転生令嬢クリップ~How to enjoy~
軽く読んでいただければ。恋愛はうっすいです。
■ scene サーシャ ■
はいー!
お決まりの異世界転生のようですよ。
ほんのちょっとの不自由と不幸を楽しむ世界。それが異世界。
近所の子供たちとかけっこをしていたお転婆令嬢の私、サーシャ(8歳☆)は勢い余って大きな木に思い切り頭をぶつけた拍子に異世界転生というワードが降ってきた。
頭を伝う嫌な感触。
あーこれ切ったわ。出血してるわ。傷残るかな?まあ残っても髪で隠せるからいいか。
日本で得たケガの手当ての知識とこの世界の治療レベルとを照らし合わせて冷静に判断していた。
誰かオトナを呼んできて・・
痛みよりぶつかった衝撃で脳震盪を起こしたのか意識が朦朧としている。
周りで「サーシャが死んだ!」って騒ぐ声が遠ざかっていく。
いや、死ぬほどじゃないと思うよ?
なんて思いながら意識がぷつりと切れた。
目が覚めるといつもの自分の部屋が見える。お気に入りのぬいぐるみと、お気に入りの謎の木片。なんでこんな木片か好きなのかと自分でも不思議に思っていたけど、スマホそっくりの形で笑う。
「サーシャ!」
開いていた扉からお母様が飛び込んできた。
「大丈夫?痛い?」
心配で眉間にシワを寄せつつ私の頬やおでこをそっと触って確かめてくれる。
「頭痛いけど大丈夫」声を出せた。
「良かった。2日も寝てたのよ」
「そっか」
傷から感じる痛みはわずかで、出血の割には大した目ケガではなかったのだろうと想像する。
「もうかけっこは禁止です!」
「はあい」
「え?」
「ん?」
「いつもなら『いやだ!』ってダダをこねるじゃない」
なるほど。確かにそういう性格だ。でも記憶が整理整頓魔改造されたのか、子供らしい感覚はかなり薄れている。
「私もそろそろちゃんとしようと思います」
「!!」
お母様、お口あんぐり開きっぱなしですよ。どんぐり50個ぐらい入りそうですよ。
これも以前なら本当にお口に放り込んで怒られていただろう。
「ほ、本当に?」
お母様がぷるぷると震えている。私は結構ないたずらっ子でしたね・・・
異世界転生を理解したからかもしれないけど、以前は体に熱が有り余っていて、それを発散するためにやんちゃだったのだと今はわかる。
有り余る体力の代わりにもてあますほどの知識欲が溢れているような。
「信じていいのかわからないけどお父様が戻られたら、また話しましょう」
そう言って、私の頭の傷を触らないように髪を撫でてから「食事をもってこさせるわ」と出ていった。
信じていいのかわからないって・・・どれだけ信用をなくしてきたのやら。
束の間の静寂に「まさかヒロインじゃない・・よね?」と独り言が落ちる。
自分の名前だけではなんのゲームなのか小説なのかも心当たりがないし、そもそも誰を中心にして語るかの違いで人類皆ヒロインでヒーローだという考え方がコアにある。それならヒロインだっていいじゃないか。
「税金だSNSがうざいだ文句ばかり言ってたけど、あの時代あの国に生まれるということだけでかなり恵まれていたんだなあ」
なんて、どこか達観したような思いが自然に出てきた。
ヒロインだろうがモブだろうが、他者からの印象にしかすぎないもんね。
■ scene クロエ ■
「転生キタ」
「今なんと?」
「けほっ。・・いえ、特に意味はありません」
あぶなっ。まさか王城で王子様達とのお茶会中に気づくなんて思わないからつい1人ごちた。失態から落ち着きを取り戻すためにいつもより丁寧な受け答え。隣に座る公爵家のカイルが不思議そうな顔をしている。改めて見るとみんな整った顔。周りにいる貴族子女全てがまるでアニメのように整っている。
・・同じ作者だけに皆雰囲気も似てる・・?
