葉を発した私を抱き上げる母親の喜びようはすごかった。


「アル!ランス!ミシェル!アイリーンが喋ったわ!」


 それはもう、淑女にあるまじき大声で父親や召使たちを呼ぶほどに。

 喜ばれすぎて正直戸惑ったけれど、悪い気はしなかった。




 貴族の奥方がこぞって乳母を雇い、自らの手で子育てをしないことをステータスとする中で、あえてそれを行っていた母親は変わり者とも言える。


「母が生まれた子を慈しんで何がいけないのですか!」


 そう周囲を一蹴していたのは強烈だった。

 授乳は胸の形が悪くなると進言してきた侍女に「そんなことくらい、なんですの?」なんて言い返す伯爵夫人は、あまりいないのではないだろうか。

 世間的にどうかは知らないが、少なくとも私にとってはそれらの行動はプラスに影響した。

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる美しいその人を母親――お母様だと、認識することができたからだ。


 不思議なことに、今世の家族への親しみが深くなっていくのと引き換えに、前世での家族の顔や声は少しずつ朧気になっていった。

 ……変に感情が交錯するよりはいいのかもしれないけれど、それをどこか寂しいとも思った。


 話を戻そう。

 兎に角、主だった世話をお母様が手ずから焼いてくれたお陰で、私は極めてすんなりと新しく置かれた血縁関係を受け入れることができた。


 そして、自立歩行が出来るようになる頃には私はすっかり『アイリーン』としての自分に馴染んでいて、気が付けば、目覚めてから実に1年が経過しようとしていた。



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