会心の一撃
目覚ましのタイマーが、僕を生温かくて優しい夢の世界から引きずり出した。
毛布からはみ出していたであろう、僕の手足はひどく冷たい。
クリスマスが目前の季節だから、こう寒くても文句は言えない。
まあ、クリスマスと言っても、彼女のいない僕にはどうでもいいイベントなのだが。
かじかんた片手で制服のボタンを留めながら、カバンに教科書を詰め込んだ。
玄関を出ると、雲って、灰色にぼやけた街がすでに動き始めていて、都会の騒音が、曇り空の中で余計に響いて聞こえた。
自転車にまたがり、坂を下り終わると、いつものように高校へ向かう学生達の行列へ加わり、
適当に仲の良いグループを見つけて、適当に話をしながら学校へ。
毎朝がマンデーブルー状態の僕にとって、学校に向かうことは、単なる作業だ。
教室に着くと、授業がすぐに始まった。
先生が、教科書やら黒板やらを駆使して何かしらの解説をしだすと、僕は、教室のオブジェの一つになる。何をするでもなく、ただそこに座っている。
実際、それは特別なことでもないだろう。僕は、数を足したり引いたり、遠い国の言葉を覚えたり、およそ利用しがたい知識を習得することに大した興味のない人間だ。
腐るほどにありあまっている、一般的な学生の内の一人だ。
そんなことを考えていると、先生に問題の解答を指名された。
「...わかりません。」
教科書に印刷された、何かしらを意味するであろう数字を眺めながら呟いた。
「わからんじゃないだろう。少しは考えとるのか?」先生は、声のトーンを少し上げながら、そう言い放った。
どうすればいいんだろう、と悩むようなフリを何十秒かしている内に、案の定、「もう着席してよい。」と、先生は、溜息混じりの、諦めのセリフを吐いて捨てた。
2限目が終わると、のっぺりと空に張り付いていた雲から光が射しだし、昼休みになる頃には、雲は青空の中で生き生きと浮遊し始めていた。
窓際で、弁当のおかずをついばんでいると、学級委員の松島さんが文化祭へのカンパをお願いしてきた。
彼女は美人だ。そして、勉強もスポーツも、なんでも万能にこなす。みんなの尊敬のマトという感じだ。
それを自覚しているのだろう、いつだって自信に満ちた対応をみせる。
気がつけば、僕は1000円も払ってしまっていた。
礼を告げた彼女は、多分彼氏であろう、3年の先輩の待つ裏庭へ行ってしまった。
無駄な出費を抑えるつもりだったのに...、全く痛い千円だった。
今の僕には、クリスマスを共に過ごす彼女はいない。僕は特に目立ってないし、尊敬とかもされてはいないだろう。よくいるどうでもいい学生だ。しかし、僕は考えている。いつかそのうち、みんなの尊敬を集め優秀な者として認められるための、会心の一撃なるものを、みんなに打ち付けるのだ。
会心の一撃。宝くじを当てる的な、ギャンブルみたいな意味で言ってるのではない。僕の運命で、確実にやって来るような予感に溢れた希望。僕の原動力。
平凡な日常の中で、平凡に生きる、平凡な今の僕。
そろを打ち破る、会心の一撃。
きっと、捻り出してみせる、会心の一撃。
冬の日暮れは早く、下校の時間には、紫に染まった空が広がっていた。
自転車にまたがり、校門を出ながら大時計見たとき、時刻は6時を指していた。
大時計の横には、「小泉雄太 背泳ぎ〇〇M 全国大会出場!」等の、部活その他で優秀な成績を残した学生達を讃える、掛け軸式のフラッグがゆらゆらと、はためいていた。
何年か前まで、同じ土台にいた友達の何人かは、少しずつ少しずつ、僕の気がつかない間に上へ上へと昇っていっていた。
僕と同じ様な所でくすぶっている者達の目には、彼らは、まさに、ジャンボジェット機のように映った。
僕のような、地べたにいる者達にとって自分の存在とは、自分の右や後ろ、隣にいる者達からしか見えない。認められない。
しかし、ジャンボジェット機は違う。
どんな場所に居ようが、上を向きさえすれば目に映る。
僕らの声をかき消すくらいの重低音で、嫌が応にもその存在感を叩きつけてくる。
少なくとも、背泳ぎ全国大会出場の小泉君は、この学校内において、その存在を爆発させることに成功してたようだ。
僕は校門を出て、歩道に沿い、自転車を走らせ始めた。
地べたに張り付いて、一般大衆化してゆく僕。
でも、僕には逆転の運命がある。
きっと、現状打破の会心の一撃をひねりだし、この学校で、この街で、この日本で、僕の存在を爆発させる。
何故だろう、胸の内から、そんな自信が、そんな予感が噴き出してくる。
実は、今度書いてる小説を、有名な、○○小説大賞に送ろうと思っている。
それこそ、きっと会心の一撃になるはずなのだ。
結果はきっとすばらしいものになると確信している。
その後の僕の人生を導くことになるだろう。
そこからの、僕の人生のヴィジョンは美しく煌めいている。
自転車のライトが、何秒後に通過する道の上をキラキラと照らし出す。
上を見上げると、夜の空が広がっていた。
僕はこの時期になると東の丘の上に見える、名前は知らないのだが、僕の分身と決め付けているひとつの星を探す。
それは、青白くチラチラとまたたき、不思議と僕を魅了する。
僕は、いつからか、その星に自分を投影し、物事に思いをはせるクセが付いていた。
僕の運命はまさに、あの星だ。
闇の中で、美しく、凛と輝き続けている。
僕の人生は、あの星のようになってゆくのだ。
家の玄関に着き、自転車を止め、もう一度、あの星に目をやった時、ふと、それが、夜空いっぱいに煌めく、数えられないほどに当たり前な星々の中の、ひとつであるような気がして、ゾッとした。