本編
初投稿ですがよろしくお願いします。
のんびりゆっくりです。
「マティーニを」
カウンターに上半身を乗り出して、人気ナンバーワンのカクテルの名を口にする。シックで落ち着いた雰囲気の店内で最も目立っているのはきっと自分であるという確信がある。自分でも似合っていないと思われるキャバ嬢みたいに真っ赤なミニドレスに、緩く編み上げた真っ黒の髪、履きなれない9cmのハイヒール。挑戦的な視線を送る私を見て、カウンターの主は笑った。
「冗談。あんたにはこっちだ。」
彼が差し出したのは……オレンジジュース。もちろん飲んでみても、アルコールが入っている気配は全くない。
酔わせる気はない、ってわけ。
「当然。未成年には出せない。」
間違ってはいないから何も言い返せない。ただ私が物足りない気分になるだけ。
今まで彼が私の注文にきちんと応えたことがあっただろうか。というか、彼は私の注文の内容すら聞く気がないんだと思う。
夕闇に人影が消え始めるころ、街路でところどころ明かりが灯る。さらに闇が深くなっていくと、その明かりも輝きを一層増し、繁華街は昼間失っていた活気を一瞬にして取り戻す。ネオンに導かれ日常生活に疲れた人々が集うその一角で、逆の意味で異彩を放つバーがある。
木製のドアには何の装飾もなし、ただOPENの札がかかっているだけのシンプルな外観。店名すら見えないなんて、ただの空き家みたいに地味すぎて放火被害にあわないか勝手に心配したこともある。代々のマスターはそういうことをまったく気にしない人間のようだ。
初めて私がこのバーを見つけたのは全くの偶然であったといっていい。そもそもバーだと知らずにドアを開けたのだ。小学生のころの頃、兄の友人がバイトを始めるから茶化しに行ってみようという話が出たらしく、見に行って興味ひかれた当時高校生の兄は自分もバイトがしたいと、友人に店の詳細を聞いていた。その電話を盗み聞きした私が場所を突き止め、幼く恐ろしい好奇心たったひとつで私はバーの戸をたたいた。店内のひどく落ち着いた空気と反対に落ち着かなくなって、なんだか胸がせわしなく動いた。シンプルすぎる外装から喫茶店みたいなものと思っていたのに、夕方の込み合う時間でもほとんど人がいない。どういうことかと思ってうろうろしていると、カウンターの中の人に声を掛けられた。それが彼、兄の友人で現マスターだったのだ。ちなみに素性が知れた途端、速攻兄を迎えに呼ばれ追い返された。
好奇心がこんな出会いを連れてきてくれるなんて当時わかるはずもなかったけれど、今としては小学生の自分、Good jobだ。もちろんその後バーに入り浸る常連(何も頼まないくせに)になったことは言うまでもない。ここの空気はおかしな中毒性があるみたいだ。美しい音楽と優しい雰囲気。これを日常を離れた異空間と言わずになんとする。幼いながらに私は中毒性なるものを発見してしまったのだ。
店に入るたび、彼は私を見て不機嫌になる。涼しげな目元を細め、その奥で生意気なガキをどうやって追い返してやろうかと画策する。私と言えば年齢制限に余裕で引っかかっていながらも店内を我が物顔で見回して、読めない英語のメニューを広げながらふむふむと知った気になる。これ、と指差してみても、お前には早い、とそっけなくあしらわれるだけ。ジャズコンサートが始まる前には兄を呼びつけて帰らされる。まともに客として扱われたためしがない。ちなみに当時のマスターはちゃんといたいけな少女をかわいがってくれた。メニュー外のオレンジジュースをくれるところだけ、彼はそのマスターから受け継いだらしい。愛想はこれっぽっちも受け継いでくれなかった。
