第3話
「はぁ? コイ?」
翌日、俺は剛にこんな質問を投げた。 アンドロイドは恋をするのか? こいつに聞くのが一番手っ取り早いと思っていた。
「聞いた事ないか?」
「いや、あるっちゃあるけど、よくわかんなくてよ」
「ほら、誰かに好意を抱いたりとか、そういうのってあるのか?」
「例えば、俺はお前の事が好きというのもコイなのか?」
「いや、それは違う……いや、そういうのもあるかもしれないけど俺は認めたくない」
「はぁ、よくわかんねぇなお前」
ほぼ予想通りの反応だった。 やはりアンドロイドの中には知識として存在はしていても、恋愛感情がどういった物なのか理解できていない事の証明だ。 恐らく他のアンドロイドに聞いても同じ結果だろう、聞くのは剛相手だけで十分だ。
「でも、何でいきなりそんな事を聞くんだ?」
「お前達が人間に興味を持つように、俺もアンドロイドを理解したいと思っているだけだ」
「なるほどな。 ま、好き嫌いぐらいはそりゃあるだろ。 人間だって同じだろ?」
「ああ、そうだな」
「つまんねー事で悩んでるんじゃねーぞ。 じゃ、俺はトイレ行ってくるわ」
剛はそのまま教室を出て行った。 アンドロイドがトイレに行くってのも何だかおかしく思えた。 風切の話によれば風呂も入るし水分も補給するから当然らしいが。
剛の話によれば、アンドロイドは他人を好きになる事はあっても、それが恋愛感情に発展する事はない。 やはり、アンドロイドとはそのように制御されている認識は俺の中で正しかった。
なら…風切も同じなのか? 俺が勝手に勘違いをして、意識をしてしまっただけなのか。 恋愛感情を知っているからこそ、こんなアホみたいな思考に行きついてしまったのか?
風切は今日もいつも通りに登校してきている。 流石に懲りたのか冷却装置を切っていないようだ。 アンドロイド同士で楽しそうに話している姿を見ると、何だか俺がくだらない事に悩んでいるのがバカバカしく思えてきた。
「きっと、俺が人間だから…くだらない事で悩むんだろうな」
アンドロイドとは能天気な物だ。 飯の事も考えなくていいし交友関係で悩む事もない。 この街は一見アンドロイドが自由気ままに生きているように見えるが……全てが人間にコントロールされている。 これが本当に親父が求めた街の姿なのだろうか、とふと疑問を抱いてしまった。
「……朝から萎えるような事を考えたくはないな」
俺は深くため息をつくと、授業開始を告げるチャイム音が鳴り響いた。
昼休み。 俺は予め近くのコンビニで買ったパンを取り出した。 少々値が張るが、まさかアンドロイドシティにパンが置いてあるとは知らなかった。 これがあれば当分飯に悩む必要はない。 むしろ食べ物不足に悩んでるじいちゃん達に教えてやりたいぐらいだ。
「隣、いいですか?」
「ん?」
俺がパンを頬張ろうとした直前、風切が俺の顔を覗くように声をかけてきた。 またお前か、と俺はなるべく顔に出さないように、ああと短く返事をする。
「あの、一緒にお昼にしませんか?」
「ん? お昼?」
「ご飯です、実は今日作ってきました」
「作ってきた? は?」
風切が料理? アンドロイドであるはずの風切が? 俺は一瞬耳を疑った。 いや、確かにアンドロイドは料理をしない訳ではないのは確かだ。 しかし、一体どういう風の吹き回しなのか。
「お弁当です、よかったら食べてみませんか?」
「べ、弁当だって?」
「ほら、以前進来さんが持ってきていた事があったじゃないですか。 それで私も作って見たいなと思って、頑張って食材集めてたくさん練習したのですよ?」
これは驚いた。 確かに俺は前、夕飯の余りを弁当にして学校で食っていた時期がある。 以前風切に強請られて一口だけ味見させた事が確かにあった。
