もう一度
別居という状況になった俺は、行き場を失い家族のストーキング行為を始める事となる。毎日、夕食後ウォーキングと称して、府営住宅の周りをウロウロし家族の姿を遠くから眺めて帰る。これが日常となった。周囲の人間から見れば、ただの不審者である。
時を同じくして、病院で俺はカウンセリングを受ける事にした。カウンセリングを受ける事にした一番の理由は、俺は人間観察が好きであったにも関わらず、自分を第三者の視点で見る事ができなかったからである。そんな折りに父親が医師から聞かされた俺の病気の話。医師は「ただ心が弱いだけ」と言ったそうだ。それが俺の主治医で、病院の院長だった。その言葉を期に、俺は主治医を変えた。
ウォーキングと称した家族のストーカー行為が暫く続いた後、俺は家族と会うきっかけを掴んだ。そしてその時話をした結果、【きちんと仕事に就いて、生活の基礎が成り立ったら同居を考えても良い】との話になった。そして俺はまた、時期早々と言われつつも次の職場を探した。その結果就職したのが、障がい者支援施設である。面接時に病気の事は一切触れず、ただ働きたいとだけ伝えると、その場で採用が決定し、十一月から出勤して欲しいと言われた。
病院の方は、主治医を変えた事により、大まかな引き継ぎはされたようだが、治療方針は、ほぼ振り出しに戻った。しかも、カウンセリングを受けるようになった為、病院での滞在時間も長くなっていた。カウンセリング医の話は、全くもって覚えていない。あからさまに本末転倒である。
職場では、試用期間二ヶ月、その後、実力次第で正社員に昇格との事だったので、トライアル期間中は病気が露見しないように努力していたが、結局三月にバレてしまった。何故バレたのかは覚えていない。しかし施設長は、「病気を治しながら一緒に働きましょう」と言ってくれたので、少しは救われた気分になった。でも施設長の本音を聞こうと、「もし面接の時、病気の事を話していたら採用されませんでしたよね?」と聞くと「勿論」と即答された。うつ病の認識などその程度なのである。しかも、障がい者施設ですらだ。しかし病気の事を知りながらも俺は、五月に正社員に昇格する。そして、多くの研修にも行かせてもらい、己のスキルアップにも力を入れるようになっていく。ただ厳しかったのは、入社当初より先輩社員への指導係とされていた為、プレッシャーが高かったのも事実である。
そんな事をカウンセリング時で話をし、プレッシャーを少しでも取り除いてもらおうとしていた。医師の方はと言うと、こちらの症状に合わせて薬をどんどん増加させて行っていた。