第二章 桜と神
「嗚呼・・・いい酒、いい桜・・・とてもいい気持ちだ」
岩肌が切り立った崖にただ一人座り、盃に入った酒をほのかに揺らしている小さな人影は、この切り立った崖に力強く根付いている桜を花見に来ているように思えた。
この崖のふもとにある人里には村というのにふさわしい人数が住んでおり、去年までは村人がこの険しい山に登ってこの夜桜を楽しんでいたのだが、ある噂が流れるようになってから唐突に花見をする村人は消えていった。
私がある日村人がいないことを確認してこの夜桜を楽しんでいた時、村人では無い人間が山の中腹にまで登山してきたことに気がついた。自分が張った結界が大きく反応したのである。
私は炎神と言われているが、実際神などではない。それなりの力を持った悪魔と人間のハーフだ。それによりただの人間よりも魔力の蓄積量が多くなり神と呼ばれるにふさわしい力を持ったのだ。
異変を察知した私は迎撃魔法をすぐに発動したがその人間は迎撃魔法を全てかわし、そして・・・消えた。
私がこの山に結界を張っているのは自分の正体を隠すためだけではなく、ふもとの村を外界から来た平穏を乱すようなものから守るためだ。私はその後特に何もせずに姿を隠していたが、ある異変に気がつく。
その時期は桜の咲き始め。普段なら村人が険しい山を登って花見をしに来るはずだが、その日は誰も来なかった。それどころか一週間経っても村人一人来なかった。
私は心配になって変装して村へ降りていくと、かつて賑わった村には人っ子一人いない。
村に潜んでもらっている葛の葉狐にその時の様子を聞いたところ、こう答えていた。
「自分でも何が起きたか分からない。だが何故か夜桜山に自分達を殺そうとしている神様がいるという噂が広まっている」と。
昔から村人と私は友好的関係を築いていた。祭りの時に大藁に火をつけたり、時には供物として酒の大樽をくれたりした。この村にとって私は村人に変わらない『人間』だった。
それが侵入者によってこの関係が一瞬で崩れるとは考えがたい。必ず何かあるはずだ。そう考えた私はある助っ人を心待ちにしていた。
「独り酒かい?風流だねぇ」
「・・・生憎、盃は一つしかないんだ。独り酒が好きだからな」
崖に咲く桜の枝に止まっているのは、化け烏にしては大きな黒い羽をまとった『人間』だった。