七年前
第二話 紅
「おい、女ぁ!」
町へと急ぐ道中、四方を男に絡まれた。しかも、手には刀を持っている。
「その腰に付いてるヤツ、貰ってやるから大人しく、その刀を置いて帰んな」
相手は盗賊か野盗といったところだろう。しかし女は退くどころか、その刀の柄に手を伸ばした。そしてその瞬間、表情が豹変した。
「お前ら、その手に持っているヤツぁなぁ、子供の遊び道具じゃねぇんだぞ。刀、抜いたからにゃあ、生きては帰さんぞ」
言葉が終わった瞬間、四方の人間がまるで骨が無いように切り刻まれていく。そして女の持つ刀の刀身には、薄っすらと紫色の影のようなものが立ち上っていた。
※これは、本編とは全く関係がありません。
七年前、俺はとある特別養護老人ホームの副主任をしていた。と言っても、別段、昇進や昇格した訳でもなく、それから更に六年前の入社時から副主任だったのである。
当時、俺は焦っていた。己の介護理想を実現化する為には、昇進しないといけないと。しかし、現実は残酷なもので、部下達が俺を追い抜き昇進していっていたのである。俺はがむしゃらに頑張った。部下や後輩達から『眠らない人』や『仕事好き』のレッテルを貼られても、朝から晩まで施設で暮らす入所者の為、そこで働く職員の為、そして俺自身の昇進の為に頑張った。
そして頑張りが報われなかった最中、一つの過ちをおかしてしまう。
ある夜勤の日、仕事中に二つ年上の異性の唇に自分の唇を重ねた。容姿は、当時の浜崎あゆみ似といったところか。ともすれば、セクハラで訴えられてもおかしくない筈の行為にも関わらず、返ってきた答えは予想外だった。
「もう一回して……」
「え?」
「だから、もう一回して」
言われるがままに唇を合わせる。そうすると彼女は、俺の首に手を回し、抱き付くような姿勢になっていった。
それから俺達は、世間で言うところの、浮気、不倫の関係に堕ちていった。決め事は二つだけ。
【職場では上下の関係を崩さない事】
【プライベートでは、一切の連絡もしない事】
そうした関係が暫く続いた。と言っても、肉体関係などなく、お互いがお互いの心の穴を埋める形で成り立っていただけの関係。俺は心に開いた【愛】という癒しの穴。彼女は、心に開いた【孤独】という穴を。暫くは、外で話をする位だったが、そうする間に彼女の借りている部屋でくつろぐようになっていった。そんな折りに、「なぁ、俺達だけの時の呼び方考えようよ」そう俺が切り出したのが問題だった。当時、俺は彼女の事を「綾」と呼んでいた。それに対して彼女は、「ねぇ」としか呼んでこないのである。で、あの言葉が出たのだが、綾は「う〜とね。わからないや」と笑っていた。そしてもう一つ決め事を増やした。
【もし妻に浮気がバレた場合、妻とは離婚して綾と住むという事】
プライベートでは一切の連絡もしない。その決め事は守られていなかった。綾は、仕事の要件として電話やメールを度々してきていた。そして事件は起こった。
「ねぇ!! これは、どういう事よ!!」
入浴時、湯船に半分蓋をして、半身浴をしながら読書を満喫していた俺に、妻が血相を変えて携帯電話を投げ付けてきたのである。初めは何の事やらさっぱり解らず、「え?」等と答えていたのだが、携帯のメールを見て、妻の形相の真意がわかった。
>じゃあ、信ちゃんなんてのはどう?<
綾はよりにもよって、俺が入浴中、しかもプライベート時に、あの時の返事をしてきたのである。これには流石に俺も対処のしようがなく、「浮気だよ! そうだよ! 浮気だよ!!」と言って、直ぐに風呂から出ると服を着て、仕事用の鞄と服を何着か持って家を飛び出した。行き先は決まっていた。綾の部屋。しかし、そこで返ってきた言葉は、俺の心を無惨にも粉砕した。
「あんたには、帰るべき場所があるでしょ!!」
あまりにも残酷だった。しかも扉も開けず、扉越しに。
「一緒に住もうって言ってたじゃねぇかよ!!」
「あんたの帰る場所は、ここじゃない!!」
綾は泣いていた。扉越しに聞こえる声には、涙が流れていた。
俺も暫く扉越しに座っていたが、どうする事も出来ずに、実家に助けを求めて行った。