通い続けて8年、高校ではバイトが禁止されていたため仕方なく耐えていたが、それも解禁となり私は店で働かせてもらうことになった。これも計画の内、元マスターと仲良くしておいた成果があらわれたのだった。当然彼はいい顔をしなかった。私に対していい顔をしたという記憶がほとんどないので比較できないのだが、とにかくいつも通りの不機嫌さだった。そのころにはマスターはほとんどの業務を彼に任せていたから実質店で顔を合わせるのは彼とこれまた下働きのバイトさんたちだけ。
私は働きを認めてもらえるように頑張った。バンドの仲間たちとうまく連携プレーをしてリクエストサービス(別口料金が発生しないのは承知で)したり、サックスソロだってたくさん入れて自分が目立つように手を回した。すべては計画のうちなのだ。
高校でブラバンに熱中しててファッションなるものをないがしろにしてきたツケが、この時になって効力を発することは計算外だったけれど。おかげで似合っているのかわからない派手なドレスを回している。でも夜のドレスコードはどんなに派手でも露出が高くてもいいそうなので、まあいいかと思っているのだけど、さすがに転びそうなヒールはやりすぎかもしれない。デザインが気に入ったから頑張って履いてるんだけど。
曲に入り込んで足元が危なくなるときは要注意だ。私は簡単に転んでしまう。一度セッション中に舞台から落ちたことがあったけれど、彼にものすごーく怒られた。いつも私にそっけない彼がポーカーフェイスを崩して怒るなんてどんな天変地異かと思ったけれど、納得。お客さんに被害&店の評判にかかわるものね。以後、突っかかりそうなロングスカートと高いヒールの組み合わせは禁止されている。
全くおかしいと思いながらも今日もミニのドレスにてコンサート。
コンサートが終わればそろそろお開きの時間。人気のなくなったカウンターによいしょとのぼって座って一言。
「ジントニック」
「ない。」
いつもの不機嫌顔で即答される。
あら、そう。じゃああなたが拭いているボトルのラベルはそうでなかったらなんて読むのでしょうねえ。
彼は黙ってカクテルグラスにオレンジ色の液体を注ぐ。甘い、すっきりとしたオレンジジュース。ほかのオレンジジュースとは違ったここだけの味がして、言わないけれど気に入っている。
今や、私が酒を注文する=オレンジジュースという図式が成り立っているのではないかと不安である。そして現実を顧みると、否定できないことがどうにも悔しい。いつか彼のつくったカクテルを目の前で一気飲みしてやると、誓う日々。
大学の授業がテストを残して終わるころ、私に待ちに待った日が訪れようとしていた。何って、もちろん長期休暇のことだ。学生の楽しみなんてそれ以外にない。
部活に精を出す輩は今から新勧の準備に追われ、無所属はこぞってディズニーやら海外旅行やらを企画する。私もそのご他聞に漏れず、いつもならば参加しないコンパにまで参加するほどの時間のもてあまし様。バーのコンサートは曜日制だから毎日あるってわけじゃなくて、一週間のうち4~5日はフリータイム。つまり暇人なのだ。
数少ない友人たちに、さすがに一年の締めのコンパくらい行こうぜと誘われて、断る言い訳…理由がなかったために押し切られた結果の参加である。幹事としては人数的な観点から私を指名したのだろうけれど、私は持ち前のはじける好奇心ダダ漏れ状態で会場へ向かった。
店は当たり前だけれどうちのところよりも宣伝要素が盛りだくさんで普通飲み屋って言ったらこうなるよな、というわかりやすい造り。しかしポピュラーこその利用しやすさだ。年上の友人たちが次々にビールやらロックやらを頼む一方で、私はちまちまとノンアルメニューをつぶしていった。
「飲まないの。」
「未成年ですから。」
誕生日が遅いとこういう時にのけ者になる。成人式は終わったっていうのに、私はまだ子ども扱い。世間ってそういうものだ。
「ちょっとくらい平気だよ。せっかく来たのにもったいない。」
