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龍脈の子  作者: キタノユ


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第三話 負け犬皇子

 谷の向こうから、一人の男が滑るように飛来する。

 藍色の狩衣かりぎぬまとい、長い錫杖しゃくじょうを背負った、祭祀さいしを司る神官を思わせる出で立ちの男だ。

 男は、朗月のそばに立つ千里を見るなり、血相を変えた。


「貴様! 殿下から離れろ!」

 男が印を結ぶ。


 瞬間、千里の「視」界が歪んだ。

 周囲の雪原の下、地中を流れる青白い脈から、男の身体へと光が急速に吸い上げられていくのが見えた。


「なんだあれ!」

 男の手のひらから、圧縮された空気の塊が放たれた。

 千里はとっさに身を屈め、猿のような敏捷しゅんびんさで横へと跳んだ。


 轟音――岩が砕け、石礫いしつぶてが弾け、雪煙が舞う。


「賊め、殿下に何をした!」

 男は着地するや否や、次なる印を結ぼうと構える。

 吸い上げられた青い光が、男の指先で無数の火花を散らして収束していく。

 まるで雷だ。


「やめよ、白葉はくよう!」

 裂帛れっぱくの声と同時に、朗月が千里を庇うように抱き込んだ。


「殿下?!」

 白葉と呼ばれた男の焦りが練り上げた気を暴発させ、朗月の背へと襲いかかった。


「っ!」

 刹那――朗月の身体を取り巻く青白い光が、輝きを増した。

 見えない膜に弾かれ、術の余波は朗月の肌に触れることなく、空中で霧散する。


「も、申し訳ございません!」

 術者、白葉はその場に崩れ落ちるように膝をつき、額を雪に擦り付けた。


「殿下を危険に晒すなど……!」

 遅れて、数人の武官や、案内役の村人たちが息を切らして駆けつけてくる。


「殿下!」

「よくぞご無事で!」

 追いつくなり、次々とその場に膝をついて叩頭こうとうした。


 朗月は白葉を見下ろし、千里を腕に抱いたまま鋭い声音で言い放った。

「この少年は私の恩人なるぞ!」

「はっ、とんだご無礼を……」

 白葉は蒼白な顔を上げ、恐る恐る朗月と、その腕の中でぽかんとしている千里の間で、視線を彷徨さまよわせる。


「千里、大事ないか」

 朗月の腕の力が緩み、白い面が覗き込んで近づく。


「……あ、あぁ」

 千里は間の抜けた声を漏らし、こくりと頷くことしかできなかった。

 朗月はゆっくりと千里の体を解放すると、地面に伏す従者へと向き直る。


「――白葉、すまなかった」

 臣下をいましめる峻烈しゅんれつな仮面は、すでに剥がれ落ちていた。


 今にも舌を噛み切りかねない、悲壮感を漂わせる臣下の前、朗月は躊躇ためらいなく雪上に膝をついた。白葉の肩に、優しく手を添える。


「私が軽率な行動をしたばかりに、心配をかけた。よくぞ、探しに来てくれた」

「殿下……」

 主君の温情に、白葉の語尾が震えていた。


「なんだあれ」

 そんな主従のやり取りを、千里は焚き火のそばで、口を半開きにしたまま眺めていた。きらびやかな衣装の大人たちが、こぞって泥だらけの朗月に頭を垂れている。


「デンカ……?」

 聞き慣れない言葉を、千里は咀嚼そしゃくするように呟いた。



 雪山のふもとにある寒村、村長の屋敷の庭では、大きな焚き火が爆ぜていた。

 赤々と燃える炎の前で、村長をはじめとする大人たちは、泥だらけの青年――朗月と、その従者たちに向かって平伏している。


 一方、庭の隅にある薪小屋の陰には、村の子どもたちが集まっていた。


「うめえ……なんだこれ、口に入れたら溶けてなくなったぞ」

「こっちの菓子は、花の匂いがする!」


 子どもたちは、朗月の従者が「殿下からの振る舞いだ」と配ってくれた美しい干菓子や、砂糖漬けの果実に夢中だ。千里もその輪に混じり、氷砂糖を口の中で転がしていた。


 甘い。

 熟し柿や、蜂蜜ともまったく違う、脳髄のうずいが痺れるほどの甘味が、こめかみにうずきをもたらす。


「あんた、知らないの? あのお方のこと」

 千里の隣で菓子をかじっていた少女が、得意げに話しかけてきた。


 村長の孫娘で、すずという。

 村やその周辺の子どもたちの中で一番の物知りで、おしゃまな娘だ。


瑞華国ずいかこくはね、もともと大陸の真ん中にある、ちーさな湖の国だったの」

 鈴は、集まった子どもたちを見回し、語り部のように話し始めた。


「今の皇帝さまと、その前と、もう一つ前の皇帝さまがすっごく強くて怖くて、どんどん国を大きくしていったんだって」

「へえ」


 千里は興味なさげに相槌を打った。

 山で生きる自分には、関係のない話だ、と。


「でね、今の皇帝さまには、七人の子どもがいるの。都では、次の皇帝になるのが誰か、賭け事になってるくらいなんだから」

「コウテイに?」


 そこへ、別の子供が割り込んでくる。

「そういうのって、一番上の皇子さまがなるんじゃないの?」

「違うわよ」


 鈴は、「都の事情通」ぶりを誇らしげに、胸を反らした。


「瑞華では昔から、皇帝さまが子どもの中からじっくり選ぶのが決まりなの。一番強い子かもしれないし、一番賢い子かもしれない。だから賭け事になるのよ。あの方も、候補のお一人なの。でも……」