アニメは好きで結構見ていた記憶があるけれど、この世界がなんの世界かは分からず混乱してしまったからか、自分の顔とキャラもなんだか行方不明になった。
まずは悪役令嬢ではないかという懸念が浮かぶ。カイルの顔をじっと見つめて、私への嫌悪感がないかを探す。
「本当にどうしたの?クロエ」
どうしたの?と尋ねてくれるあたりに優しさを感じる。カイルにはそこまで嫌われてはいない?
「ううん」
そう曖昧に答えて目の前にあるクッキーを1つ綺麗な所作を心がけて取る。
ゆっくり小さくかじりながら周りを見る。少なくとも私を睨んでいるような子はいない?
サクサクした食感のクッキーがとても美味しくて、思わずカイルに報告した。
「これ、美味しい」と。
そしたらカイルが
「ぼくのもどうぞ」とお皿にのせてくれる。
いい人!!
そうだった。カイルはとても優しいお兄ちゃんみたいな人だ。
「ありがとう!じゃあ代わりに好きなのあげる」とお皿を差し出すと、
「このナッツのがいい」と言われたのであげる。
転生だとわかったけれど、こんなに優しいカイルの側にいられるのだから、同じように優しくいられればきっと大丈夫よね?
頭の隅っこになんとなくヒロインが中心でキラキラしている挿絵のようなものが見えたけれど、どんな話だったのかは思い出せないし、なんでもいいやとあっさり捨てた。
だって、ハーレムルートだのヒロインムーブだの、結局自分勝手かどうかでしょ?
女子の夢を要約すると、周りに羨ましがられるほどかっこいい男子からめちゃくちゃ愛されて、欲しいものはなんでも買ってもらえて、いつまでも仲良く幸せに過ごしました。めでたしめでたし。ってことよね?異世界で生きるのは、そんな欲をすべて叶えるなんて無理なのだと理解している状態がチートってこと。
自分の欲で突っ走らず、誰かの自分勝手に巻き込まれそうになってから考えよう、そうしよう。
カイルと二人でクッキーをかじる幸せ。
なんとなくそれだけでとても幸せなのだと理解した。
■ scene リクリア ■
異世界転生!!
やった!
あのクソみたいな世界からこんなチートで夢のような世界に転生できるなんて!
・・とはいえ、今は全然チートじゃない。
だけどこのビジュアルは聖女ものでしょ?
ピンクの髪に瑞々しい新緑またはエメラルドグリーンの瞳。今はどことなく地味だけど、ちょっとメイクを頑張ればかなり可愛くなるんじゃないだろうか。
親に色々と考え方や進学についてうるさく言われたあの世界より、よほどこっちのほうが良い。そりゃ絶え間なく動いて働いているけど、私にはこっちのほうが楽。
あとは何かチート級の能力が目覚めればいい感じ?
竜族の番とか憧れるんだけど、そういうのあるといいな。執着されて、怖いくらいに溺愛されるのって憧れる。聖女はなんか搾取される側な気がして嫌だけど。溺愛モノはいいよねえ。
「リクリア、水をくんできて」
「はーい」
早く能力開花しないかな。異世界って江戸時代と同じなんだけど。井戸から水を汲んで持ち運ぶなんて。
江戸時代だとおしゃれ感がないから西洋っぽいだけでしょ?
衛生面なら江戸時代だろうと日本のほうがずば抜けているだろうに。
でもこれもチートな能力で変えていけたらいっぱい感謝されちゃう?
うふふ、すっごく楽しみ!
■ scene ライラ ■
「誰かパンを!」
突然手を叩いて指示を出した私に一瞬固まった後、メイドのエマがパンの入った籠を私に持ってきてくれた。
「食パン咥えて駆け出さなきゃ」
「「は?」」
「お兄様、お父様知らないの?ヒロインはパンを咥えて走りながら角を曲がらなきゃいけないのよ」
「物語のヒロインがどうかではなく、貴族の令嬢がそんなことをしたらどんな縁談でも潰れるぐらいの醜聞だろう」
「いえそこはきっと物語の補正とか、ヒロインだからこそ許される何かが働くと思うの」
食パンに近いパンを咥えて立ち上がり
「ひほふひほふ(遅刻遅刻〜)」と声を出したら簡単にパンが口から落ちた。
・・なるほど。パンを咥えてしゃべるというのはなかなかの難易度なのね。
でもほらヒロインは【物を大事にする属性】よね?