気を使ってくれるのはありがたい。だがしかし断る。
「飲酒解禁はここでっていう店、決めちゃってるから。」
「ふーん。酒にも理想があるわけか。似合わずロマンチックなこと言うね。」
ロマンとはちょっと違う。ただ、禁酒を徹底する彼を見返すときは、彼の目の前でと決めたのだから。皮肉にも、未成年にうるさいバーテンダーは、彼が私に敗北する瞬間における第一目撃者となるのだ。
友人は私のつたない説明が理解できなかったのだろうか、
「ロマンだねぇ。」
訂正を認めなかった。
「ノンアルコールカクテル?」
「バーで働いてるくせにそういうことは知らないんだね。君でも飲める、まあ単純に言ってしまえばジュースだよ。」
「いつもオレンジジュースしかくれないから、あんまりほかのメニューのこと考えたことなかった。」
友人はさらに驚いた顔をする。勝手に頼まれたジュースを流し込んで首をかしげる。
「裏方ってもっと待遇いいんだと思ってた。飲み放題、とかさ。」
「未成年に厳しいマスターのせいでね。」
「そのマスターってどんな人なの。」
マスターの話をするのは結構難しい。長年付き合いのある自分が、いかに彼について知らないかがこういう時によくわかる。
まず、年齢は兄と同じくらいで20代半ば、出身高校も兄と同じだからわかる。まじめでポーカーフェイスだけど、グラスに酒を注ぐときの横顔が一枚の絵画みたいに見とれてしまう。手の動線がシンプルできれい。あと、私の扱いが雑。最後が一番重要。
でもそういうことを期待して訊いているわけではないのはわかっている。
「うちの兄の友達だけど、おとなしそうな人。」
「じゃあお兄さんは君と同じく破天荒っていうことかな?まあ、年も離れてるんだし、落ち着いてるのは年の功ってことじゃ」
ちょっと気になるワードがあったような気がするけれど、たぶん空耳だろう。
「あんまりしゃべらないのはもとから。それに口を開いても単純な受け答え位で、世間話とか皆無だし、楽しいことまるでない。」
私の半ばふてくされた様子に吹き出しながらもまともな意見が返される。
「テレビのイメージとかだと、バーテンダーってコミュ力の高い人の職業って感じだよね。その人がイレギュラーなのかな。」
「前のマスターは話し上手だったから、そうなのかもしれない。」
「ってわけで、あなたのコミュ力がいかほどなのか調べたいのです。」
カウンターに乗り出して、頬杖を突く。本日注文したのはダイキリ。返ってきたのはもちろんオレンジ色のノンアルコール。
顔を少し傾けてにんまりと笑うと、胡乱な目をした彼の呆れ顔が降ってくる。
「馬鹿か。」
かぶさってくる彼の大きな影に不正静脈を感じながら、余裕なふりして返答を返す。
「これでも真剣にものを言っているのだから、馬鹿はないでしょう。」
鼻で笑って彼は言う。
「真剣に言っているから馬鹿なんだ。」
「仕事を邪魔するつもりはないんだからいいじゃない。ちょっと観察させてもらうだけ。」
食い下がれば、吐息の音とともに頭にほんのりとした温もり。思いがけない行動に、何も動けなくなって、彼が奥へ引っ込むまで一言も返さず、ただすっと見送っていた。手の触れたところの感触が一向に消えようとしない。
観察してみて分かったことに、私とでなければ彼は世間話もするし、お客に会話も振る。なんだこの態度の違いは。今まで彼をずっと見てきたつもりだったけれど、全然わかってなかったことが分かった。静かな空気を乱さないような最低限の返しと丁寧な相槌。彼らしいコミュニケーションの取り方。
私は居心地悪くて、コンサートの後早々に引き揚げてしまった。
彼らしいと思えたコミュニケーションの相手に私はいなかったからだ。彼は私を会話相手の一人と認識していなかったのだ。
そう思えた途端、私は店でひとりぼっちだった。