だからと言って俺は風切に一切料理を教えていない。 それにアンドロイドシティで食材を手に入れるのは難しいはずだ。 いずれにしても相当苦労しているのは間違いない。
「今日はお弁当ではないのですか?」
「ああ、実家の都合で当分は弁当が食えそうにないんだ」
「どうしてですか?」
「深刻な食糧不足に陥っているらしい、ちょっと前までは食糧を分けて貰ってたんだけどそれができそうになくなってきたらしくてな。 アンドロイドシティでも食べ物は貴重だろ?」
「食糧不足? それは……進来さんにとっては大変な事ではないのですか?」
風切は心配そうな顔でそう言った。 流石にアンドロイドでも人間にとっての食糧の重要性は理解しているらしい。
「……お腹がすいたら、どうなるんですか?」
「力があんま入らないし頭もよく働かない。 それだけならまだいいけど、空腹が続くと事態は深刻だ。 それこそ命に関わってくるけど、幸いアンドロイドシティにはまだまだ食糧があるみたいだし――」
「人間は食べ続けないと生きていけないのですね」
風切は悲しそうにそう言ってくれた。 同情でもしてくれているのだろうか。 アンドロイドであるお前が気にする必要はない、そう言ってやろうとした。 すると、俺の目の前に美味そうな卵焼きが迫ってきた。 いや違う、風切が箸で俺の口まで運ぼうとしていた。
「な、何してるんだ?」
「それだけじゃ、お腹すきますよね? 私のお弁当、よかったら食べてくれませんか?」
「お前の弁当はどうするんだよ? せっかく作ってきたんだろ」
「私は食べる必要はありませんから。 きっとお弁当さんも、必要とする人に食べてもらった方が幸せだと思います」
風切は優しくそう言ってくれた。 俺は思わず戸惑ってしまう。 余計な気を遣わせてしまったのか。 アンドロイドは人間の事なんて気にかけなくていい存在のはずなのに。 どうも風切は人間である俺の事を放っておけないようだ。
「……な、なら、ありがたくいただくよ」
「じゃあ、食べさせてあげますね」
「い、いやいい。 弁当ぐらい自分で食える」
「そうですか? でも、二人で食べた方がきっとおいしいですよ」
「そんな事しなくても味は変わらないだろ」
「気持ちが違ってきますから」
風切は心なしか嬉しそうにしていた。 当然好意のつもりで言っているんだろうが、正直俺からしてみればただ恥ずかしいだけでこれっぽっちも嬉しくは思えなかった。
「こんな恥ずかしい真似できるはずないだろ」
「どうして恥ずかしいのですか?」
「自分で食べれるのにわざわざ食べさせてもらう事が恥ずかしくないのか?」
「そうですか? 私だったら、ちょっと嬉しいかもしれません」
「俺は嬉しくない」
「……そうですか」
しゅんとした風切はそっと卵焼きを弁当箱に戻すと、そのまま弁当箱を俺に差し出した。 悪い事をしているつもりはない、しかし何故か俺の中からは罪悪感が生まれる。 急に風切は元気をなくして口数を減らしてしまった。
「わかったわかった、俺が悪かった。 実は最近ろくに食べてないせいで箸が上手く持てないんだ、ちょっとだけ手伝ってくれないか?」
「ほ、本当ですか? だ、大丈夫ですか……?」
今度は妙に深刻そうな顔で聞いてくる。 きっと俺が言った事を本気で受け止めてしまったんだ。 全く、アンドロイドと接するのは本当に神経を使う。
「早くしてくれ、手遅れになっても知らないぞ」
「え? は、ははははいっ!」
風切は慌てて箸を掴むと、さっき箸で掴んだ卵焼きを俺の口の中にはこ…ぶ、というより、何故か口の中に放り込んだ。
さて、アンドロイドの作った料理の味とはいかに――と、思った矢先。 卵焼きがもう一つ俺の口の中に放り込まれた。
