英雄と、青年の話
青年は旅をしている。
数年前に行方不明となった母と、父かもしれない人物を探すために。
色々な土地に行き、多くの人に出会い、青年は情報を集める。
青年は旅をしていく。
求めるものを手に入れるために。
青年は旅をしていた。
英雄に会うために。
薄暗い洞窟を奥へと進んで行く。
やがてたどり着いた終着点で、青年が目にしたものは、祭壇と、その前に座り何かを抱き抱えている男性。
男性を見て、青年は自分の旅は終わったのだと思った。
青年は男性まで十数歩という距離まで近づく。
緊張のためか、口の中が乾いて動かし辛い。それを無理やり動かして青年は言葉を紡ぐ。
「あんた、英雄か・・・ここで何をしている」
男性はゆっくりと顔を上げて青年の方へ向く。
男性の目に生気は無く、虚ろで、不気味さを醸し出している。
それを見た青年は、眉間に皺を寄せ表情を険しくした。
「あんたなら知っているだろう。母さんはどこにいる」
男性が答えるのを待つ。
男性はゆっくりと自分が抱えているものに視線を向け、話す。
「君の母親なんか知らない。・・・ここにいるのは俺と、この人だけだ」
優しく抱えているものを撫でる。
それまでそれを隠していた布がはだけ、それが何であるのか、青年にはっきりと見えた。
血の気は無いが優しい表情を浮かべて眠っている女性。
青年は一気に男性との距離を縮め、男性が抱えている人の元に行く。
「母さん!!」
その女性は行方不明になっていた青年の母だった。
青年の発した言葉と行動から、男性は昔の記憶を思い出す。
「そうか。君はあの子供か」
青年は膝を折り、母の頬に触れようと手を伸ばした。
男性は女性に触ろうとした青年の手を優しく払いのる。
先程までのぼんやりとした声音ではなく、はっきりと青年に告げる。
「彼女は渡せない」
青年は母に向けていた視線を男性に移す。
男性の虚ろだった目に、小さな光が灯っていた。
「やっと彼女と一緒にいられるんだ。誰にも渡さない」
男性の言葉を聞いて、青年の中で怒りが生まれる。
「母さんをかえせ」
青年は立ち上がり、男性を見下ろす。怒りを抑えようとしているせいか、その声は低く硬い。
男性は何も言わない。
唯、愛する女性を強く抱きしめた。
「あんたは、母さんと一緒にいるだけで良いかもしれない。だけど、母さんの、あんたを愛した人の願いはどうなる」
青年は目が熱くなるのを感じた。
視界が歪んで、男性の顔も母の顔も、はっきりと見る事が出来ない。
青年は、大声で吐き出す。
「母さんはずっと願っていた。あんたが、生きている事を。あんたらしく生きていく事を願っていた。例え一生あんたと会えないとしても、あんたが感情を殺さずに、泣いたり笑ったりして生きてほしいって。母さんは、あんたの笑った顔が好きだって、俺に話してくれたんだ。本当に母さんのことが大事なら、母さんを大切にしてくれ。母さんの思いを受け取ってくれよ!母さんの願いを踏み躙らないでくれ」
青年は一呼吸置き、血を吐く様な思いで告げる。
「母さんを、かえしてくれ」
暫しの間、沈黙が落ちる。
青年の言葉を受け、男性は青年を見る。
その目の光は無くなり、再び虚ろなものになっていた。
「彼女が側にいてくれるだけで、俺は十分なんだ。彼女だって」
この言葉に、青年の中の何かが切れた。
切れたものの中から、込上げていた怒りが一気に流れ出し、青年は男性に掴みかかり大声で言う。
「ふざけるな!!あんたは逃げているだけだ、現実から!母さんが死んだという現実から!!」
大きすぎる声は洞窟内で反響する。
青年の言葉に、男性は目を見開いた。
「いい加減、目を覚ませよ!・・・お願いだ、もう母さんを眠らせてくれ、帰らせてくれ、母さんの故郷へ。・・・大地に還してくれ」
数か月前、青年は英雄と共に旅をしたという女性に出会った。
彼女は最初から最後まで、英雄と共に旅をしたそうだ。英雄が、愛した人の亡骸と共に姿を消す、その時まで。
感情を吐き出し、怒りを吐き出した青年の中に、悲しさと淋しさが残った。噛みつくように見つめていた男性から少し離れ、項垂れる。だが、掴んでいた男性の服は離さない。
青年は悲しかった。
自分は1人になるのかと。
やっと家族を見つけたのに、自分は1人になってしまうのかと。
ずっと願っていた事が叶うと思ったのに、これでは自分が旅をしてきた意味がない。
こうなったら己の感情を全てさらけ出してやる。
