楽園? 生地獄?
入院した日、俺は少し救われた気分になった。何故ならば、四人部屋に一人だったからだ。主治医曰く、「今回の入院は、君が仕事の事などをスッキリ忘れて療養する事に意味があるんだよ」との事だったので、四人部屋に一人というのは、かなりの解放感があり、また、ある程度騒いでも、誰にも迷惑が掛からないという利点があったからだ。
しかし精神科病棟という所は、とんでもない所である。昼間は皆、ある程度健常者にしか見えないか、ある程度『認知症なんだな』としか思えない人達ばかりだが、夜になると豹変する。他人の部屋に堂々と忍び込み、極当たり前かのように他人の私物(主に食べ物)を略奪する。その他、眠れない(俺も含む)患者がナースステーションに殺到し、頓服の睡眠導入剤を要求する。しかもたちが悪いのが、頓服薬を飲んでも眠れず、ナースステーションのドアを叩きまくり、奇声を挙げて叫びまくる連中だ。俺は、その辺については一応元関係者であった為、叫ぶ事も無ければ、騒ぎ立てる事も無かった。それよか、騒ぎ立てる患者に声を掛け、精神状態を鎮静化させて眠るように促す事が度々あった。
それにしても流石は病院と言うべきか、健康促進法だったかな? の為に病院敷地内全面禁煙との事で、俺は週に一回ある診察時に、外出許可と外出時に喫煙をOKして貰うように頼み込んだ。そして入院して二週間目、やっと外出許可が下りた。いつもは壁でしかない鉄の扉、そこにナース付き添いで行き、ナースにタバコを渡してもらうと、表の世界へと出られる。とは言うものの、行き先などない。教えてもらった図書館にも行ったが、活字を読む気にもなれず、マンガを読んでいた。他にする事と言えば、いつもは見慣れない風景を見ながら、手にしたノートに詩を書いたり、タバコを吸ったり、辺りをブラブラ散歩して、インスピレーションから詩を紡いだりしていた。ただ億劫なのは、一応禁煙病棟なので、吸ったタバコの本数を報告しなければならなかった事と、吸殻は勝手に近所のスーパーマーケットの灰皿に捨ててはならず、必ず持ち帰らなければならなかった事だ。
一番気楽にタバコが吸えたのは、家族が面会に来てくれた時くらい。あとは何だか監視されているような気分だった。
当初、入院期間は三ヶ月だったが、母親が俺がバーンアウトする一ヶ月前程に脳内出血で倒れ、その容態がどうも認知症として出現したようで、介護が困難だとして父親から退院して介護をしてもらいたいとの要望が入り、約二ヶ月、予定より一ヶ月早めに退院した。が、退院したにも関わらず、父親は「介護の事は心配するな」と言い、俺は自宅へ戻り、また自宅療養という形で、引きこもりの生活へと逆転した。
仕事はというと、入院期間中に出勤指示が出され、その間に来ないと解雇との事で、強制解雇され家に職場に置いていた私物が郵送されてきた。その中には、入居者の個人情報が含まれている物もあり、『何が個人情報保護法だよ!』って気持ちになったのも確かである。
そうして、傷病手当も貰えない。収入もない状態が続き、俺は一応ダメ元で障害認定を受ける事にした。これにより、少しでも家賃が軽減する事を祈って。
そして俺に下された障害等級は、精神障害二級だったが、収入が無いのは変わらずだったので、主治医との相談の末、就職活動をしても良いとの診断書を受け取った。そして生まれて初めてハローワークに行き、障害者は健常者に比べ、就職難だという事実を突き付けられた。が、その反面、就職した時の就職祝い金が健常者よりも多い事を知った。そして俺はまた、すぐに就職活動を開始する。家族からは「失業手当もあるんだから、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」とは言われたが。