拾ってもう一度口にくわえようとした
「セバスチャン!」お兄様が叫ぶ
「はっ」
私の従者のセバスがさっと私のパンを口に入れる寸前で奪いとり、私の腕も拘束した。
「ちょ」
「お嬢様、尊厳を思い出してください」
「そんげん?」
今はそんな豆みたいな言葉に構っていられないの!
無性にパンを咥えて走り出さなきゃならないという焦りに襲われる。
「そんな豆よりパンをよこしなさい」
「前から変わった子だとは思いつつ大事に育ててきたが、これは見逃してやれないな」
「お父様~!」
「一体なんの本を読んだらこうなるんだ」
「本のせいではなく、本人の性格のせいですよ」お兄様は天の声でも聞こえるようです、天井を見上げてますものね。神様でも見えてるのかしら?
「本のせいにしたかった!」お父様も天井を見ていった。
「ライラ、お前は貴族令嬢だ。こんな朝早くにパンを咥えて外に出て誰かにぶつかったとして、それはお前を満足させられるような相手ではないと思うぞ」お兄様が下界に視線を戻してきた。
「あらお兄様、どんな身分なのかどんな方なのか、パンを咥えて門を曲がれば、私にぴったりの方に出会うに決まっているのよ」
「そうなの・・か?」
「父上、そのような引力がパンにあるわけないですよ」
「お兄様ったら、パンに引力があるのではありません。パンを咥えたわたくしだからこその引力です」
「そうなのか」
「父上、納得してはライラの未来は黒で塗りつぶされてしまいます」
「・・危ない」
「まず、ライラにそんな引力があるのなら、まずはパンをやめてみたらどうだ?」
「どうしてですか?」
「パンに引力がないのなら、本を持っていても、リンゴを抱えていたって良いではないか」
「あー・・それならリンゴがいいかもしれません」
「ライラや、ここにアップルパイがあるぞ」
「父上!」
「お父様!♪」
「アップルパイだと咥えて行こうとするのがどうして予測できないのですか」
呆れた顔でお父様に苦言を呈するお兄様。
「あらお兄様、りんごも咥えてみようかと思っていましてよ」
「・・りんごも咥えてみるがいい」
作り物のような笑顔でどこかに指示を出してから、お兄様が私にアップルパイを差し出してきた。
「待つ間にアップルパイを咥えてみてごらん」
「こう?」
なんということでしょう。どう頑張ってもひと口サイズで切れてしまうか、顎が汚れます。
「これだと走れませんわ」
「では生地をかたく焼いてもらおうか」
「アップルパイを改善してどうするのですか父上。何かを咥えて歩くなどとても恥ずかしいことなのだと理解させようとしてください」
「お兄様!恥ずかしいのは理解しております!」
「なんだって!?」
そこは驚くようなところでしたか?