青年は諦めなかった。
目の前の、感情のほとんどを殺してしまった男性に向けて、自分の感情をぶちまけてそれを思い出させる様に。
青年は叫ぶ。
生まれたばかりの赤子が、ただ泣き叫ぶ様に。
深く息を吸って、男性を目覚めさせるために大声で言う。
「しっかりしろ!!あんたは1人じゃないんだ!こんな所で、死んでしまった母さんに縋り付いてうだうだと引きこもってないで、きちんと生きろよ!!このままあんたが死んだら、母さんはきっと泣くぞ!それが嫌なら、母さんがあんたに願ったようにあんたらしく生きてみろよ!!」
今までで一番大きい声を出すために、青年は深く深く息を吸い、男性の目を見たまま一気に音として吐き出した。
「父さん!!!」
青年の言葉は洞窟の中を反響し、何度も何度も聞こえ、やがて消えた。
大声を出し続けたせいで息が上がってしまってい、青年は肩で大きく息を吸いながら、男性の様子を見る。
青年が男性を父を呼んだ瞬間から男性は目を大きく見開いたまま動かない。
心配になった青年は、男性の前で手を振って意識があるか確かめる。
「父さん?」
呼びかけると、男性は思い出したように瞬きをする。
その目は虚ろではなくなっていた。
青年は自分の声が男性に届いたのだと分かり、泣きたくなった。
「君の、父親は、俺?」
「らしいな。・・・母さんは結局最後まで父親の名前を教えてくれなかったから確証は無かった。けど、あんたを知っている人たちに会うたびに、あんたに似てるって言われた。実際、何回かあんたに間違われたし。・・・それに、母さんは言ってたんだ。俺の父さんは、世界を救ったって」
青年は男性から手を離して地面に座る。
感情のままに叫んだせいか、非常に疲れた。
深く息を吐いて、青年は自分の願いを口にする。
「3人で帰ろうよ、父さん。俺、もう1人は嫌だ。町の皆や母さんが行方不明になってから世話してくれた人、皆優しかった。俺は幸せなんだって分かってる。でも、やっぱり、叶うなら俺は父さんたちと一緒に生きて行きたい」
青年が笑って男性に願いを乞う。
青年の願いを聞いて、泣きそうになりながらも笑っている青年の顔を見て、男性の中で何かが生まれた。
いや、忘れていたものを思い出したと言うべきか。
男性の目から止めどなく涙が溢れていった。
悲しい感情もあれば、嬉しい感情もある。
何故、嬉しいと思うのだろうか。悲しいのは分かる。彼女が死んでしまった事を再び認識してしまったから。
では、嬉しいのはどうして?
男性は青年を見た。
ああ、自分も青年と同じで、1人になるのが嫌だったのだ。
でも、そうじゃなかった。愛する彼女が、自分に家族を残してくれていたのだと分かって、嬉しいのだ。
腕の中に抱いている女性を見る。
愛している。
世界で誰よりも、愛している。
彼女のおかげで、自分は生きていた。彼女がいない世界で生きていけないと、思っていた。
男性は目を閉じて彼女の生きていた時の笑顔を思い出す。
最後に会った時、言葉を交わした時、彼女は何と言っていたか。
男性は青年に手を伸ばし、青年の頬に当てる。
「知らないうちに、こんなに大きな息子がいたのか」
「そうだよ。あんたは知らないうちに子持ちになってたんだよ」
男性の言葉に、青年は不貞腐れた表情をして言い返す。
「残念だ、お前の成長を近くで見れなくて」
青年は不貞腐れた表情を一気に崩し、男性の様に涙を流した。
「っ。・・・これから、今まで俺が経験した事、話してやるよ。だから・・・あんたも、どんな風に生きていたのか教えてくれよ」
「ああ、そうだな」
男性と青年は2人で泣いた。
泣き止むまで、泣き続けた。
やがて2人は立ち上がり、出口へ向かった。
数年前に行方不明となった母親と、父親かもしれない人物を探すために旅に出た青年は、旅の終着点で感情を忘れた英雄に出会った。優しい表情を浮かべて亡くなっている母親と再会した。
英雄の前で幼子の様に感情を吐きだした青年の叫びで、愛する人と息子の願いで、英雄は感情というものを思い出す。
こうして青年の旅は終わった。
父と母と共に故郷に帰る。
母を父と共に大地に還すために。
青年は旅の最後に、求めていたものを手に入れた。
ずっと会いたかった父親と生きる道を手に入れた。
もう、1人じゃない。
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