「おふぃ、ひょっろまれ(おい、ちょっと待て)」
風切は必死になって弁当のおかずを俺の口の中に押し込んでいく…これは、いかん。 気がつけば口から溢れんばかりのおかずが詰め込まれていた。 俺は口を押えながら吐き出さないよう必死で噛み続ける。
「は、早く食べないと大変なことになりますっ! いっぱい食べてくださいっ!」
相当焦っているのか風切はまだ食べさせようと思って、弁当を片手に箸でおかずを掴んで待機していた。 次の俺が口を開けた瞬間、すぐにでも放り込めるように。 こうして俺はろくに弁当の味を楽しめる事もなく、罰ゲームのような昼休みを過ごしてしまった。
放課後、今日は珍しく補習がなかった。 というのも、今日は俺が病院で定期検査を受ける日だったからだ。
人間の身体は有毒ガスに蝕まれている影響で、こうして週に一度体に異常がないかどうかの検査を受ける事が義務付けられている。 幸いアンドロイドシティにも人間の診察ができる施設はあるらしく、俺はこの街に来てから同じ場所で何度も検査を受けていた。
「あら、今日の補習はどうしたのですか?」
昇降口で靴を履きかえていると、またしても風切と遭遇してしまった。 いつもは生徒会の作業で残っているはずだが、偶然にも作業が何もない日だったらしい。
「今日はなしだ、定期検査を受ける日だからな」
「定期検査ですか? 人間でもメンテナンスが必要なんですか?」
「ああ、そうだ。 俺達の身体は日々毒されているからな、こうして定期検診を受けたり、薬をもらったりして極力毒の進行を食い止めているんだ」
「毒されている…のですか?」
「ああ、今や地球の大気は汚染されている。俺ぐらいの年齢で死んじまう奴だってよくいる」
「進来さんは大丈夫なのですか?」
「さあな、俺もいつ倒れるかわからない。 俺の親父は元気だったけど、ある日突然死んじまったからな。 知らぬ間に毒が進行している可能性だってあるんだってさ」
「……可哀想です」
風切は本気で悲しそうな眼をして呟いた。 人間の事情をあまり知らなかったのだろうか、ショックを受けてしまったのか妙に口数が減ってしまっている。 こりゃ余計なこと喋りすぎたかもしれないな、と俺は反省した。
「あの、さ。 昼の事なんだけど」
「お昼の事――ハッ!? ご、ごごごめんなさいっ! 私ったらつい、慌ててしまって……」
「いや、別にいいんだ。 それよりも、お前の弁当中々良かったぞ。 まるで人間の手によって作られたみたいだった」
本当は味なんてよくわからなかったけど、風切を元気づける為に言った。 別に俺がここまであいつに気を使う必要なんてないのかもしれない。 どうせアンドロイドだから無視しとけばよかったのかもしれない。 けど、アイツの悲しい顔を見ると、こっちまで悲しくなってきちまう。 だからあんまり、悲しんでる姿は見たくなかった。
「本当ですか? なら、また今度作ってきますね。 中々食材は手に入らないかもしれませんが、何とか頑張ってみますね。 後、今度はゆっくり食べさせてあげますからね!」
風切はケロッと元気になっていつもの笑顔を見せていた。 そう、それでいいさ。 お前にはそうやって微笑んでいてもらわないと俺が困る。
「じゃ、また明日な」
「はい、検診頑張ってくださいねっ!」
検診の何を頑張ればいいんだ? と心の中でツッコミを入れる。 しかし、何だか不思議な気持ちだった。 風切はアンドロイドだと言うのに、とことん人間らしいところを見せる。 あいつだけが特別な存在なんじゃないかとさえ思えてくる程だ。
だが、所詮はアンドロイドだ。 それ以上でもそれ以下でもない、風切はただのアンドロイドに過ぎない。 俺は自分に言い聞かせながら検診所へと向かっていた。 まだ、その先にある絶望を知らずに。