「何かを咥えていることで『おもしれー』属性がつくのです!」
「恥をしれーじゃなくて?」
「わたしも考える!ちょっと待ってくれ」
・・・・5分経過。
りんごが届いた。
「話を進めようじゃないか。りんごを咥えてみなさい」
「はい!」
「あと5分・・」お父様は時間をおかわりした。
私は思い切りりんごをかじってみる。
「ほひぃはま(お兄様)」
「わかったか?」
「りんごを咥えたままというのは豆に関わるのですね」あごに負担がかかるうえにうっかりよだれを垂らしそうになった。
「尊厳な」
「パンもだ」
「パンはいいのです!」
「なんということだ。会話が振り出しに戻ったぞ」
「ではせめて外に行かせてください」
「パンは諦めるのか」
「パンはエアー食パンで行きます!」
「父上」
「あと5分」
「セバス」
「はい」
「理解できたか?」
「・・難しゅうございます」
「とりあえずすぐに連れ戻すことを前提に外に出してやれ」
「はい」
「行きましょう!セバス」
パタパタと令嬢にあるまじき足音を立てて出ていった。
「!!」ビクンと体を揺らす。
「思いつきましたか?」
「外に出してやれー」
「遅い上に状況にヒントをもらいすぎ」
「あれー」
「なんでも伸ばせばいいってわけじゃありませんー」
ライラの性格のルーツは父にある。絶対。
■ scene サーシャ ■
おでこにうっすら傷が残りました。名誉の負傷です。
傷一つない、シミもホクロもない令嬢がもてはやされる異世界界隈、不思議でしょうがなかった。
だって生きていればケガぐらいするでしょう?
跡が残ったらまるで物品が売れないみたいなことを言われるのがとても不思議だったの。
ケガをして痛みを知り、無茶をしなくなったり、同じようなケガをした人の気持ちがわかるようになる財産なのでは?
不格好でも旨味がつよい野菜がある。
ケガやアザを欠陥のように言われるのはとても嫌だわ。
私はあの時ケガをして脳震盪を起こしてこの世界を「異世界」だと認識したけれど、ただそれだけだし。
「ね?」
あげた木の実をせっせとお口にしまいこんでいるリスに話しかける。
あれからは無茶をしなくなった。体は大切に使っていこうと思ったから。
「サーシャ!」
「はーい」
おやつ時間の休憩が終わり、夕食までまた勉強の時間が始まる。
今の柔軟な頭に詰め込めるだけ知識を詰め込む。勉強の大切さなら転生前に経験済みだから。
■ scene クロエ ■
不思議なもので、今の私は身分や容姿で人間の価値が決まるわけじゃないと知っている。大人の記憶がそうさせたのではなく、損得など考えずに人を好きだの嫌だのと判断しているのだと自覚したのだ。
ワガママで思いやりの心が見えない王子様より、少し冴えない雰囲気でキラキラした外見を持たないカイルがどれだけ貴重な人間なのかを知っている。整っているのにそうとはわからず素朴で、そこが良い。カイルなら、顔が整っていなくてもきっと好きになっていただろう。
そんなカイルを王子様が傷つけたの。
「君は随分鈍いのだね」だって。
私は必死に考えた。
カイルを傷つけず、王子様の反感を買わない言葉を。
「私はカイルのゆったりした雰囲気がとても好きです。いつも助けられています」
勇気を出して口に出してみた。言い方に気をつけただけで純粋な本心だ。
「ふうん」
自分以外が褒められるのは気にくわないのだろうか、王子様はほんの少し口をとがらせた。
「クロエはこんな僕に優しくしてくれてありがとう」
何か鬱屈したものを抱えてはいないだろうかとカイルの瞳を覗き込んだ。
あ。
自信がある人の前ではプライドを振り回さない優しさをカイルの瞳に見つける。
「こんな」という言葉は決して自分を卑下するようなものではないのだろう。
自由自在に形を変えられる優しさを持つカイルに、嬉しくなって笑顔で頷いた。きっと私もカイルを「こんな」人だと思っていないことは伝わるはず。
今は王子様の前だから言わないけど、これからはたくさんカイルに言葉で伝えていこう。
カイルと二人でニコニコしていると興が削がれた王子様は私たちから離れていった。
■ scene リクリア ■