次の日は、店に行けなかった。
「思ったよりもネガティブ思考なのかな。そういうのを特別扱い、って考えたことはないの。」
「私の存在自体が彼にとってすでに予想外の想定外。子供だとからかって遊ばれているようにしか考えたことない。」
愚痴は尽きることない。尽きるのはその対象物がなくなったとき。つまり私の愚痴は永遠にあり続けるのだ。
「普通、女の子ってそういうのにときめくんじゃないのかな。」
「私のときめきは別のところにあるらしい。今回は不愉快な気持ちしか収穫できなかった。」
解釈の仕方の違いの問題だ。彼の醸し出す甘さをときめきに取るか、子ども扱いと取るか。
どっちと取っても袋小路だ。彼は私にどう取られても害はない。私が特別な感情を抱いたとしてもそれをきれいにさばく事が出来るからこそ、何をしたって許される。
だから大人は嫌なんだ。ずるい。子供の本気を見下してくれる。
「ひねくれてるね。もっと肩の力を抜いたらどうだい。」
「環境が環境だっただけにそれは難しい注文なんだよ。」
ひねくれた大人を見て育ってきたから、軌道修正が出来ないんだ。
「案外真っ白になった方が答えは簡単に出る気がするけどなあ。」
くすりと笑われて少しイラッとする。
「上から言わないでよ。私が一人で拗ねてるみたいじゃない。」
自分の悲しい実情を相手に説明されるほど悲しいことはない。
「とりあえず真っ白になってみることにした。」
彼はあっけにとられた顔でこちらを凝視している。
まあ、無理もない。今夜の私は言うまでもなく真っ白なのだ。
真っ白なドレスコードと言えばウエディングドレス。
「助言を参考にしてみたらこうなった。」
「お前ちょっとこっちこい。」
登場して早々に強制退場を余儀なくされる。いつも以上にひどい扱いだ。
「何のつもりだ。ふざけてるのか。」
「自分がいかにひねくれているかを体現したらこうなった。」
「お前には白がひねくれている色に見えるのか。全く意味が分からない。」
私の中では全部つながって意味がある事なんだけど、二人以上の人間を介すと確かに意味が分からないだろうなと当たり前のことを確認。このまま私の世界だけで語っては絶対に彼に怒られて追放令を食らうだろうから、歩み寄りを見せる。
「もっと素直に考えてみれば私の悩みが解決するらしいんだ。私は考えすぎて妄想の域に達してしまったらしい。」
彼は目を丸くする。すぐにゆるい笑みを口元に浮かべ、やはり上からの物言いをする。
「久しぶりに意味のある発言だ。」
「あなたがこちら側に降りてきてくれないんだから、私がその分階段を上がるしかない。ドーピングを使ってでも。」
ポーカーフェイスが再び崩れる。しかめられた眉は鋭い印象を与え、私を容赦なく突き刺す。
「そのドーピングは誰からのものだ。」
「クラスメイト。」
「と?」
………。
なんだ、ばれていたのか。
「マスターの良く知ってる人。」
「お前の頭のおかしさを利用されたな。あの人らしい。わかっているか、ドーピングは使うと副作用をもたらす。」
副作用。私の気づいていない第二の効果。
「あの人はたぶんお前の今日の服装まで計算済みで助言したんだ。」
あの人に勝てた覚えがない。そう、彼は自嘲気味につぶやく。
私だけが何もわかっていない。
「どういうこと。」
彼は私の目をじっと見た。
「今日が何の日か覚えているか。」
「ホワイトデー。」
つまり、白は意味のある色。男性が女性にバレンタインデーのお返しをする日だと日本では解釈されている。簡単な洒落。
それだけじゃない。白はこの店において特別な意味をもたらす。
「この店の店名を知らないだろう。」
当たり前だ。書いてないのだから。
「マルガリータ。白いカクテルの名前だ。」
カクテルの意味は無言の愛。声に出さない愛、それが意味するものとは。
自分は何を着てきた?
