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龍脈の子  作者: キタノユ


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最終話 龍脈の子(後)

 翌日。千里は早朝から、丘の頂上にいた。

 冊立の日にも来た、都の全景が見渡せる名もない場所だ。


 大路の沿道に、蟻のように民衆が詰めかけていくのが見える。

 皇太子の鹵簿――東宮入りの行列が、民の前を通る日なのだ。


 風に乗って鼓と笛の音が届いた。

 大路の北の端から、色彩の帯が現れた。


 赤と金の大旗が何十本も翻り、楽隊が連なり、儀仗兵ぎじょうへいの槍の穂先が銀の粒のように光る。


 翔鸞衛しょうらんえいの騎馬が続き、文官、武官、宦官、侍女たちが、果てしなく長い列を成していた。


 大路を占拠する文武百官ぶんぶひゃっかんの大行列は、一匹の巨大な龍のようだった。

 色鮮やかな鱗を光らせながら、大路をゆっくりと這い進んでいく。


 龍の腹の中心を、豪奢な金輅きんろが進んでいた。

 四方に垂らされた細かな編み目の御簾みすと、春霞のような薄絹のとばりが風に揺れている。


 丘の上から見下ろす千里の双眸には、幾重にも重なる布の奥に沈む、影の輪郭しか映らない。


「朗月か……?」

 あの中に朗月がいる。

 どれほど目を凝らしても、織糸も重厚な絹が冷酷な壁となって、朗月の姿を遮断していた。


「朗月!」

 千里は斜面の草を踏みしめ、ぐっと前のめりに身を乗り出した。

 僅かな隙間からでも、その姿を捉えようと息を詰める。


 その刹那だった。

 大路に、青い龍気が大きな渦を巻き始めた。

 瑞龍湖ずいりゅうこで見た時と同じ、いや、それ以上の凄まじい光だ。


 蒼煌そうこう光帯こうたいが金輅を中心に螺旋らせんを描き、大地の底を走る龍脈と共鳴する。

 地下が巨大な鼓動を打ち光の奔流となって、主の通る新たな道を導き始めた。


 圧倒的な光の波が龍脈を伝い、丘上に立つ千里の足元から一気に駆け上る。

 肉眼では見えないはずの光景が、色彩と音を伴って千里の脳裏へ流れ込んできた。


「!?」


 薄絹の向こう側に座す、金糸で四爪のもう紋を織り込んだ深紅の礼服。

 頭上の冕冠べんかんから垂れ、微かな音を立てて揺れる九筋ここのすじりゅう(玉簾)。


 膝の上で印を結ぶように重ねられている手は、かつて、千里の泥だらけの手を握ってくれたものだ。人夫たちと一緒に汗をかいて石を運んだ腕は、今は幾重もの重厚な絹の袖に覆われている。


 一筋の乱れもなく結い上げられ、冠の下に収められている髪。村では無造作に結ばれて、馬の尾のように揺れていた。千里が悪戯をして引っ張ると、朗月は笑って怒ったものだ。今はあの髪の一本にすら、触れることが叶わない。


 真っ直ぐ前だけを見据えた横顔は、白い玉を彫り上げたように整い、そしてひどく精悍だった。飯場で千里の頭を撫でながら笑ったやわい目元の皺も、軽口に吹き出して崩れた口元も、今は重々しい覚悟に塗り固められている。


 金輅の中に、千里の知る土と汗の匂いは欠片もなかった。


 沿道では民衆がぬかずいている。

 誰も、目の前の圧倒的な龍の祝福を見ていない。見えない。

 千里にだけ見える、特別なもの。


 行列は大路を南へ進み、やがて宮城の壁に沿って東宮の門へ向かった。

 翔鸞衛の騎馬が門の左右に展開し、儀仗兵が道を開く。


 金輅が、ゆっくりと門に近づいていく。

 一歩、また一歩。

 重厚な車輪が軋むたび、灰白色の門壁が巨大な口を開けて待ち構える。


 千里は瞬きすら惜しんだ。

 朗月の横顔を、光の帯に包まれた輪郭を、一つ残らず頭へ具に焼き付ける。

 