「リクリア、買い物に行ってきて」
「はぁい」
いやだいやだ。もっと遊んでいたいのに。日本にいた頃はこんなお使いや手伝いなんてさせられなかった。
だけど・・なんの能力もなかった。
アイドルになれるほどの容姿も熱意もなく、何かになりたいという夢もなく。学校帰りにどこかに寄って誰かの文句を言い合って笑う。そんな毎日。あんな地味な人生もういらないわ。
勉強させられる生活よりはマシだと思っていたけれど、あくせくと働かされる環境のきつさを知り、学校に行かされていたあの世界の凄さを知る。
結局私は・・ないものねだりなんだろうかと、ほんの少しの疑念がわく。
とはいえ、能力さえ発現すればチートだろう。
そうなったら、どんなに優越感を持って生きていけるのか、ワクワクが止まらない。
こんな生活、いつかきっとひっくり返せるんだから。
■ scene ライラ ■
あれから角でいろんな出会いを重ねたわ。つむじ風、ゴミ、猫、見たこともないような虫。
最後に何か甘そうな塊を運ぶ大きなアリたち、服についていたパンのかけらもその場に落として、それを見つけるまでのアリの観察に夢中になってしまい、セバスに「追加のパンをお持ちしましょうか」と問われて我に返った頃には、パンを咥えて角を曲がりたいという欲求は嘘のように消えていた。
しばらく経って、
「記憶喪失にならなければ!」違う欲求が込み上がる。
食べていたパンを放り出して、突起物のある柱に頭をぶつけるのは本能的に躊躇われ、かわりにツルツルとした柱にコツンとおでこをぶつけてみる。
「あー・・ごほん。ライラはなにをしているのかな?」
「お父様、私は記憶喪失にならないといけません!」
「おやおや、今度はどんな本を読んだのかな?」
「父上、どんな本を読んだのか気にする前に、ライラの奇行を止めてください」
「お父様、本のせいではありません!本能です。お兄様、お兄様が止めるという選択はないのですか」
「「!!」」
「なんですかその顔は」どうやったら記憶喪失になるのかしら。首を傾げながら必死に考える。
「ライラが・・冴えている!!」
「ライラがこちらの状況を確認できている!」
「・・なんだか釈然としません」
「記憶がかい?」
「いいえ!私がまるで周りを見ていない暴走娘のようなことを言われての感想です」
一次的に脳の記憶機能に故障が起きればいいということかしら?それを起こすための精神的ショックなり、物理的なショックなり、痛いことや楽しくないことが好きではない私には無理。
「ライラ・・お前・・」
「なんですか」
「私が誰だかわかるかい?」
記憶喪失が無理ならば、記憶喪失のフリならいけるのでは?
「どうしましょう・・誰だかわかりませんわ」
「ライラが記憶喪失にーー!!」
「父上、絶対に違うと思います」
あら。50%の確率で記憶喪失の演技が成功するかもしれない。
「だって!ライラがしっかり受け答えできてるし!そんなこと絶対ありえないし!脳のどこかにエラーが起きているはずだ!」
50%の成功があまり嬉しく感じられなくなってきた。
さっきから・・つまりは残念な子だと言われて・・いる?
「ライラは常にどこかしらエラーが起きているようなものではありませんか」
「この失礼な人は誰でしたっけ?」
「ほうら、さらにエラーが」
「ライラは独特なだけで、エラーが起きているわけじゃない!可愛い娘に向かってエラーなどと、息子でも許しませんよ!」
「・・お父様」ぐすん。
「ライラ!思い出してくれたのかい?」
「はい。お父様を大好きだということを忘れたりしません」
「ライラは本当に良い子だ」
「お父様!」お父様にハグハグしていると
「・・その・・悪かったよ。エラーだなんて言って」
「お兄様」
「なんだ?」
「絶対に許しません!」
「そんな!」
「この怒りを忘れるためにも痛くない記憶喪失のなり方を考えてください」
「すごい他力本願だ」
「記憶喪失になりたいという欲求はあっても、なり方がさっぱりわからないんですもの」
「まあ、物語の中だと事故の衝撃でとか海で溺れて意識を失って、とかだよね」
「私、海は嫌いです」