「……ウエディングドレス」
「無意識のうちに公の場でプロポーズなんてするんじゃない。」
彼は頭を抱える。なんてタイミングの良さだ。すでにそろってしまっている。
「先に種明かしをしておく。これでお前がいつもの調子でマルガリータなんて酒を注文したら大変なことになる。一応忠告はしておく。」
さっさと帰れとばかりの目線をくれる。確かに、ウエディングドレスでほっつき歩いて私にろくなことをされてはたまらないだろう。しかし、私がどのくらいひねくれているか彼は理解できていなかった。
彼がこのタイミングでネタを明かしたこと、その意味を取り損ねてはいけない。
「わかりました。マスター、注文をしましょう。」
万が一、私が副作用にはまらないための手段。マスターが先に特別のカクテルの名を明かすことで、私が罠にはまらないようにすること。もし名を口にしてしまえば後戻りはできない。自覚がなかったとはいえ、白いドレスを着ていることで何らかの叙情だということはすでに公の目にさらされている。
第二の効果が私に影響するものだとしたら、第一の効果はマスターのためにある。その意味は、彼にとっての無意識のプロポーズの機会を与えられたこと。マルガリータの種明かしをするかしないか、どちらを選択してもいい。正しいカクテルの名を教えることで、彼は勝負に出たのだ。私が本当にその名を口にすることにかけて。
「|マルガリータ!《あなたのプロポーズを受けましょう》」
彼はシェイカーを振る。出来上がったのはグラスの表面に塩のついた薄い白のグラス、そしてオレンジ色の鮮やかなグラス。
マルガリータを手に取ろうとすれば、大きな彼の手がさえぎって取られてしまう。仕方なくオレンジジュースに口をつけると、……オレンジジュースなわけがあるか。
「どういうつもり。」
「最後の種明かしと行こうか。」
「シンデレラ。」
オレンジジュースと疑って止まなかったノンアルコールカクテルの名前。
「ミックスジュースですね」
「俺がお前に返していた注文の答えだ。」
12時には帰りなさい。魔法が解けてしまうから。
「これにかけて俺はきっちりお前を追い帰していただろう。」
お姫様の時間。それを過ぎたら、大人たちの時間。
夢は壊れ、現実に戻る。
「じゃあ、今まで私がオレンジジュースと思って飲んでいたのは、」
「シンデレラの出来損ない。気づかれないように分量を調節していたんだ。」
……じゃあ、今日シンデレラを明かしたわけは…
「本当は昨日明かすはずだったんだ。」
「昨日。」
「お前は前マスターに誕生日を祝ってくれとでも言って、会いに行ったんだろう?」
そこで白という色の魔法にかかったんだ。
そしてシンデレラは12時になると魔法がとけて現実に返ってくる。
「なんだかロマンチックだね。」
「世界は存外そんなもんであふれてるんだ。」
「一日遅れたが誕生日おめでとう。祝い酒だ。」
私のためのカクテルを作る後姿なんて、これをときめきと言わずに何を言う。
「あなたがお酒を出してくれるなんて。」
「受け取らなければまだお前はシンデレラでいられる。」
「いいえ。」
目線だけよこす彼に、不敵な笑みを返す。
「どんなに度数が強くても。」
「言ったな?」
彼が出してきたのは…オレンジジュース?
「スクリュードライバー」
―――その意味を。
あなたに心を奪われた。
「お前馬鹿だろ」
カクテルを一気にあおるなんて、何年うちの店に通ってるんだ。
飲み干した瞬間ふらりとゆれてカウンターに突っ伏した。寝息が聞こえる、大丈夫そうだ。肝が冷えた、ファジーネーブルでも出しておけばよかったか、しかし《曖昧》はよくない。
オレンジジュースの割合をかなり高めにしたつもりだったが、次回からオレンジジュースに逆戻りだな。
自分のエプロンを外して彼女の肩にかける。そして携帯で、ある番号にかけた。コールは一度きり、読んでいたかのように素早い対応だった。
「もしもし。」
「あ、先輩?上手くいきましたか?」
「やっぱりお前か、例のクラスメイトとやらは。」
「あの子がクラスに興味なくて良かったですよ。そうじゃなかったら速攻でばれてたはずだもんね。」
彼女の兄の年齢を知らずに年が離れているからなんてコメントができるはずがない。