 金輅が、門の敷居を越えた瞬間――朗月の顔が、動いた。

 ほんの僅か。玉簾の向こうで、横顔がこちらへ傾いだ。


 揺れる薄絹の帳が、門の深い暗がりに呑まれていく。

 視界から金輅の影が消え、同時に、龍脈を伝っていた光の像がふっと途切れた。


「朗月……!」

 気づけば千里は駆け出していた。

 丘の斜面を二歩、三歩、宮城に向かって。


 体が前のめりに傾き、転げ落ちかけて、足を踏ん張って思いとどまる。

 それでも身を乗り出して、千里は食い入るように門の方角を見つめ続けた。


 東宮の門が、ゆっくりと閉じていく。

 鉄と石の分厚い二枚の巨大な扉が、左右から押し寄せるように近づき、壁となる。


 行列の色彩が宮城の壁の内側に飲み込まれ、楽の音が途絶え、旗が消える。

 やがて解蹕かいひつの命が下り、大路には叩頭を解いた民衆のさざめきだけが残った。


 きっと誰もが、新たな皇太子の噂をしているだろう。


「ご立派ではないか」

 とたたえる声もあれば、

「負け犬皇子であろう」

 と裏でひそめた声もあるだろう。


「……ふぅ……」

 千里は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


 眼下に伸びる灰白色の城壁が、どこまでも高く、どこまでも厚く、都の中心を囲んでいる。


 あの壁の向こうに、朗月は確かにいる。

 膨大な儀礼と規律で作られた、厚く高い囲いの向こうに。


「起居の全てに宮中の規範が適用される」とは懐安の説明によれば――朝は何刻に起き、何を着て、何を食べ、何を学び、誰に会うのか、いつ就寝するのか。

 一挙手一投足の全てが決められ、全てが監視される世界だという。


 面会には明確な理由と、複雑な手続きと、許可が要る。

 それでも会える者は一握り。


 千里が朗月に会いに行くには、どれだけの距離を越えなければならないのか。


 学がなければ話を聞いてももらえない。

 官位がなければ、宮中に足を踏み入れることが叶わない。

 それどころか礼儀がなっていなければ、首が飛ぶかもしれない。


 千里は懐からそっと、羊脂玉ようしぎょく玉佩ぎょくはいを取り出した。

 白い石に、行列で見た朗月の白い頬が重なった。


 掌の上の玉佩を見つめたまま、しばし千里は不動だった。

 不意に、背中を突き飛ばされた。


「うわっ――!」

 丘の背後から吹きつけた烈風が、千里の体を宮城の方角へ押し出す。

 たたらを踏み、咄嗟に傍らの枝に掴まって体を支えた。


 髪と衣の裾が旗のように激しくはためく。

 青白い光の粒が風に乗って千里の横を駆け抜け、丘を越え、都の屋根を飛び越えて、宮城の方角へ真っ直ぐに翔んでいった。


「龍気が……」

 まるで千里の背中を押して、「行け」と言わんばかりに。


 風が止んだ。

 青い光の尾が、宮城の上空で溶けるように消える。


 千里は枝を掴んだまま、呆然とその軌跡を目で追っていた。


「――やってやる」

 千里は目の縁に残っていた湿り気を袖の裏で一度だけ乱暴に拭い、白い玉を握りしめた。


 最後に見た村の景色が、頭に流れ込む。

 出口に立つ渓舟に向けられた言葉が、蘇った。


 都には、底知れない化け物たちが集まってくる。

 瑞華全土から選び抜かれた「一番」だけが、朗月の側へ近づけるのだ。


 渓舟はこうも言った。

 重ねた努力の量が、己と、守りたい誰かを救う盾とほこの強さになる。


 拳に、力がこもった。


 勉強する。

 聚星坊の皆みたいに、世の中のいろんなことを知りたい。

 四方学林しほうがくりんに入ったら、絶対に一番になる。

 どんな神童にも、どんな貴族の子女にも、負けない。

 太学にも行く。太学でだって、一番になってやる。


 礼儀作法も、ちゃんとする。

 懐安の厳しい作法指導には、すべて意味があるのだ。

 礼を知らなければ、門の前で追い返される。

 言葉遣い一つ、指先の動き一つ、座り方一つ。

 その全てが、いずれ皇帝となる朗月に会うための、最初の階段だ。


 渓舟のように、図面を引き、計画書を書けるようになる。

 懐安のように、どんな場でも臆さず振る舞えるようになる。

 朗月のように、相手を想って、きちんと言葉にできるようになる。


 そして。

 必ず、龍脈の船を造る。朗月のために。

 そして朗月はそれを、民のために使うだろう。


 千里は玉佩ぎょくはいを懐の奥に押し込み、衣の上からぎゅっと掌を当てた。

 鼓動が玉と重なって、力強く打っている。


 ――いつか千里の力を、貸しておくれ

 ――また、会おう


 朗月の声が、耳の奥で鳴った。


「うん。絶対だ」


 千里は宮城を望み、手を伸ばした。

 足元で大地が微かに脈打ち、淡い青の光を灯していた。



* 



 龍脈の子、中天につ。

 望月丘ぼうげつきゅうより龍の祝福をもくす。

 万里ばんりごう、ここにおこる。


――『瑞華正史ずいかせいし』 巻十 朗月帝本紀ろうげつていほんぎ 序文より




龍脈の子 完

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