「ライラや、いつも夏に行っている別荘の海も嫌だったのか・・?」
「いえ!私が嫌いな海はこう、大きなタコが暴れてそうな怖い海であって、夏の陽射しがキラキラと海面に反射して、綺麗な砂浜で貝殻を探したりするのは大好きです」
「えっ、大きなタコなんているのかい?それはどこの海にいるんだい?荒れると出てくる生き物なのか?」
「はあ・・父上・・」
「お兄様!タコより記憶喪失の方法です」
「やはりライラが冴えている!」
「ライラや、ちょっと考えてみたんだが」
「はい」
「口をほんの少し開けて。そうそう。そのまま空を見上げて」
「はい?」
「雲をじいっと見ていればいいんじゃないだろうか」
「口を開けて。空を見る」
「なんだか小さいことはどうでもよくなって、うっかり記憶喪失になれるかもしれないよ?」
「お父様、冴えてますね!」
「いやあ、ライラの冴えが移っちゃったかな」
「なにを喜んでいるんです」
「では今日はずっと窓辺で口を開けてすごそうと思います」
「令嬢として以前に人間の尊厳を損なうって」
「お兄様は豆が好きですのね」
「今晩のメニューは豆にしようか」
「豆はあまり好きではありませんが、お兄様のためですものね」
「尊厳スープ・・」
■ scene サーシャ ■
しまった。
「勉強しすぎて勉強に飽きてしまいました!!」人間だもの。
勉強することの意義を理解してるつもりでいても、ある程度インプットが終われば興味ないことを続ける苦痛がじわりと出てきたんご!
いやあ荒ぶるよね。語尾も乱れるよね。
ここへきてうずうずとお母様のお口にどんぐりを放り込みたくなっている。
「お母様」
「なあに?」
「無性にお母様のお口にどんぐりを詰め込みたいです」
「わたくし、あなたに何か嫌なことをし・・た?」
「いいえ。ですが、こう・・体から頭から溢れるこのいたずら力が抑えきれなくなってきたんです!」
「・・・」
「むずむずします」
「はぁぁ」
「ごめんなさい」
「いいえ。むしろこの7年、よく頑張りました」
「!!」
「しばらく勉強はお休みして好きなだけ木登りやかけっこ、剣術になにか作ることもすべてやりたいようにやってみなさい」
「お母様!ではど」
「どんぐりはダメです」
「ですよねー」
「だけどリスの口に詰めるのならお互いに喜ばしいのでは?」
「それはもう【いたずら】ではないのでは?」
「なるほど。いたずら心を忘れてはならないのですね?」
「相手が喜ぶようないたずらがこの世にあるのでしょうか?」
「・・もしかしたら存在しないのかもしれませんね?」
「お母さま。私は人を不愉快にさせて喜ぶような人間だということでしょうか?」
「ずっ、随分深刻な話になってきましたね?」
「お母さまは笑って許してくださりそうなので、笑い顔が見たいだけだと言い訳するのは無理があるでしょうか?」
「わたくしの笑顔が見たいだけであれば、わたくしが喜ぶようなことをすれば良いだけですものね?」
「やはり私はとんでもない性質の人間だということになりますね・・」
「あら。疑問のやりとりはここでおしまいなの?」
「人を不愉快にさせて喜ぶ人間なのかもしれないという不安が強くなってしまいまし・」
「わたくし、どんぐりを口いっぱい頬張る覚悟ができましてよ?」
「お母様」
「はい」
「大変です。受け入れられると満足感が低いようです」
「なんてこと!?」
「やはり私はどうしようもない性質なのですね」
「そこを突き詰めるのはやめましょう。そうね・・その性質の元はあなたのお父様に、あるということにしましょう」
「お母様」
「異論は受け付けておりません」
「・・」
「ですので、旦那様の口にどんぐりを放り込むことにしましょう」
「ルーツが今はっきりと見えたのですが?」
「気のせいですよ」
「お父様は簡単に受け付けてくれそうです・・」
「ではこうしましょう。寝転んでいる旦那様の口に多く投げ入れたほうが勝ち」
「お母様」
「競争ね!」
我先にと淑女にあるまじき競歩で進みだしたお母様の背中に向かって
「性質との付き合い方をお母様から学んでいきますね」
そう声をかけた。
「・・よろしくてよ!」
ちょ、はやい!