それに彼女が俺の出すオレンジジュースに疑問を持つようになったのは、実際の味を知らなければわからないはずなのだ。
彼女がオレンジジュース中毒でないならば、店で出しているオレンジジュースで日々飽きているはず、飲み会の席にでもつかなければ積極的に注文しないメニュー。今日いきなりシンデレラに気付いたのはどう考えてもおかしい。比較対象となるものがないと。
「クラコンなんかじゃなくて、ただの合コンだったんだろう。」
「うまくいったんならいいじゃないですか、俺に当たらなくても。いろいろ話は聞きましたよ、思った以上に忍耐強いんすね。すぐ手出しちまうだろうと思ってたのに。」
頭を掻きまわして目を伏せる。相手には見られていないのをいいことに。
「あんたがいないところで相当あの子危ないと思うよ。かわいいこと言っちゃって。知ってます?初めての酒は絶対に先輩の前で飲むんだって、決めてて飲まないんだぜ。」
自分をあれだけひねくれていると評しておきながら、なんて女の子らしい強がり。
自分の顔がどれだけゆるんでいるかがわかる。気づいていない彼女の髪をそっとなでる。絡んでくるような柔らかな髪質に安心感を覚える。一気にあおったのはその強がりからなのだろうか。
「もう少し無駄話でもしてやったらどうですか。不満みたいですよ、子ども扱いだって」
はあ、とわかりやすい溜息をつく。無理な相談だ。子ども扱いをしているつもりはない、勝手に解釈してくれるな。
「当人に言ってやればいいのに。」
口元に微笑を浮かべて答えてやる。
「気づかないならそんだけ子供ってことだろう?」
鈍感もいいところだ。行き過ぎた妄想は現実をどんどん隠してしまう。
からかっているのではなく、本心からの無意識の行動、彼女の前では気張らなくていい分無口になってしまう。
「素直じゃないね。あの子がひねくれるわけだ。」
「慣れてもらわなきゃな。」
俺の隣に立つつもりならば。
会話が途切れることを見越して電話を切った。
シンデレラタイムをすぎているから彼女の兄貴に来てもらうわけにはいかない。ここからの責任は俺にあるということか。
火照った頬を自分の冷えた手でそっとなぞる。
「――ますたー、かんぱりおれんじー。」
寝言だろう。呂律がうまく回ってない。しかし絶妙な注文をくれる。
「そういうかわいらしいもんを先に注文しろってんだよ。」
さっきの奴からの情報で、俺に隠れてカクテルの意味を調べているらしいと聞いた。しかしその注文は…
「光栄なことだ。」
頭をなでてやると、むーと猫みたいにうなって顔をさらにうずめる。
お前、ここに俺と二人っていう状況に気付いてないだろ、無防備になりやがって。腰巻のエプロンをばさっと肩にかけてやる。
こいつが起きたら、なんて言ってやろうか。知った顔して純情なこの強がりには。
気付かないくらいほぼオレンジジュースのうっすいカンパリオレンジで、
「その初恋、絶対に実らせてやるよ。」
昔から彼女から向けられた感情には気づいていた。犯罪になるから手を出さなかったのもあったが、奴の兄貴に毎度のことながら絡まれるのが面倒だったこともある。だがそのおかげもあって彼女の回りが自分の仲間でにぎやかだったものだから、何もしなくても彼女に関する情報は筒抜けだった、特に恋愛関係においては。だから生まれて初めてもった気持ちに名前を当てられるようになって、彼女の自分に対する瞳の熱が変わったのも逐一知っている。
まあ、相手が俺なんだから実らせないはずはないんだ。
やっと機が熟したか。これだけ待ったんだ、自分への褒美だ。
すっかり眠りこけたひねくれ娘とこのカクテルとほんのり温い心臓の心地よさと。
空っぽのグラスにマルガリータをかちりとぶつけてこっそり囁く。
「最初で最後の一生続く恋に、乾杯。」
おしまい
登場人物の名前を一度も出さないで小説を書いてみたかったのです。たぶんこの二人はお互いの名前、お兄ちゃんを介して知ってはいても呼ぶことはほとんどないんでしょう。
しかし、伏線をいろいろ張ってしまったけれど、二人ともどこまで気づいているんだろう。特に彼女の方。
カクテルの情報はここからとりました↓
http://aquavitae.jp/diary/03/cooktail.htm