 鈴は声を潜め、縁側に座る朗月をチラリと見た。


「七人の中で、『いちばん弱い』んだって言われてるわ」

「なんでだよ」

 千里は口の中で氷砂糖を転がしながら、首を傾げた。

「だってあいつ、崖から落ちて遭難しても死なないんだ。頑丈で強いぞ?」


 千里の冗談のような生真面目な問いかけに、周りの子どもたちがどっと笑う。


「頑丈かもしれないけど……『龍の印』を持ってないって話よ」

「龍の……?」

「大陸を作った龍神様の伝説、知ってるでしょ?」

 鈴は大人の真似をして肩をすくめ、空を仰いだ。


 太古の時代。

 混沌をしずよろずの命を救うため、七柱の龍がその身を横たえ大陸となった、という大陸創世の神話だ。


「大陸の偉い人には、龍に認められた証として、体に龍がつけた印がつくんですって。六人の候補者には、みんな印があるのに……」

 鈴は、ひときわ声を低くした。

「商人が持ってきた瓦版によるとね、朗月様にだけは、何も出なかったみたいなの。『無印』の皇子おうじ様なのよ」


 子どもたちが、しんと静まり返る。


 故に朗月は、誰も行きたがらない北の果て――北玄道ほくげんどうの中でも最も貧しい幽谷州ゆうこくしゅう州侯しゅうこうを引き受けると名乗り出て、早々に後継者争いから逃げ出した、とある。


「今回の旅は、その下見なんだって」

 鈴は、大人びた冷笑を浮かべて言い放った。


「都じゃ、こう呼ばれてるそうよ。『負け犬皇子』って――」


 砂利を踏む音がして、千里は顔を上げた。

 朗月の側に控えていた従者たちが一様に表情を曇らせ、バツが悪そうに苦笑いをしている。


「……鈴!!」

 その中で、青褪めた村長が転がるように駆け寄ってきた。


「な、何を言うておるかこの馬鹿者がッ!」

 村長は孫娘の首根っこを掴むと、力任せに雪の地面へと引き倒した。


「痛っ!」

「頭を下げろ! 地面に擦り付けんか! なんたる不敬を……!」

 村長の声は恐怖で裏返っていた。


「どうか、どうかお赦しを……! 孫はまだ分別がなく……!」

 村長は鈴の頭を強引に地面へ押し付けながら、自らも額を擦り付けて震えていた。


「何してんだ、やめろよ!」

 見かねた千里が割って入り、村長の肩を掴んだ。


 だが、

「どいておれ!」

 恐怖で半狂乱になった老人の力は凄まじく、千里は無造作に振り払われ、地べたに尻餅をついた。


 その時だった。


「やめないか」

 清廉せいれんな声が、いきり立った空気を一瞬で鎮めた。

 朗月だった。

 従者が止めるのも聞かず庭に降りると、村長の手を優しく、鈴の頭から離させた。


「で、殿下……し、しかし……」

「子どもに乱暴をしてはいけない」


 朗月は村長を諭すと、雪に顔を埋めていた鈴の前にしゃがみ込み、頬に手を添えて顔を上げさせる。


「大丈夫かい?」

「う……あ……」

 涙と鼻水まみれの鈴の顔を、朗月のそでぬぐった。


「君は、よく勉強をしているね。我が国の成り立ちも、神話のことも、ちゃんと理解している」

「え……?」

「その聡明さはきっと、この村を助ける力になる。これからも学び続けなさい。でもおしゃべりが過ぎないように、気をつけるんだよ」

「は……はい……!」

 鈴はポカンと口を開け、やがて瞳を輝かせて、こくこくと何度も頷いた。


 頬を赤らめ乙女の貌をする鈴を奇異な目で眺めながら、千里は、奥歯で飴の欠片を砕いた。

(……変な奴)

 負け犬、と呼ばれたことは聞こえていたはずなのに。

 朗月は怒るどころか、鈴の知りたがりな一面を褒めた。


「なあ。おまえ、ここの州長さまになんの?」

 千里の唐突な問いに、朗月は少し驚いたように瞬きをした。


「――んだ、あのガキ……」

 控えていた従者の一人が、口端を引きつらせて鋭い視線を送ってくるが、千里は気づかないフリをした。


「まだ正式に決まったわけではないけれど……そうしたいと願っているよ。どうだろう、私では頼りないかな」

 朗月が困ったように首を傾げる。


 周囲で聞き耳を立てていた村人たちは、ほうっと安堵の吐息を漏らした。


 隣の州では、冬の食糧難を訴えた村の代表が、州侯の機嫌を損ねてその場で首をねられたという噂が流れてきたばかりだ。

 朗月様が長になってくれれば、理不尽に首を刎ねられることはなかろう。

 誰もがそう確信したところだ。


「わかんないなぁ」

 千里だけは、納得がいかない。


「何が、分からないんだ?」

「さっき言ってたことと、違う」


 千里は、まっすぐに朗月を見上げた。


「おれの知恵や力が、民たちを助けられるって。民を助けたいなら、どうしておまえはそうしないんだ?」

「え……」


 朗月の動きが止まる。

 その瞬間だけ、穏やかな春風の仮面が剥がれ落ち、薄氷のように脆く儚げな素顔が覗いた気がした。


 千里は続けた。

「おれは、おまえが皇帝になれば、民たちみんなが助かるって、思うけどな」

「千里……」


 千里の「視」界の中で朗月は、地中から湧き上がる青い光に護られ、あるいはとらわれたまま、立ち尽くしていた。

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