□ □ □
自由、不自由の中で愛を見つけ、自分らしさも忘れずに。
自由なのに自由でいようとしない、ありもしないものばかりを求め続け。
それぞれの選択で歳を重ねた令嬢達がある日ここに集った。
□ □ □
「結局私のチートはなんだったのよう!?」
「チートなんてないわよ」
「生まれた家が平民だったせい?!」
「生まれた家で何か得をしていても、生き方や考え方で損にもなるんじゃない?」
「私の考え方が悪かったっていうの?」
「じゃあ訊くけど、あなた自分のためや周りのために何か努力した?」
「・・なによ・・あなたたちは努力したっていうの?」
「私は勉強を頑張ったわ!」サーシャが言った。
「私は人の素敵なところを見るように気をつけたわ」クロエが言う。
「私は色んなことを試したわ!」ライラが胸を張った。
「そんなの努力って言えるほどのこと?」
「じゃああなたはどんな努力をしたの?」
「・・・」
「していないのね」
「魔法が出現しないか試したし、聖女になれるかもってあちこち神聖な場所に行ってみたわよ」
「それって努力?」
「あなたたちと同じようなものでしょ」
「違うわ」
「どう違うの!」
「誰かになんとかしてもらおうなんて思っていないもの」
「っ」
「人にはない能力で上に立ちたいなんて思っていないわ」
「・・」
「自分の性質で人に迷惑をかけそうなものは改善できるように気をつけて、逆に活かせることはないかと探しながら、ひたすら勉強したの」
「令嬢としてできる嗜みはすべて努力したわ。その上で誰かの粗を探すのではなく、批判するのでもなく、ただ今あるものを大事にしてきたつもりよ」
「アゴを鍛えるのを諦めて、ヒロインのような出来事を期待するのもやめて、頭の中の素敵な出来事をすべて形に変えようと文章をひたすら書いてきたわ」
「なによ、私だって・・私だって」
「聖女のような能力がある日開花して、みんなに尊敬されて、皆から羨ましがられるような王子様と結婚できると思っていた?」
「そうよ!そうなると思っていたの」
「あるかどうかもわからない能力を何もしないで待っていた・・と」
「そんなに王子様っていいかしら?」
「自分のことを大事にしてくれる人なら、どんな人も王子様じゃないの?」
「聖女も心がけ次第よね?人を治してあげていると思い始めたら傲慢へと傾くし、身を粉にして他人に尽くしていたら擦り切れてしまうだろうし、人の感謝なんてせいぜい数年しか持たないし、増長していく自分に気が付かないと傲慢な聖女いえ【傲女】になるだろうし」
「要するに、常に自分を省みることが必要ってことね」
「聖女の能力を期待して、何もかもが人より上だと地位を望むような人間が【聖女】になり得るわけがないのよ」
「つまり、私がそれだけダメな人間だと言いたいの?!」
「ダメなわけじゃないわ。人にはそれぞれ役割があるのよ」
「そうよ、自分の役割以上を求めなければいいの」
「聖女になった先で人を見おろして満足したいと思っているようじゃ聖女になんてなれないのよ」
「・・・っ」
「人は楽をしたいのに、なぜかいつの間にか自分を殺して耐えるようにもなるし、常に【在り方】を意識していないと、どんなふうにだって崩れていくんじゃないかしら」
「すぐに欲へと傾いていってしまうわ。それに気づける自分でいたい。どんなに気をつけていてもふとしたことであっと言う間にどんどん欲に突き動かされてしまう生き物だと思うの、人は」
「簡単なのよ、欲の先へと行くのは。お金持ちになりたい、すこしでも利益を出したい、今より有名になりたい、みんなより幸せだと思われたい、誰よりも美しくいたい。数え上げればキリがないのよ」
「じゃあ!あなたたちはそんなに清貧で素晴らしいっていうの?!」
「いいえ。そうありたいと思っているだけで、できているかどうかの自信なんてずっとないわ」
「ふとした拍子に、【あっ・・そうじゃなかった】って慌てて戻ることもある」
「謎のヒロイン力なんていう過信は捨てた。その代わり、私が描く物語で誰かが笑ったり泣いたりしてくれたらとても嬉しい。だけどそうである自信なんてないわ」
「なんでそんなにできてるかどうかわからないのに偉そうなのよ!」
「・・偉そうに感じるのはあなたの感性であって、私は偉そうに言ってるつもりなんてないわ。ただ、聖女であるというのは、欲からはかけ離れた状態じゃないと厳しいと想像しているだけ。あなたがなんの努力もせずに聖女でいられると豪語して突き進むのを止めたりしてない」
「今現在、聖女としての能力もなく、王子様と結婚もしていないならそれが答えなのでは?って思うだけ」
「っ!それが偉そうなのよ!」
「どうして?」
「みんな同じでしょう?転生してこの世界に生まれてきて、慣れない習慣や暮らしで精一杯生きてきて、それぞれの先をみているだけだわ」
「身分がちがうじゃない!圧倒的に不利なのよ、私は」
「?」
「おかしなことを言うのね。あなたは身分が低くても、能力に優れていて妃の座にまでたどり着くのでしょう?」
「そこには身分が低いけれど誰よりも高く飛べたというエッセンスがあるじゃない」
「私たちが聖女としての力を手に入れても、あなたほどのシンデレラストーリーにはならないわ」
「身分なんて、不利になることもある。転生前の世界を思い起こせばそんなこと誰でも知ってるでしょう?」
「・・っ・・それでも、私はもっとすごいはずなの!みんなに尊敬されて、綺麗な服を着て、誰よりも大切にされて、幸せでいたいの!」
「そう、だったらそうすればいいじゃない」
「そうなりたいのに方法がわからないの!助けてよ!」
「・・ふう」
「なによ、人の顔見てため息つかないで!」
「あなたならなれるわ、傲女に」
「ごっ」
「そうしたいならその道を突き進めばいいと思うわよ」
「そうね」
「・・・」
□ □
10年経った。
「久しぶりね」
「ええ」
「元気にしてる?」
「ええ。あなたたちも元気そうね」
「そうね、歳は重ねたけれど」
「彼女はどうなったのかしら?」
「聖女の噂は聞かないわね」
「普通を掴んだのか、普通を拒んだのか、そのどちらでもないのか、どうなんでしょうね」
「あなたはカイル様とは結婚しなかったのね」
「ええ。私としては彼の側で歳を重ねることが理想だったけれど、彼にとっては私といることが幸せではないのであれば、身を引くことが1番だもの」
「今は?」
「私のことを必要だと2年もかけて口説いてくださった方に嫁ぎ、毎日を過ごしているわ」
「幸せ?」
「もちろん。身分は無くなったし、華やかな生活には見えないだろうけれど。旦那様とね、犬と息子がおもちゃを取り合いしているのを見て、一緒に笑うことがとても幸せだわ」
「そう。素敵ね」
「あなたは?」
「私は得た知識をこの世界で活かすことを続けているわ。結婚はしていないけれど、1人で生活して、たまに遠くへ旅行したりして、その自由をとてもありがたいと思う」
「その人生も素敵」
「あなたは?」
「私は書いた本で生活ができるようになった。私の本の編集をしてくれていた担当と結婚したわ」
「幸せ?」
「ええ。彼とは今のところ上手くいってるし、何より私の作品で楽しんでくれる人がいるという幸せがあるもの」
「素敵ね」
「みんなそれぞれの生き方ね」
「彼女は、彼女らしく生きているかしら」
「今日、ここに来ないなら知りようがないけれど」
「本当に聖女になるかもしれないものね」
「ええ、そうね」
「どこを目指そうと、どこにいるのも自由」
「ええ、そうね」
~Fin~
読んでいただきありがとうございます。




